ソプラノ歌手 中川美和のブログ

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国内旅行・1

2011-03-30 05:16:01 | ドイツのこと
友人との国内旅行記、さくさくと

友人Kちゃんは大学からの仲良しです。一時帰国以来会ってなかったから、超楽しみにしてました。今回は普通の観光旅行さー。
今回の予定は、ポツダムベルリンドレスデンミュンヘンです。

そんなわけでミュンヘンからまずはポツダムに行きました。と言っても、まず手始めにベルリンに入らないといかんので、朝早く起きて、ミュンヘン空港からエアーベルリンで飛びました。飛行機だとすぐです。
エアーベルリン、いわゆる格安航空会社なのですが、格安系では大手で、TVのCMでそりゃもうよく見るんですよね。不思議なもので、CMで見ると、何か安心な気がしてしまう。何故…?
ベルリンにも無事に到着しまして、そこからは普通の電車で40分くらいかな。ポツダムに到着です。

おういえ~。ポツダム~はうぷとばんほふ。


※ドイツは都市ごとに中央駅(ハウプトバンホフ)というのがあります。ミュンヘンの中央駅、ベルリンの中央駅、というように。
で、写真はポツダムの中央駅という訳です。

そこから、まずはツェツィリエーンホフ宮殿内にあるホテルにいきました。そしたらそこが、すっごい雰囲気ある部屋で

Kちゃんと2人で、『女2人ーっ!!それでこの部屋ーっ!!本当に意味ない~っっ!!』
と、絶叫しながらキャッキャ喜んでました…一抹のむなしさも感じながら。
2人の心の声は同じだったと思います。→「…ちっ、こういうとこには男と泊まりたいもんだぜ…」

更にせっかくだから、自虐的に女2人でベッドに座って、はいチーズ。



Kちゃんは余裕の笑顔……そういや昔からお洒落な彼女だった。色っぽいし…あぁ、自虐的なのは私だけか…orz
私、ドイツでは完全にすっぴんのクセがついてます・・・でもこれ、ヨーロッパにいるアジア人の人はわかってくれると思う…
ちなみに私はピースしかかって、ブレてます(笑)

さて。
ツェツィリエーンホフは、ポツダム会議が行われた場所。しかし、そんな会議が行われた割に、びっくりする位、平和なのほほんとした場所です。
ていうか、よくこんなとこでそんなマジな会議、ガチでできるよね!?といった雰囲気。

だってほら。



反対側なんて、湖なんですよ。本当にほのぼのとしている…

…なんかさ、BBCのホームズ(ジェレミー・ブレッドのやつね。声はもちろん露口茂で)とか観てると、こういう場所で、向こう側から女の人がドレス翻して走ってきてさ。

「きゃー!誰かー!!誰か来て~!
・・・とか何とか叫んでくるの。それが事件の発端になったりするよね。そういう時ってかえって周りはほのぼのした雰囲気なんだよね。

で、この庭でKちゃんと2人、外のベンチに座って、「あ、スズメ…」とかやったりしてました。そういうのほほんとした雰囲気が、実によく似合う場所。
ここで、ポツダム会議かあ…行ってみないとどんな所かわからんねえ…なんで、よりによって、ここで…

会議が行われたという場所を見て回ったりして、それからサンスーシ宮殿に向かったとですよ。


サンスーシ宮殿。


「憂いのない」という意味らしい、サンスーシ宮殿。中も王さまの離宮らしく、とにかく綺麗のひと言。写真を羅列しても、私の腕ではあんま面白くないと思うので、敢えて省きますが。ネットでも見れるしね。



