壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

『牛を屠る』を読んだ

2010年05月27日 | 読書(ノンフィクション、実用)
『牛を屠る』(佐川光晴著、解放出版社)を読みました。この著者は、『父さんは、大丈夫』という小説を読み感動し、続けて『縮んだ愛』を読んでいます。これらは小説ですが、『牛を屠る』は自身の仕事体験によるノンフィクションです。

JR大宮駅近くの、「大宮市営と畜場」。肉牛だけでなく、乳を取るホルスタイン、近くの競馬場で骨折などケガをした馬などが運ばれてきて、それらを一つ一つ解体し、枝肉にしていきいます。

物理的には、生きている牛を殺す、という作業ですが、仕事中は、「生」「殺」という感覚はなかったとか。仕事とは、そのようなものという淡々とした感覚、非常に分かります。

大宮市営と畜場は、かなり設備が古く、そこで働く佐川さんの話は、芝浦(東京)で働く人の耳には、「80~90歳のおじいさんの話のよう」に聞こえるのだとか。そんな、一昔前の空気を残す屠冊場。しかし、O157、狂牛病騒動を経て、近代化されていきます。著者が働いているのは、まさにその過渡期なんですね。

佐川さんは、場で働きながら小説を書き始め、文学賞を受けてデビュー。専業作家になり、芥川賞候補に5回もなっています。作風はマジメで、けれんみがなく、正攻法で人生を捉えています。マジメな読者には共感できる部分が多いでしょう。ぜひ。


ギャンブル学

2010年05月26日 | 街ネタ
昨日、爆笑問題のNHK番組、『爆問学問』を見ました。講師は、ギャンブル学者の谷岡一郎さんです。

競馬の場合、テラ銭として、JRAが25%持って行きます。つまり、掛け金総額が100万円とすると、25万円は端っから差っ引かれ、馬券を買った人は残り75万円の分け前にあずかります。人によっては、1万円の馬券が10万円に化ける人もいるかもしれないし、10万円突っ込んで回収はゼロかもしれません。全員をトータルすると75%だというわけです。

谷岡先生が、予想のプロとされる人たちの1年半の購入馬券を調べたところ、どの人も75%プラスマイナス1%程度だった、とおっしゃっていました。す、すごい。

以前、読んだ本に、こんな例が載っていました。
「友達5人を集め、こんな提案をする。一人1万円ずつ出してくれ。そしてクジをして、当たった人、一人に4万円あげる。1万円はオレの手数料だ、と。誰もクジには参加してくれないだろう。この母数が5人でなく、1000人になり1万人と大きくなるから、判断力が麻痺してしまう」

谷岡先生は、こうした統計のからくりを知った上で、1万円で銀座でディナーを楽しむのと同じように、1万円で楽しくカジノで過ごせばいいのでは、とおっしゃっていました。しごく名言です。

ギャンブルには、運が100%のものと、実力が加味されるものの2種類があります。もうこうなれば、実力7部、運3部とされる麻雀に掛けるしかありません。

区分変更

2010年05月26日 | 考えたこと・調べたこと
雑記を、街ネタと考えたことに、
読書を、読書(ノンフィクション、実用)と読書(フィクション)に、
それぞれ二分しました。

自分の記録整理のためであり、「あるく みる きく」読者皆様の閲覧のしやすさを狙ったものです。今後とも「あるく みる きく」をよろしくお願いします。


『永田町の回転ずしはなぜ二度回らないのか』を読んだ

2010年05月25日 | 読書
『永田町の回転ずしはなぜ二度回らないのか』(伊藤惇夫著、小学館)を読みました。サブタイトルは「政治家の名言・格言に学ぶ最強の処世術100」。現役・過去を取り交ぜ、政治家の一言を取り上げ、周辺事情も織り交ぜて綴った解説風エッセイです。

著者は、長年、自民党本部に勤務し、その後、新進党、太陽党、民政党、民主党の事務局長を歴任。2001年に退任し、現在は大学の講師です。

以下、印象に残った内容を。
本のタイトルは、ずばり、他人が食べてしまうから(二度回って来ない)。大臣ポストが目の前に示されたら、一つ返事で受けてしまえ、という教えです。躊躇しているうちに、目の前を流れ過ぎ、ほかの誰かがかっさらう、というのです。食事など、出されたものをすぐ取るのは、がめつさが過ぎ、奥ゆかしさを重んじる一般的日本人にはなかなかできなことですが、それでは政治家は務まらまい、というのです。

「政治の世界では、常に誰かが何かを仕掛けている。権力を巡る争いは休まることがない。何かが動く時、目に見えるかどうかは別にして、そこには誰かの「意図」、あるいは組織的な思惑が働いていることがほとんどである」(以上引用)

「理由のない現象はない、全ての現象には理由がある」とはいいますが、ハメた、ハメられた、操った、操られた、というもの何だかなぁ、と思います。

「マスコミは自分で壁(国民)にボールを投げておきながら、跳ね返ってくると『世論印のニュー・ボールが飛んできた』と大げさに驚いて見せる、というわけである」(以上引用)

マスコミによる世論誘導に対する皮肉です。世論は、世の中の人が作るのではなく、マスコミが作る。自分たちが作っておきながら、壁に投げかけて、反響を待ち、さも世の中で作られたように装う、というのです。「世論と結託した」という河野謙三氏の発言(1971年)に触れて書かれた文章ですが、現在の民主党政権に対するマスコミの姿勢を重ねてみるに、「なるほどな」と思わずにおれません。

「よく、『その国の政治は、国民を映す鏡である』といわれるし、また『山より大きい猪は出ない』という諺もある。要は、それぞれの国の政治家のレベルは、結局、その国の国民の“民度”に比例するということだ」(以上引用)

政権交代前は、マスコミも期待していた民主党。もう少し温かい目で見てやってもいいのではないでしょうか。じっくりウォッチしたいと思います。

おまけ。
音楽家、芸術家、彫刻家など、「家」のつく仕事は一代限り。いくら親が優れていても、子どもが同じ程度に優れている保証はない。一方、魚屋、八百屋、旅館など、「屋」がつく仕事は、代々継がれることで、風格も重みも増す。だから、内実はともかく二世政治家は、「政治屋」だ、といった主旨のことも書かれていました。中学校で習う、ステイツマンとポリティシャンですね。なるほどな、と思いました。

もし自分の父が政治家なら。世間から曲解される後継は、したくないですね。もし選挙に出るとしても、全く関係ない地から出たいです。こういう発想だから、書生っぽと言われるのかな。昼間、表を通り過ぎた鳩山御殿。「鳩山太郎」と、ポスターが貼ってありました。いやはや。

著者は、長年、党に勤めた経歴ですが、かなり古巣に対して辛口な内容。いろいろ勉強になりました。

文の里をサイクリング

2010年05月25日 | 雑記
●16日(日)、休日出勤で市ヶ谷の事務所へ。仕事が一段落した15時、初めて皇居一周ジョギングをしました。平日、仕事の昼休みや夕刻に走る人は多い、とは知っていました。日曜の午後3時です。果たしてランナーはいるか。

たくさん走っていました。桜田門をくぐって二重橋前の広場には、休憩している人もたくさんいました。この近所に住んでいて、日曜に走りに来ているのでしょうか。わざわざ遠方から走るためにやって来てるのでしょうか。

市ヶ谷事務所から千鳥ケ淵まで15分、皇居一周30分、また事務所まで15分。ちょうど1時間の楽しい旅でした。

●そして今日、25日(火)は、自転車で、自宅のある世田谷区大原から文京区のお茶の水女子大へ行ってきました。途中、音羽の鳩山御殿には、大通りに観光バスが横付けされ、団体客が降りてきていました。

大学には12時30分のアポイントで、11時50分着。学食でランチを取りました。どの学生もとてもかしこそうです。我々の時代の学生より、垢ぬけて見えます。情報が人を、そう変えるのでしょうか。

辞去は13時10分。江戸川橋、神楽坂上、そして市ヶ谷の事務所へ。天気は上々、最高のサイクリングでした。