おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

嫉妬ですか。

2022-05-30 20:44:32 | Weblog
人を嫉妬する自分に思い悩んでいるのですか。

確かに貴方のいうように嫉妬は目に見えない脅威ですが、「嫉妬」という感情の動きは、ごく自然な心の動きなのではないでしょうか。

たしかに、僕らの同年代の人間は嫉妬を隠します。

「男として恥ずべきことだ」という昭和の教育を受けてきたからです。

今の時代にはそぐわない、ある意味での「正義」だったのだと思います。

「美学」と言えばかっこいいのてすが、単なるなるやせ我慢だったのかもしれません。

男の嫉妬する姿は何度も見たことがあります。女性の嫉妬する姿は余り見たことがありません。

僕が目にしたのは力がありいつも認められている人が、それ以上の力を持つ人に出会った時、「嫉妬しているがゆえの不可解で理不尽な行為」を行うというパターンですね。

僕は力もなく、「承認要求」もあまりない人間だったので傍観者でいることが多かったのです。

だから、する側やされる側の気持ちは残念ながらあまりわかりません。

ただ、真面目で一途な人ほど「正義」にこだわるように思います。

「正義」を貫く美学が「承認要求」を生み出すトリガーになることもあるようですが、僕は、こうした行動の美学の価値は時代により変化するものだと「三島由紀夫氏の自決」で知りました。

「嫉妬」を隠すことが美学だという方もいますが、僕の周りの連中は「嫉妬」を「リスペクト」に変換するタイプと「嫉妬」から「諦め」に転じるタイプがいたようです。

「嫉妬を隠して平静を装う」というのは真面目なタイプの感覚で、「嫉妬をあからさまに表現して、右往左往したり、仲間に八つ当りする」のが、僕の周りの連中でした(笑)

「嫉妬してから、どのような行動をするか」が人としての価値だと僕らは思い込んでいました。

「嫉妬すること」自体で、迷ってるより「嫉妬したから、次にどんな行動をすればいいかで悩んだほうがいいかも」ですね。

乗り越える努力をするのか、負けを素直に認めるか
割合、簡単な判断だけだとおもうのですが。
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今年もスクール水着必要なんだろうか。

2022-05-12 14:36:14 | Weblog
 孫は3年生、入学以来はじめて行われるかもしれないプール学習のことが気になりました。

 連休明けのこの時期、学校ではプールの清掃が始まります。梅雨の空模様が気になる季節でした。

 高学年の子どもたちや、先生総出で晴れた日にみどりの苔で一杯のプールの壁をゴシゴシ。

 ヤゴやミズスマシで一杯のバケツを運んだ思い出のある方も多いかもしれなませんね。

 結構この作業はキツいものなのですが、子ども達が喜ぶ顔を水泳学習ではみられるので、それを励みに先生たちは、頑張ってくれていました。

 けどこの水泳学習も、このコロナ禍の2年間、実施されていない学校が多いといいます。

 中学校では、民間企業に委託する取組も始まっているようですが、僕の知っている限りでは、
【学校の働き方改革】水泳授業の民間委託で教員負担軽減(千葉市の取り組み) | 勤怠打刻ファースト

【学校の働き方改革】水泳授業の民間委託で教員負担軽減(千葉市の取り組み) | 勤怠打刻ファースト

7月も下旬を迎え、学校は夏休みに入りました。2019年6月、文部科学省が各都道府県教育委員会に向け、教員の夏季休暇確保に向けた対策を講じるべき旨の通知を出したことは既...

勤怠打刻ファースト

小学校でのモデルケースがあるのは千葉市ぐらいで、ほとんどの小学校では、まだ議論すら進んでいないと思います。

 今年も、コロナの状況で、実施するかどうかは不確定ですよね。

 3年前までのように子どもたちを使っての清掃はできないかもしれませんよね。

 小規模の学校の先生が悲鳴をあげそうですね。

 それ以上に、先生たちは「スクール水着」の問題で頭を悩ますことになると思います。

 3年前までスクール水着やゴーグル、帽子、最近はラッシュガードと呼ばれる紫外線よけのための着衣まで、学校では保護者に「指定購入」してもらっていたはず、でも、すでに6年間の1/3は使うことがきなかったので、サイズが合わないはずですよね。

 孫は3年生だけど、6年まで使えるとはおもえないし、高学年なら、年に5.6回以下の、それも天候に左右される学習のために再購入することを躊躇するのが、保護者の感覚だろうね

