おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

あなたたちの生まれる前の話ですが

2013-11-27 23:06:43 | Weblog
この間、古本屋で買った2冊の本

あなたたちの生まれる前のことですが
とても、いい本で、
梅原猛 「湖の伝説」-画家・三橋節子の愛と死は
あっという間に読了
特に滋賀県在住の若い先生たちには
読んでおいてほしい一冊です。

もう一冊は明治40年に発行された
三省堂の「高等女学校用帝國地理附図」という
古い地図。
これもおもしろくて
今でいう「地方」を「畿道國府縣別之図」として
示しているのだけれど

京都府の丹波と丹後は山陰道 京都市と山城が畿内
兵庫は但馬が山陰 播磨が山陽 神戸だけが畿内
大阪 奈良は全部が畿内
滋賀は近江が 東山道 伊賀が東海道
三重は 東海道 福井は北陸道
なんと 和歌山は四国と同じ扱いで南海道という
分け方をしている


近畿にどこが入るのかという話を
学生のころよく話題にしたことを思い出した。
近畿を「畿内に近い地域」という
感覚なんだろう。

じゃ、関西の「関」はどこなんだろう
意外と三重県の「関市」あたりなんだろうか?

関東の「関」が 箱根の「関」なら
明治の頃は東海道の、その間の区間をなんと
呼んでいたのだろうなどと
くだらないことを考えていると楽しくなる(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それは、結局、結果として、甘かったんだ。

2013-11-21 20:43:26 | Weblog
やっぱり、
甘かったんだと思うよ。

油断は知らない間に慢心に変身するし
濁った理性は、高圧的な言動にしか
結びつかないということさえ
あなたは忘れてしまったのかな。

自分の焦りを深い穴の中に沈めて
後悔という言葉と引き替えに
自分のせいではないと
ほおかむりできたとしても

それが自分の弱さから生まれた
幻想だということを一番よく知っているのは
あなた自身だから。。

なぜ、あなたは
悩み苦しみ振り返ることに
価値など見いだそうと
徒労の旅に出るの。。

もう一度、
暗闇の向こうに
暁のあることを

あなたは
もう
ひとりでは走ることはない
ということを

あなただけではない苦しみが
あなたの澄んだ瞳を
曇らせているということを

そして
あなたの教室の
ぼくたちわたしたちに
気づいてくれる時が
きっと来るということを

時計の針が教えてくれるよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなたの天然がええんや

2013-11-17 20:07:13 | Weblog


ええね。
心配でたまらん子供が
おってくれるおかげで
あなたが成長でけるんやで

行きしぶりよるし、帰らへんとも言いいよるか…
そんなサインをあなたにぶっけてきよる子が
きっとかわいいんやろな。。

けどほんまの理由は
心のふかーいとこにあるんとちがうやろか。

まだ、だれにもいいとないだけやろなぁ。
時がくれば、ふっと話してくれはるかも。。かな。

無理して聞いても、話さへんのとちがうかなぁ。

根気よぅ待つこともええんとちがうかなぁ(笑)
すぐ解決せん問題もぎょーさんあるで。

焦りから、むりにじゃべらそうとしたら、
結局はマイナスってこと、よーあるやろ。

必要なんは、まっ、なんとかなるという
温かなまなざしとちがうやろか。

感情を入れ込みすぎひんように。
あなたの天然がええんやからね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土曜日の散歩

2013-11-16 19:16:26 | Weblog
久し振りに
衣笠の母校での講義に行くことになり、
時間があったので、少し散歩をすることにした。

京阪三条から市バスという
定番のコースを使わずに

四条で下車、阪急で大宮に
大宮から嵐電で嵐山、
渡月橋辺りをぶらついて
嵯峨野から仁和寺へと
誰かさんとよく歩いたコースを
何十年ぶりかに選択(笑)してみた。

京都の観光化とは
すさまじいものだということを
嵐山の駅に降りたとたん感じてしまった。。

思い出にひたることもなく
渡月橋辺りは台風の影響など、
どこ吹く風の盛況、人、人、
秋の観光地など来る物ではないと反省、
いつの間にか豆腐よりコロッケが
有名になっているのには笑えるが
中国語がやたら飛び交っているのは、
なんか寂しい気がした。

