おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

学校の個性って何???

2013-10-23 23:08:32 | Weblog
おしなべて
「うちの学校でしか、
そんなことはやっていません。」
というフレーズに続く文脈は
否定的なものが多いようです。

ほかの学校と違うことを
公教育ではやってはいけないと
あなたが思いこんでいる部分と
公教育における
同じ教育を受ける権利を
大切にしたいという部分からの
文脈なんだろうけど
どうしても
僕には「まわりと同じことをやっておけばいい」と
聞こえてしまうんです。

「まわりと違うことを行うのは正義ではなく
そのことを理由に行わないという免罪符になる」と
思っているのですか。。

個別の課題を冷静に分析し、必要とする手だてをとることは
否定されるべき事柄ではないはずだし、その必要を感じていても
「うちの学校だけでもやろう」
という肯定的なスタンスにならないのはなぜなんだろうね。
もっといえば
「わたしだけでもやろう」ですが
これはさすがに新米では難しいよね。

学生の時には、生き生きとしていたあなたが
教師という能面をかぶるのは
少し早すぎるように思いますよ。

他との違いを受け入れず、否定的になり
自分の意見を曲げないことだけに執着し正当化するなら
あなたの意見が正しくても
いつか、あなたは
職場でひとりぼっちになるかもしれません。

あなたの立つ地平の課題をしっかり
見据えた上で、そこに見えてきた
あなたのやるべきことを
勇気を持ってひとりでやっていっても、
ひとりぼっちかもしれません。

同じひとりぼっちなら
僕は後者を選びます(笑)


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評価についてですか。

2013-10-22 19:44:28 | Weblog
とても難しい問題ですね。

個人的な意見ですが、昨日の新聞一面の見出しは
"学テ「学校別」公表解禁"の文字が躍っていましたね。

来年度から市町村教育委員会の判断で、
公表する、しないを判断できるように
実施要項の見直しを検討するらしいですね。

今までも、基本的には、学校長の判断で公表する、
しないは判断できるものだったはずですよね。

ただ、今までは公表するという判断をした校長が
いなかっただけのことなんですよね。諸般の状況から、ですね(笑)

「誰かの判断(指示)により仕方なく」という形になれば、
なし崩し的に公表される懸念は当然生まれてきます。

学力・学習状況調査が
大手進学塾の全国模試化していくことには少し危惧を感じています。

あなたのいう評価を考えるとき
たぶん通知簿の付け方や要録の評定についての
処理や基準についての悩みだろうから
学テの是非よりも、
"「アチーブメントテスト」のみで「学力」を評価する"こと
についての考察が必要ですよね。

あなたたち若い世代の小学校の先生は、
主要教科といわれる限られた教科を
市販テストの点数で評価することが多いんじゃないかな。

市販テストのみで評価しているとは
思いたくはないのですが、
単元ごとの形成評価や学期末の総合評価でも
市販のテストが主流になっているという印象を持っています。

多忙な毎日を送る若い先生たちには、
ベテランの先生たちが
自作のテストを作っていた時代があった
ということすら知らない方が多くなっているようですね。

昔は、自作の評価テストを作る方が主流で、
市販テストというものも少なかったし、
著作権意識がまだ浸透していない時代だったので
一部の先生たちの間で市販テストの切り貼りが行われ、
それが問題化したこともあったのですよ。

絶対評価と相対評価の論議があったことも
到達度という、一定折り合いのついた場所で
評価活動が行われているということも
知らないかもしれない。。かな。

とにかく小学校では、
少しでも教員の負担が軽減されるだろうということで、
市販テストの利用は急速に浸透していったのですが、
通知簿や要録への反映における「ものさし(基準)」を
どうするかという問題については、未だに論議があるといわれています。