 これからも、コロナで影響がある可能性があるので、今年の夏、水泳学習の「水着をどうするのか」は悩ましいことだろう。無駄な出費を喜ぶ保護者はいない。

 もうひとつ「体育という教科の勉強の一単元」という位置付けだろうから「実施しないと代わりの単元を用意して学習する必要」があり、それに伴う「評価」が必要になるはずですよね。

 この時、「スイミングスクール」に行っている子どもたちとの「スキルの差」の「評価への反映」をどうするのかという、国語の「毛筆指導(習字)」と同じ問題もでてくるはずだ。

 塾などで得た「知識やスキル」に関しての「評価(通知簿への反映)」は学校での教科指導と重なる部分があり、曖昧というか、評価する先生の主観に委ねられている部分もあるようにおもうのですが。

 コロナ禍によって、「毛筆指導」「絵画指導」「跳び箱鉄棒指導(器械体操)」「徒競走指導」「球技指導」「英語指導」「プログラミング指導」という実施時数が減った「スキル指導」で「学校で教えていなかってもスキルを持っている子ども」とそうでない子どもとの差ができたことは、想像にかたくない。

 中学での教科の指導にも、「学習塾での成績」は「学校の成績」に少なからず影響があるので「高校入試、大学入試関連教科」の成績は、成績=学力(評価)という図式での考え方が主流になって久しい。

 しかし、「本来学校で獲得すべきこと」と「本来、家庭や地域で獲得すべきこと」の違いを曖昧にしたまま、単に、家庭の「経済的な差、貧困の課題」ととらえるなら義務教育公立学校の意味を考えることは難しいものになってくるかもしれませんね、。

 コロナ禍により顕著に表れたのが小学校の「水泳学習」だと思う。(文科省は夏休み中の水泳指導の「補習」はやらなくてもいいと読み取れる通知を行っている)

 知徳体の調和を重視するとしながら「知に重きを置きすぎた公立小学校」の有り様をもう一度考え直す必要があるのではないだろうか。

 今年の小学校の教員採用試験に水泳実技がなくなった都道府県が増えている。

 プールの維持費や改修予算は多額だが、その事をおかしいと考える市民はまだ、少ない。

 老朽化したプールは補修もされないない漏水が続く場合もあるらしいということを聞いたことがある。

 中学の部活を外部委託できるなら、小学校での評価も曖昧な「プール指導」を体育のカリキュラムからはずして、外部委託することはできないのだろか。

 そうすれば、孫のため可愛い水着をじいじやばあばも買って、娘によろんでもらえるかもしれない。

 ブール指導が「着衣泳」など「安全に生きるためのもの」なら「交通教室」や「ゲストティチャーの◯◯教室」で使っている時間を工夫して時間を作れると思うのだけれど。。

 地域の一般利用や保護者とプール開放も出来ないなら防火用水槽として、管理も行政が行えば夏のプール侵入を気にすることも必要がなくなる。

 指導できることを前提として教師を採用しないのなら小学校の「プール指導」を民間委託すれば、時期や天候にも左右されず年何回かのプール教室で「生きるための最低のスキル」は獲得できるはずだと思うけど、先生たちは「指導できないから助けて」という声をだすことが難しいのかな。

 時代は令和になったのに、


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断章

2022-05-06 22:46:00 | Weblog
公立の小学校で「通知表」での評価をやめた学校があるらしい。

通知表をやめた公立小学校、2年後どうなった? 子ども同士を「比べない」と決めた教員たちの挑戦(47NEWS) - Yahoo!ニュース

 勉強が得意な子もいれば、苦手な子もいる。「できる」ことだけを評価するのでは、光が当たらない子どもも多い。だから三堀教諭は、いろいろな観点から子どもをほめるよう...

Yahoo!ニュース


多様な子どもたちがやってくる公立学校に一律で機械的な評価はそぐわないという視点は共感できますね。

ただ、それが校長が主導しないと実現しないという現実に少しモヤモヤしたものを感じます。

多様な子どもたちがやってくる公立の義務教小中学校は何を担うのかという議論の深まりがないのです。

コロナ禍で、「密な関係」がないことで学校で起こったことの検証がおこなわれるとは思いますが、孫たちはまだ、学校に行くことを楽しみにしてくれてます。

でも、学校に来なくなった子どももいることを教えてくれました。

「学力」「成績」「点数」「評価」こうした言葉が、ひとつの文脈で語られる時、「親たちの経験」が影響することがあります。

「評価」は何のために行うのかは、先生たちの間でも、学者さんたちの間でも、まだ論議されている難しい課題です。

「成績」も何で判断するかは実はとても難しいものでした。

簡単なのは「アチーブメントテスト」と呼ばれれる「学習したことを数値(点数)化」することなのですが、「覚えた知識の量」を判断するには適してあるのですが、「意欲や関心」の数値化は難しいので「行動観察」することになるのですが、必ずしもこれは数値化できるものではありません。