D51を見た後、
駅前の古本屋にぶらりと入った。
そこで、300円のコーナーにある
梅原猛の「湖の伝説」を偶然発見。
この間、長い階段を上り三橋節子美術館に
いったところだったので思わず購入。

もう絶版になっていて
手に入らないと思っていただけに
楽しい気分になった。

嵐電の嵯峨野から
帷子ノ辻で乗り換え
無人駅の仁和寺で降りた。

ここは相変わらずの風景でほっとした。
秋なのに道ばたにタンポポが咲いているのは
不思議だったけど
最近の気候のせいだろうか。

龍安寺の裏道を衣笠に向かう。
なんどか若いごろには
通いなれた道(笑)なのに、
坂道がきつく感じるのは、
年のせいだとひとり納得する。

最後の坂道を下っていた時、
誰かさんにそっくりな人に出会ったよ。
何度も振り返ってみたけど
幻ですよね。
幻をみたのも年のせいですね。。
年の瀬は間近です?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

廊下に「サツマイモの花」が咲いていました。

2013-11-11 19:47:50 | Weblog

廊下に「サツマイモの花」が咲いていました。

知っていそうで知らないことってたくさんあるんですよね。

懇談会のなかで、「あたり」とか「はずれ」とかいう言葉が出るのですか。。
「あたり」「はずれ」という言葉が気になるんですよね。

あまり、良い意味で使われているとは
思っていないのですが、
あなたたちは、これからたびたび、
聞くことがあるかもしれませんので、
少し考えてみます。

籤の結果により
賞品や賞金を得ることができる「あたり籤」と
何も得ることのない「はずれ籤」が
語源のように思うのですが、
「人」に対する隠語として使われる場合があるようです。

子どもや保護者が使う場合は、
使う人にとってですが「良い先生」、
「悪い先生」という意味で使われていたり、

同僚の先生に対しては、
これも使う人にとってですが、
「同じ学年の担任として助けてくれる先生」
「助けてくれない先生」というふうに使われているようです。

そうしたものの基準は
すべてそうした言葉を使う人の
個人的・主観的な価値で判断されているわけですから、
本当は気にしなくても大丈夫なのに、
そんなことばに敏感なあなたたちにとっては
とてもつらい言葉になっているようです。

まわりに迷惑をいっぱいかけていても愛される人はいるし、
きちんとルールを守り厳格に生きていても、
煙たがられる人もいますよね。

こうしたことを不条理と感じる感性が
あるかないかで、幸不幸が決まるものなのかもしれませんね。

でも案外、鈍感力って大切なのかもしれないって
思うときがありました。

さて、あなたが言うように
風評というものは、学校にも起こりうるものだし、
そうしたことは管理職にもわからないで
「学校にとって役に立つ先生」
「役に立たない先生」というふうに使う場合も
あるかもしれないと思うのですが、

結局は
「子どもとの信頼関係を自分の学級で、
築きあげていくか」が、
まず大切なんじゃないでしょうか。

そうしたことの積み上げでしか
「あたりやはずれ」という
曖昧な価値に一喜一憂しているという状況から
抜け出ることができないのではないですか。

高学年最初の懇談会で
平然と保護者に
「すみません。○○です。
皆さんもご存じのように、
はずれです。1年我慢してください」などと
言い放ったというような
豪快な武勇伝を語る先輩もいましたが、
眉唾だと思います。

以外とそんな先輩にかぎって
繊細で、子どもや親との対応に
とことんすべてをなげうつタイプだったり
しますよね。

問題は個人に帰すべき要素と
職場なりの環境における人的要素との関係性(笑)に
帰着するんだろうな。

自分自身を見る周りの人の人間性と
自分自身の振る舞いとの関係性かな(笑)

どうすれば子どもや保護者との
信頼関係を作ることができるかって??

それがわかれば
「先生という仕事の半分くらいの苦労がなくなる」
と思います。

もし、僕の経験から勝手な想像をするのなら
3つぐらいの要素があるように思います。

「いつでも、子どもが好きで子どものために努力を惜しまない人」
「すてきな仲間を学校以外に持ち続けている人」
「先生として何かを残したいという夢(野心?)を見続けている人」かな。

たった3つなのに
僕にはできなかったなかなっていうのが実感ですが(笑)
まっ 先生たちにも
知っていそうで知らないことってたくさんあるんですよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふっと頭に浮かんだことがあります。