まっ、既製服は帯に短し、たすきに長しという、論議ですね。
市販、自作の優劣を論じるつもりはありません。

あなたのいう「平均して何点ぐらいで、評定の何をつけるか」
ということについては、小学校の場合は学校裁量で
行われていることが多いと思われます。
だから、あなたのくれた
メールに答えるのは難しいのです。

ちょっと話はそれますが
昔は、今より
のんびりした時代だったのかもしれませんよね。

でも、一クラスには45人もの子どもがいたんだよ。
できる子もできない子も、
手のかかる子も手のかからない子も、
文句を言ってくる親も
そうでない親もいたし、
進めなければならないカリキュラムも
学習計画の数もそれほど変わっていないように思います。

ただ、市販であれ自作であれ、
「アチーブメントテスト」のみで、
現在、いろいろな場所で論議されている
「学力」を評価することについて、
もう一度考えてみる必要はたしかにあるように思います。

昔は「アチーブメントテスト」で
評価を行うから「主要教科」という意識を
持ったこともあったように思います。

「芸能教科」などという言葉が
使われていたということも
聞いたことがあるのですが
「算国理社」は「アチーブメントテストと態度」で評価を行い、
その他の教科は「実技評価、作品評価と提出と態度」
という感じになっているように思っていました。

だから、評価のない「道徳」は
難しいということになってしまっていたように思うし、
「実技評価、作品評価」を職人的な感覚で行う先輩は
引っ張りだこになっていましたね。

点数で評価できる教科は
意外と教えやすいですよね。

もう、そろそろ気づいたと思うけど
「テスト」を意識して「授業」を組み立てればいいから、
最初に「テスト」を見ておいて
「授業」を進めればいいということになるんだよね。

子どもたちにとって
「おもしろくない」授業になる危険性もあるんだけど
毎日の多忙感が、そんな危惧も吹き飛ばし、麻痺して
つい安易な道に入り込み、
後で良心の呵責にさいなまれる・・
なんてことも起こっていましたが、
あなたたちはどうでしょう?

この間、
日本の小学校では
全学年全教科を教えることが
求められているということを、
中国の師範学校の先生に話した時、
「スーパーマンだ」といっていました。

中国は小学校から
教科担任制、もっといえば
進路コース固定的な要素が
あるので教科の取得数がもっと少ないんだそうです。

日本の小学校の先生の
質の高さは、世界的に見ると高いものだ
と思うのです。

ただその質を維持することが難しい状況が、
今、あなたの周りで起こっているのかもしれませんね。

先生になるまでに、学生や講師の間に
どれだけ蓄えられていたか、
先生になってからも、
自分で蓄えようとする姿勢や手立てを
持っているかが、大切なんですよね。

休みがないほど、
学校の業務に縛られているということですが、
1、2年もすれば少しは
余裕がでますよ。

勝負はその時、その余裕を何に使うかですね(笑)

その時、余裕があれば、こんなこと考えておいてください。

・「知識偏重からゆとりへ」という
方向変換の何が成果で課題だったのかという感情的でない検証

・「生きる力」、「学力」とは何かという本源的な定義

・大学の改革に伴う大学入試の変化や「国際化」という時代の流れ

他にも考えていく必要があると思うことは
たくさんあるのですが、
新米のあなたには、
その時間がないほどの多忙感が心の中に充満しているよね。

今度飲み会でもしながら、
先生の大量採用に伴う「学校の教育力の低下」を起こさないために、
何が必要なのか、一緒に考えてみましょう(笑)。

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新JISと旧JIS

2013-10-18 21:11:54 | Weblog
日本工業規格(Japanese Industrial Standards)は
JIS規格と呼ばれ、学校現場とは
あまり関係がなさそうに思われているけれど、
以外と関係が深いものだということを知っているかな。

学校の机、椅子の号数は
この規格に則っているし、
この規格が変わるということは、
結構いろいろと変化があるわけで、

例えば、児童用机のサイズは
近年のICTの活用などを考えると
「広い方がいい」ということで
旧JIS規格から新JIS規格に
天板の広さが5センチ長くなった。

でも、たった5センチの長さの違いが
教室では結構大きな問題になることがある。

クラス定員(40Pとか35Pとかいうもの)は
まだ、小学校の高学年や中学校では
40人が普通なので
40脚の机が一つの教室に収まるという前提で
すべてが考えられている。

教室の後ろのロッカーは
必ず40あるはずだし
傘立ても40人分で一つのはずだ。

教室の広さは同じなのに
そこに収める机の天板の大きさが、
5センチ×幅(65センチぐらい)×児童・生徒数分、
増えることによって、
残りの空間が無くなっていくことになるわけです。

小学校なら、コの字に机を配置して
授業ができていたのができなくなり
二の字型にしてみたりすることで、
空間の減少分をカバーできるとは思うが、
中学校では、結構大変になるんじゃないかな。

四十人近くが在籍しているなら、
ぎゅうぎゅう詰め感は結構あるようで、
大きな天板の新JIS規格の机を使うか、
旧JIS規格のままの机を使うか
結構悩んでしまうわけです。

教室の広さを広げればいいという
解答はすぐにでるのですが、
それがすぐに実施されると考える先生は
ほとんどいないので、

学習するのに快適な大きな机がいっぱい入った教室は、
通路が狭くなるという矛盾が結構起こるようです。

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とりあえず 秋の兆し ですね

2013-10-10 23:41:29 | Weblog
京都の町もようやく、
夏のうだるような暑さから解放され、
秋の兆しが見えてきました。

二十年ほど前のあの秋の日でしたよね。

あの頃僕は平凡な教師として、
その日その日を楽しめればいい、
ただ一生懸命そして、無難に
定年を迎えればいいと思っていました。

そんな僕でも、
何かもっと教師として、
人としてやれることがあるのではと
思えたのは、
古びた教育研究所での、
あの日の不思議な、
あなたとの出会いでした。

それから今日まで、
人生にリベンジする
あなたの生きざまを間近で見せていただけたこと、
僕がこれからの人生を考えるときに
とても得難いものになりました。
感謝しています。

いつか、新都ホテルで、
お話を聞かせていただいたことがありましたよね。
あなたが五十歳で再チャレンジされた折のお話、
ずうっと心に残っています。

いつか自分も
教職の世界から離れ、
もう一度、何かにチャレンジしてみたい、
そんな思いをそのときは漠然と持っていたのですが、
59歳になって、ようやく、
はっきりと見えてきました。

老後の人生を考えるとき、
「死ぬまでに○○を達成する」という
目標があれば、生き甲斐になるという話を
聞いたことがあります。

あと一年何とかやりきって
新しい目標にチャレンジしようと
思います。
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待ちに待ったうれしい報告が届きました。

2013-10-01 20:44:03 | Weblog
おめでとう。

万歳万歳万歳です。

良かったね。頑張ったね。

いよいよ来年から新米だね。
旧ゼミの最後に新米センセになった
あなたの新しい一年と
僕の教師生活の
最後の一年が重なるなんて素敵です。

本当におめでとう。そしてありがとう。

岐阜県の彼から合格の報告です。

来年からは
ゼミの二年間で出会ったあなたたち
全員が正式に採用されて
教壇に立つことになります。

二期生は
川崎市と京都府2人と奈良と京都の私学と大阪府2人の七人

3期生は
川崎市と神奈川県と京都府2人と滋賀県と大阪府2人と奈良の私学と岐阜県の九人

四期生は
京都府4人と奈良県2人滋賀県と大阪府3人の十人

26人もの若い先生たちと出会えたこととても誇りに思っています。

そして全国に散らばったあなたたちみんなとともに
教育現場で同じ空気を一緒に味わえること
とてもうれしい最後の一年を迎えられそうです。

幸せな気分でひとり祝杯を挙げています。



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