「挙手」を例にすれば「手を挙げないから意欲的ではない」と必ずしも判断できないのです。その反対もありますね。だから、学年にもよりますが手をあげた回数で判断することは適さないことがあるわけです。

点数を、上げるために、例題を何回も解かせたり、反復して「覚えさせる」ことを目的とした方法だけでは、自分で「問い」を作ることはできません。

関心や意欲から「問い」を生み出し、学びに結びつけることが、必要になるのですがこうした学習は時間がかかります。

厄介なことに「教科」という壁があり、専門性という「学びを分断する狭い視野」に入り込むと、先生たちの中には「点数で評価」することが簡単だと思い込んでしまう場合があるのです。

初等教育(小中)学校の先生の「専門性」と中等教育(高)の先生の「教科専門性」は違うもののはずなのに、同じだと思う先生が増えてきたのでしょうか。

「塾の先生も公立学校の先生も同じ先生」なのでしょうか。成績を上げたい子は塾で頑張れ」みたいな部分を感じる点はなぜでしょうね。

学力の3要素の理念は示されたが、それを「評価する具体策」はまだ見えていないのだろうな。

インクルーシブを、通常学級で進めていくとこうした議論は必ず必要になると思うのですが、神奈川県すごいね。

公立中学校でこの議論が進むなら日本でのインクルーシブ教育は一歩前進って感じなんだけど、まだまだ無理だろうな。

主要といわれる算国理社+英語の点数さえ取れれば何とかなってきた日本の社会が大きく変わっていることに気づく先生も増えてはいくだろげと、高校入試をゴールととらえた公立小中学校義務教育というシステム自体が時代に対応できないと。。。かな。

対極にあるように見える「ギフテッド」への対応も、「飛び級」もない日本では隔離することが、学力保障とされ「特別支援」というカテゴリで議論されるって、何だかおかしいと思うのです。

教師に学習を保障するための「権限」(かつては、体罰という誤った権力が横行してあたけどそれとは違うもの)が保障されないままでは、なにもできないのではないでしょうか。

昔TVドラマでよく見た「悔しかったら殴って見ろよな、センコー」などという罵声をあびることはなくなったと思うのですが、「教室から出ていきなさい」という毅然とした姿勢が「学習権を阻害する体罰」ということになる場合もありますよね。

欧米では他の子の学習権を守るため教室から退出させることや、馴れ馴れしい身体接触をする生徒に懲罰を、与える権限が教師にはあるそうです。。

けど、教師には禁止事項があるのに、子どもたちは何をしてもいいというのは何かモヤモヤするんですよね。。

せめて小学校から「原級留置」というシステムを利用できないかと何度か考えたことはありました。制度はあるのに、その影響を考えて、「義務教育で留年」なんて、行えば大騒ぎになりますね。

でも、高校の先生は学力不足を中学の先生のせいにして、中学の先生は小学校の高学年の先生のせいにして、小学校の高学年の先生は中学年に、中学年は、低学年に、そして持っていくことができなくなった小学校の先生は親のせいにするなんていう負の連鎖が生まれれば悲しいですよね。

学年という枠組みを作るなら、それに見合う社会性や人間性、獲得しなければならない最低限の知識は身につけさせなければいけないというルールは作る必要があると言われています。規範ですね。でもそれを作るのが難しくなっています。

国も「グローバル社会における労働者を作るための国際的な学力基準」に一喜一憂したり、学年という枠組みを中途半端に組み換えることばかりに苦心しているけど、結局、公立学校の塾化を進めてきたのは、「公立学校は何のためにあるのか」という問いの答えを小中学校の先生が作れていなかったからかもしれませんね。

塾の先生より知識はあるのだろうけど、ひょっとしたら「公立学校の先生」に向いてない先生が増えてきるのかも知れないね。

公立学校の先生という仕事、好きでないとやれない仕事なのかも知れないよ。
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老人とスマホ

2022-05-05 10:31:50 | Weblog
 最近、スマホが普及することで「清濁混みの情報」に翻弄される同年輩の友人からのメールがよく届きます。
 
 子どもたちには、情報モラル教育が始まりましたが、昭和の60歳台の世代はようやくスマホの操作になれ「情報の洪水」に見舞われているようです。

 友人は、かつて「団塊の世代」といわれた人たちの少し下、エネルギッシュな団塊の世代を少し後ろから眺めていた戦争を知らない世代です。

 子育てを終え、関心が教育から政治に移ったのかやれ、ウクライナとロシアの戦争や日本の政治のことを聞いてきます。

 それも、真面目だから、YouTubeの意見を丸飲みにしたり、フェイクニースで憤慨したり何だか「危ないのです」

 この間も送られてきたのは、「ウクライナ」の真実情報でした。
 
 アゾフの人たちが使うこの紋章がナチの「ハーケンクロイツ」カギ十字に似ているから、「ネオナチ」といわれているのかもしれませんが、「国粋主義者」を「ネオナチ」ということには少し違和感があります。

 日本の「一部の人たち」を外国の人が「ネオナチ」と言っている感覚ですか。と答えました。

 もうひとつは「どっちが勝つのか、どっちが正しいのか」という「傍観者としての興味をベースにした議論」(僕の苦手なやつです)

 敗戦直前の日本に攻めてきたソ連と日本の関係性みたいなものが、クリミア半島を取られたときのウクライナとロシアの関係性だとおきかえて考えてください、戦後の日本でも自衛隊(保安警察隊)が必要だと思う人たちもたくさんいただろうと思います。

 取り返すために日本は武力を使えなかったのか使わなかったのかはしりませんが、ついこの間までは外交的努力で解決すると信じていたし、そう、僕らも教えていました。
 
 たしか、国際法上まだ、日本とソビエトとは正式に終戦していないことは、高校で教えてもらいましたが、日本の海上自衛隊の旗が「日章旗」と似ているから日本ではナチズムと同じ侵略主義者がいるということを理由に「侵略してもいい」とロシアの指導者が考えるかどうかは僕にはわかりません。

 ただ歴史では、「蝦夷地」にはロシアの船が昔から行って交易をアイヌの人たちとおこなっていたこと、アイヌの人たちを征服しようとして和人が平安時代から「征伐」を行ってきたこと、松前藩が蝦夷地を領有したのは江戸時代だということ、「蝦夷地を北海道」と呼んで確実に明治政府のものにしたのは明治の屯田兵か北海道に移住してからだということは教わった覚えがあります。

 確かに、その事を理由として「難癖」をつけることもロシアにはできますね。

 ただ、何か「旗」とか「領有した時代」とか、シンボルを戦争のきっかけにするのは常套句のように思います。戦争を仕掛ける側は、理由は、なんとでもつけることを何度も見てきた気がします。

 友人が好む「政治的な分析」ではいつも、隠していたことを「嘘」という言葉で表しますが、「嘘を見抜けない国民を作る」のも「政治」だということを「教育」では教えます。

 友人との話をするなかで、正義と教育は意外と相反する部分を持っているのかもしれない、政治と教育は分離すべきではないかというおもいが強くなりました。

 YouTuberの発信する情報はユーザーが多いから必ずしも正しいとは限りません。若者なら知ってるこの道理が友人には理解しにくいようです。

数が多ければ正しいという「いいね」効果にハマルタイプなのです。

 インフルエンサーと呼ばれる人が正しいと思っていることに興味を持つ人がユーザーになるだけで「それを大多数の意見(正論)」としてとらえることの危険性を、ようやく「情報の真偽」として学校でも教えないといけないという議論が日本では始まったところなのではないでしょうか。

 老人(年配者という表現はあまり好きではないです)がデジタルデバイドに陥ると若者との乖離が始まるのではないでしょうか。

 老人にも情報モラル教育が必要な時代になってますね。

 発信している本人がしらない間に「フェイクニース」になることもあるし、「情報操作として意図的にリーク」することもあるはずです。

 友人がウクライナのことで、議論を吹っ掛けてくれたことで、いろいろ考えることがありました。

 このウクライナの問題はある意味で、「国が情報操作することが明らかになった世界での」「はじめての戦争」なのかもしれません。

 「ネットに流れる膨大すぎる情報からどのように真偽を判断するか」という技術が世界から一番遅れている先進国が「情報を作る機械の技術」にスキルの高かった日本なのかもしれないと感じました。

 友人は経済立国日本のを支えた工学系の人間です。

 日本はまだまだ世界と比べて「情報を活用するスキル(リテラシー)」は遅れてるのかもしれません。

 忍者や諜報員という日本語には何か陰で働く人という姑息な負のイメージがあるのかもしれませんね。

 第二次世界大戦では軍隊間の「暗号解読」の技術の差がありましたが、今の時代では世界の国民の「ネットの情報を読み取る能力の差」があるのかも知れませんね。

 それは大国だから進んでいるとはかぎらないようにも思えます。

老人2人が見るネットのせかいでした。


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