2013-11-04 00:47:25 | Weblog
今日は、友人の会社の
設立二十周年パーティに参加。
30歳で会社設立50歳の社長さん

中小の企業が
二十年続くというは
0.3パーセントしかないという現実に
打ち勝った友人の晴れやかな顔、
久しぶりに社会の荒波を乗り越える
という言葉が頭をよぎった。

僕の友人は
比較的教員以外が多い。。
というかほとんどが教師ではない
といった方がいいかもしれない。

だから
そうした友人の姿や考え方を通してしか
「現実の社会」というものにふれる機会は
なかったように思う。

若いころは酒に弱いくせに
よく飲んだのですが、
年を経て、友人の多くとは
たまにしか出会わないようになると、
「現実の社会」から離れて、
学校という違う世界に住んでいるような違和感を
感じたことがあった。

若いころには、
学校というものが
実は非日常の世界なんだと
気づいていなかったのかもしれません。

学校は
「現実の社会」というものの
条理すら知らない
純粋培養された教師が
夢とほんの少しの現実が
いりまじった理想郷をかたる世界だったのかも
しれませんよね。

学校では、
「従業員の家族の生活を
担わなければならない重さ」なんかは
教えることができなかったのかもしれません。

でも、昔は子どもや親を怖れる感性では
教師として生きていけない時代だったのかも
しれませんね。
結局大事だったものは「出会い」と「つながり」
だったように思います。

ただ子どもの笑顔にかこまれ、
ただ子どもがすきだということを
日常の糧として生きてこれたことは、
確かにあなたがいうように
幸せだっんだと、
今思います。

時には自分を犠牲にしても
仕事を優先したいと思ったのは
高尚な信念なんかではなかったと思います。

ただやってみたかった
その程度のものかな。

「現実の社会」では
後継者の育成と技術革新が
再び叫ばれ始めている今日。。
教師の世界もそうした大きな潮流に
巻き込まれていくのでしょうね。

「子どもたちの将来を
担わなければならない重さ」に
もう少し早く気づけばよかったと
慚愧の念が頭をよぎりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の土曜日

2013-11-03 11:46:08 | Weblog
秋の土曜日は
ほぼ毎週何かの行事が入り、
学校に出勤。

地域やPTAとの連携は、
実はそんな時にしか
できないってことを知っているのかな。

いろいろな事情で
こうしたイベントに
参加できるできないという
個々の事情があることはわかっているし、
強制すべきものではないという認識も
地域やPTAの人たちも持っていると思うよ。

ただ「距離」の問題じゃないかな。

あなたと地域やPTAとの「距離」が
離れていなければ、
参加しようがしまいが
それほどたいした問題ではないし、
気軽に「無理です」ということを
伝えられるんだろうな。

まっ、あなたのいうように
管理職との関係なのかもしれませんね。

僕は古いタイプなのかもしれませんが、
あまりそのことは気にならなかったな。

元々土曜日は半日学校へ行くものだと
思っていた世代だからなのかもしれません。

昔は土曜日に昼頃に
もう仕事をやめていいよという
合図があって

そのことからついた
といわれる「半ドン」という言葉が
あったのですよ(笑)

半ドンの日は
みんなで食事に行って
教育や夢を語ったり、

学校の中のいろいろな準備室を
先輩に連れられて回って、
使えそうな教材や教具を探したり、

そしてやっぱり
行事やイベントもあったように思います。

余談ですが、
学校に勤めて2年も3年もになるのに、
学校の中の準備室や倉庫の場所や
おいてあるものを知らない先生が
増えてきたっていうことをよく聞くのですが、

たとえ高学年で専科制になっていても、
あなたたちはそんなことはないですよね。

そのたびに先輩に聞いても、
知っている先輩なんて少なくなっていますよ。
単に煩わしいことを聞いてくる先生
って思われてしまう(笑)なんてことがないといいね。

さて、最初から週休二日が当たり前の
あなたたちは、仕事を五日間して
残り二日間を「自分」の時間にすることに
なれてしまっているのでしょうね。

ある意味、うらやましいと思っています。

だから 昨日も昼からタイ飯をくいにいこうと
四つ橋まで行ったのですが、あいにく閉まっていて
途中で、いつもの小物屋「あそこ」で
時間をくってしまいました。



一番気に入ったのは
緑色のハンガーの形をしたクリップ、
古い世代はやっぱり仕事がらみになってしまうんだよね。。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする