壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

『散るぞ悲しき』を読んだ

2011年09月14日 | 読書(ノンフィクション、実用)

『散るぞ悲しき』(副題「硫黄島総指揮官・栗林忠道」)(梯久美子著)を読みました。

硫黄島は、小笠原諸島の南250キロにある火山島で、太平洋戦争の激戦地。小笠原諸島のほかの島と違い、大きな起伏がなく、飛行場建設が容易で、すでに2つの飛行場を日本軍は築いていた。

戦争末期、太平洋の島々に築いた日本の陣地に、アメリカがどんどん攻め込んできます。アメリカ軍としては、より日本本土に近い硫黄島を手に入れることで、爆撃機の中継点にでき、日本本土への爆撃機の往復が容易になります。対して日本は、ここを取られると、本土への爆撃を容易ならしめるため、死守せねばならない。

そんな重要拠点の、総指揮官に任命されたのが、栗林忠道中将です。

守る日本軍2万。しかも、応召された人が多い混成部隊です。攻める米軍6万。海兵隊の精鋭ぞろいです。

それまでの太平洋の島々での戦闘は、水際作戦ばかりでした。アメリカ軍が海上の戦艦から、小型船に乗り換え、上陸してくる。上陸の際は、攻撃力が弱まる。そこを攻める作戦です。白刃で切りかかる、という戦法も、そこそこ効果があったようです。

ところが物質量に勝るアメリカ軍は、上陸しやすい新しい戦法を編み出した。水際の日本の陣地を、艦砲射撃と空爆で叩く。そして、その後に、上陸するという作戦です。であるのに、日本軍は、あいかわらず白兵銃剣で、上陸しようとする米兵に向かっていた。これでは、相手の火力の餌食です。死を覚悟で、「バンザイ突撃」していたそうです。

栗林中将は、いわば「武士の美しい死」であるバンザイ突撃を禁じ、徹底した持久戦を取る。水際作戦を主張する大本営や海軍を半ば無視し、後方に陣地を築きます。負け戦でも、潔く散ることを良しとしない。本格的な本土空爆を遅らせるため、たとえ1日でも戦闘を長引かせる。そのためには、どんな作戦が有効か。徹底的に合目的的にモノゴトを考えるのです。このあたり、『日本軍の失敗』に紹介されていた日本軍の悪弊、前例踏襲主義とは大いに違う作戦です。

栗林中将は、陸軍士官学校から、現場を経て、陸軍大学校を卒業。アメリカに2年留学。カナダに駐在武官として滞在という経験があります。徹底した合理主義で、硫黄島死守の作戦を立てていきます。

とはいえ、栗林中将は、情の人。将でありながら、兵にも気さくに声をかける人でした。硫黄島滞在中、食料や配給される水の分量も兵と同じにし、各部隊を徒歩で見回り、恩賜のタバコを分け与えました。こうした優しい気持ちが、いかに士気の維持につながったことか。

栗林中将は、東京の家族に情愛あふれる手紙をたくさん書き送っており、この点でも知られています。著者の梯さんが栗林中将に関心を抱いたのも、将らしからぬ、日常些事をつづった手紙からでした。

大本営への電報で、最後に辞世の歌を詠まれています。
国のため重きつとめを果たし得で矢弾つき果て散るぞ悲しき

梯さんは、雑誌等に人物評などを書くフリーのルポライター。同書は単行本第一作で、大宅壮一ノンフィクション賞も受賞しています。本当に、読んでいる間は涙を禁じえませんでした。「こんな日本人がいたんだ」と知っておくことは、今を生きる日本人の義務でさえあると思います。

硫黄島戦について知りたい人、栗林中将に興味のある人、リーダーについて学びたい方、単に本で泣きたい人も、ぜひ。

なお、渡辺謙主演の『硫黄島からの手紙』という映画も感動的でした。


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1 コメント

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Unknown (ぐるぐる)
2011-09-15 15:28:50
ちなみに、当時、エリート軍人の留学先は、ドイツ、フランス、ロシアが多く、アメリカは少数派です。

アメリカ人の友人知己を得た。圧倒的な豊かさを自分の目で見知り、対米戦に勝ち目が無いと悟っていた。アメリカは、最も戦いたくない相手ですが、その戦争の最前線に立ったというわけです。人生のいたずらを感じずにはいられません。
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