でも、この宮殿内にあった、私の一番のお気に入りは、その近くにあった東屋。
何かいいなー、こういうの。


オペラで逢引場面に使われるような東屋って、こういう所かな?
少し外から見えすぎだけれども…




そんな中、
あっ!!みわちゃん、見て見て! あれすっごい素敵 !!」

Kちゃんのただならぬ声に、どんな素敵な建物だろう、と振り返ると、



…うむ、確かに、素敵だ。つーか、かっこいい。

女は男の制服姿に弱いと、何かに書いてあったけれど。勿論私たち二人も例外ではないのだった。

いやんかっこいい ←ていうか写真撮ってんなよ…
…でもこの人達、何の制服なんだろう…

唐突ですが、長くなったので、続きます。




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ただいまー

2011-03-27 04:45:26 | 普段のこと
ドイツ旅行からただいま帰りました~。ミュンヘン(も、ドイツか…)の自宅なうでございます。
疲れたん…でも楽しかった

ベルリンで観た『ナクソス島のアリアドネ』があんまりイケてなかったので、この日記書きながら、お気に入りのDVD(これ。オススメ。)観て耳直しなう(-ω-)性格悪いか…?でもだって演出以外はいまいち良くなかったんだもんよ…

そのあと観た、ゼンパーオーパーの『後宮の誘拐』はおもろかったよー。

そして一緒に旅行してた友人はいま私の家で、スーツケースを広げて、重量超過しかかっている荷作りに悩んでいる。
がんばり~。

帰還のご報告まで!


@ゼンパーオーパーの前。




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これで最後。

2011-03-22 23:44:17 | ドイツのこと
長くなりましたが、最後に。今回の日記で、これ以降は、もうあまり震災の話には触れないと思います。もちろん、必要を感じたら触れる事もあると思いますが。
でも忘れていません。忘れられるわけがありません。
敢えて、今までのようなブログに戻ると思います。不謹慎と思われる方もいらっしゃるかも知れません。

しばらくはそういった、オペラを観たり、などといった普通の日記を書いたりする事を自粛した方が良いのかとも思いました。でも、書くのを自粛しても、自分がドイツで遊んだり、オペラを観に行ってるんだったら、それは何の意味がないと思ったんです。
これはあくまで、私自身の行動の意見です。

でも自粛と言っても、いつまで自粛すればいいのか私にはわかりません。
自粛するなら、おそらく復興が完全にできるまで。

でも復興と言っても、ひとくくりにはできない。被災地に暮らす人が親戚にいる友人から話を聞きました。親戚たちは、
「ここを捨てるしかない」
と言ってるそうです。
私は又聞きなので、くわしくは延べませんが。その位の惨状だと。そして報道されない部分に、いろんな事情があるという事もくわしく聞きました。だからこそ復興はそう容易ではないという事も。

そこをまた取り戻すために復興だ、頑張れ、と言い続けるのも酷な事なのかという事に気づかせてもらいました。
その人たちの人生をただ、復興のみに使えというのかと。

でも、それでも、やはりそこに住みたいと思う人もいるでしょう。一生かけても、それでもそこで生きたいと思う人も。

正解なんてないと思いました。
復興するまで自粛、なんて言えませんでした。(あくまで、私自身の意見です。)
ですから自粛するなら、そんな彼らの気持ちが全部癒えるまで、ではないのかと思ったんです。

そして、被災された方はもちろん、おびえている東京の家族や友人知人が地震の事をすっかり忘れ去る事が出来るまで。自粛するなら、私はその時期まで自粛すべきだと思いました。(しつこいですが、あくまで私自身の意見です。)
でもそれは、無理です。一生自粛し続ける…無理です。

じゃあせめて、買うつもりだったオペラのチケットや、旅行のお金も寄付しようかと思いましたが、じゃあどれを寄付すればいいのか、となった時、線引きができなかった。
この公演のチケット代は寄付して、この公演は観るの?
それだったらそもそもこの、海外暮らしの費用だって寄付すべきじゃない?
でも、どうやって、寄付すべきお金の線引きをするの?そんなの、どうやって決めていいのか分かりませんでした。

まだまだ迷いはあります。

スーパーに行ったら食べ物がいっぱいに並んでいます。でもじゃあ、私たちがスーパーのその食べ物を食べなければ、正しいのか。輸送もできないのに。
夕方、電気を消してみて過ごしてみた事もありました。節電したらどうなるんだろうと思って…
でも元々炊飯器は使わないし、冷凍庫は元々大して機能してなかったので、あんまり普段と変わらなかったです(苦笑)
でもそうやって節電し続けても、ドイツの電力が送れるわけではない。

ドイツの過熱していく原発報道。他にも問題は山積みなのに。それなら、今回の問題は、原発が片付いたら終わりじゃない。
でもどうしてもテレビをつけてしまって、ニュースを見てしまう。
救助隊もすぐに帰ってしまった。

優しいドイツの人たちも知っているのに、こんな一面にも気づいてしまうのも辛い。


そんな事をしているうち、無意味な事はやめようと思いました。
もちろん、自粛すべき選択を取った方はそれで構わないと思います。それがその人の選択なのですから。
でも私は自粛という選択を取りたくありません。何故ならそれは、一生自粛し続ける事なんです。私の中のラインでは。

それが無理なら、もう、自粛をしないで動くという選択肢だけです。動くと言っても、大した事は何もできません。
私の役目はいつも通りに過ごす事。今までと変わらず、ご飯を食べ、寝て、オペラを見て、歌います。

明日から、友人と旅行の予定があります。

もう友人に会いたくてたまりません。
今まで当たり前のように会えていた人たちと会えるという事が、どれだけ幸せな事だったか。
友人の笑顔が見たい。それが私の喜びです。彼女が生きていてくれてよかった。生きていてくれて、楽しそうに笑って、おしゃべりして、ご飯を食べてほしい。
それ以上に望むことなんてありません。

大事な人にいつでも会える。
普通の昨日の次に、普通の今日がある。
今回の震災で、そんな事が当たり前じゃなくなった時。今までの生活がいかに恵まれていたか、気付きましたが。
でもやっぱり、それでも、その事が「当たり前」であってほしいんですよ。
だから当たり前の事として、普通に友達とも遊び、買い物し、ご飯を食べ、寝て、オペラを見ます。

次からは、そういう日記を書こうと思います。 ごく普通の日記です。

それは「当り前」でなくてはいけない事だと思うので。 そういう生活に戻すんだ、という気持ちもこめて。

本当を言うと、歌はまだ歌えません。 歌うと必ず泣いちゃってね。 宗教曲なんて絶対無理です。

でも、戻さなくてはいけない。当たり前にしなくてはいけない。地震が奪った当たり前の幸せを、返してほしい。
被害から一番遠いところにいるであろう私がそう思ってしまうのです。日本に、増して被災地にいた方たちはどんな思いなのか。想像する事すら出来ません。
日本という国を、元通りにしたい。それには、本当に小さくても、でも、やれる事からやらなくてはいけないと思いました。

本当は家族親戚、他の友達にだって会いたい。許されるなら飛んで帰りたい。
でも、それは自分が愛する人たちの顔を見て、そして故国に帰って安心したいだけ、という気がするのです。今私がするべき事は、そうじゃないと思うのです。
しっかり発言する事、前を向いて進む事。相手の目を見る事。

地震におびえたくない。負けたくない。

甘い事を言うな、そんな生易しい状況じゃない、という声が聞こえてくるようです。
確かにその通りだと思います。
でも地震の恐ろしさはドイツからではわかりません。だからこそ、その恐怖を味わう事がなかった人間が、今、とても立てない状況の人の代わりに、しっかりと自分の足で立たなくてはいけないんだ、と、私はそう思います。
怖くなかった分、恐怖や辛さで足が震える事はないんです。
立って、歩き出すべきは、被害を受けていない自分だと思いました。

オペラも見ます。お茶も飲みます。ご飯も食べます。
私は普通に暮らします。
当たり前の生活をするんです!普通に生きるんです!
これが当たり前の生活だと胸を張って言うんです!!

だからこそ、当たり前じゃない避難所の生活、避難できても寒くて亡くなってしまう方、他にも家に居ても辛い環境の方…

私には到底分らない、考えられないようなという生活。それを、当たり前の生活に一刻も早く改善すべきだ、と、私のように普通の生活をしている人間が、誰よりも声高に叫ばなければいけない気がするんです。

普通の生活をしていることに、罪悪感を感じる方がたくさんいらっしゃると思います。でも、それがおかしいんです。
あの日までは、誰しも普通の事だったのに。

私も、食事するたび、布団に入るたび、罪悪感は変わらずですが。罪悪感を生み出したのは何?いま、苦しんでいる人たちを生み出したのは何?
悲しさと怒りと、責める矛先を間違えてはいけない。
そして、責めても何も生まれない。
なら、動くべきだと思いました。

気分を害された方は申し訳ありません。

けれど、私なりに悩んで考えた結論です。言わずに、こちらでの生活を曖昧模糊とした日記でごまかして、旅行した事、自分がオペラを見ていること、それを悪い事のように隠し続けて、うやむやにしたくない。

それで私のブログを見るのに不快感を覚えて、私自身と疎遠になる方もいるかもしれません。でも、それが私という人間です。私は自粛しません。生活をして、歌の勉強をし、そして遊びます。
これが人間の生活のはずです。後ろめたい事ではありません。だって、地震がなければ別に後ろめたい事ではなかったのですから。
当たり前の日本を取り戻しましょう。

ご飯を食べて、寝て、オペラを見れて。遊べる事が普通の世の中にするべきなんです。後ろめたく思うような事ではないはずなんです。十日前まではそうだったのに。

だから私は、ご飯食べて、寝て、オペラを見て、旅行もします。

そんな当たり前の日が、後ろめたくない日が少しでも早く来る事を祈って。

私信になりますが。
両親へ。ドイツで勉強させてくれてありがとう。今はこうしてただ練習するしかできないけど、それでも応援してくれてありがとう。
この国で音楽家としてできる事は全然ないけれど、いつかどんな形でも必ず人の心に残るような歌い手になれるように努力します。

そんな当たり前に努力できる事が、どれだけ幸せな事なのか、やっと気付きました。本当にありがとう。
そして、おばあちゃん、お兄ちゃん、ジニちゃん…親戚や友達の皆。
私の歌を聴いて下さった方。このブログを見て下さっている方にも。

生きていてくれてありがとう。
本当に心から思います。
こんな当たり前の事がこれほどまでに幸せだなんて。こんな事が起きるまで気付かないなんて。

本当は、すごく日本に帰りたいです、たまらなく帰りたいです。
でも、今はドイツにて、普通に暮らします。それが私の役目です。

そして、ドイツのこんな記事も見つけました。個人の方がブログでドイツの週刊誌の記事を翻訳して下さったものです。

ドイツ『週刊経済』誌 編集長 Roland Tichy氏のメッセージ
(ブログ内の、最初のドイツ語見出しをクリックすると、元のドイツの記事に飛びます。)

ドイツの中には、ちゃんと報道してくれている人もいる。という事は、きっと情報の取捨選択している人もいるに違いないのです。
落ち着いたら、やっとそういう事にも気づけるようになりました。

三回続けて、重いブログになってしまってすみません。


次の日記からは、通常仕様に戻ります。能天気だと思う位ね。

明日から友達とドイツ国内旅行です!そんなわけで一週間ほど更新あきますよ~。




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ドイツの優しさ

2011-03-19 03:36:41 | ドイツのこと

長い日記ですが…失礼します。
日本、まだまだ落ち着きませんね…
なのに私の周りの人…家族や友人たちからは「日本の事は気にしないで、みわは歌の勉強に専念してね」と言われました。

でも

専念できるわけないですよ。

友人は近しい親戚が行方知れず。東北出身の友人も数人。
知り合いで福島在住の人もいる。「負けないぞーっ!」て言いながら。ずーっとドイツで何ができるか何ができるか…て考えて。

本当は自分が何か音楽活動でもって返せればいいんですけれどね。日本にいれば音楽でできる事もあったのかもしれないけど。 でも、今はできないし。 自分がそれなりに著名ならば、ネームバリューでもって出来る事もあるんでしょうけど…

歌の練習しても、ドイツ語の勉強してても意識の八割は日本の事。出るのはため息ばかり。
ドイツ語で会話してても、突然無意識に日本語になり、
「…何言ってんの?」
て相手に言われる始末。うおう意識飛んでたぜ、みたいな。

でも、いまもっとも大変なのは、被災地の人、そこで命がけの活動を行っている人、そして被災地じゃなくとも、それなりに混乱起きている地域の所。東京の人たちだって、私から見たらそれなりに被害受けてるよ・・・て思います。原発におびえ、余震に驚き、買い占め問題、停電…て。ドイツでは考えられない事です。

で、前の日記でも少し書きましたが。
地震直後。こちらの知り合いで、日本人である私の顔を見たとたん、抱きしめて慰めてもらったり、ドイツ人さんが励まそうとしてくれて、元気出してね、て、お花くれたりして。 ドイツの人の(ドイツ人以外も多かったです。)の優しさに触れて。すごく嬉しかった。
嬉しかったけど、でも、その気持ちが必要なのは私じゃあないんですよ。もっと必要な人が他にいる。

彼らにとっていちばん身近な日本人が私だったんですね。つまり、
日本=私
…という図式なわけですよ。

だから、私に優しくしたら、日本に対して何かしたような気持になるのではないのかと。いえ、非難しているわけじゃありません。その暖かい気持ちはうれしいんです。実際なぐさめられましたしね。
だったら、そのドイツの人たちの暖かい気持ちを、支援という形にして日本に届けられないかなーと思って考えてみました。

例えば、外国人さんからの笑顔の写真や、とか励ましのメッセージ…色々あると思います。それでパワーをもらえるのも事実。
…けどほら、そういうのってセンスとか気配りいるじゃないですか
あいにく私、男らしいとはよく言われるのですが女子力はそれなりにマイナス値…だからそういうセンスは難しいかなと思うわけで…orz

ドイツは節電もないんだから…と思い、ネットフル稼働で調べると。災害対策のプロ以外ができる、誰にとっても確実な支援は『金』。

おお、合理的。
だったら、やっぱり募金なら確実かなーって。結局普通な考えだけど、そこに落ち着きました。

でね。ドイツ赤十字とゆーのがあります。
あの『赤十字』@ドイツです。今そこで日本への義援金募ってんですよ。
これです。→ ここをクリック

リンク先のドイツ語はというと、
『いま日本は大変だから募金しよう!振込先はこの口座ね。オンラインでもできるよ』
…的な内容。(略しすぎ…)
そこで集められたお金は現地で救助活動を行っている日本赤十字にいくそうです。


募金する側も、お願いする側も、著名なところの方が不安がなかろう、と思い。とりあえず上記のドイツ赤十字のページをプリントして、毎日持ち歩いて、出かけたり買い物しに行ったりした時に、良さそうなお店屋さんを見つけたら、その紙を貼ってもらえないか頼む事にしました。

お店の人が貼ったらお客も見るし、お客が見なくても、少なくとも店員は毎日見るよな、て思ったんです。そしたら、店員さんだけでも、1ユーロだけでも寄付してくれるかもって思ったのでこういう形にしてみました。
私もしばらくこちらで過ごす以上は、ミュンヘンの中の色んなお店に行くでしょうし、また、他の都市にも行くでしょうしね。
また、観光名所での募金は既にしてる人もいるみたいだし、色んな方法があった方がいいかなと思って。

ただ募金と違って、確実に金額が集められるものではないし、この方法が良いのか未だに自信ないですが…
…しかもヘタレで、まだ本当に数軒しか回れてないんですけどね…すんませんごめんなさい…

で。プリント持って、「これ貼って~
と、お店に頼んでみると、反応はそれぞれ。でも、貼ってくれる確率七割ってとこですかね。なかなかの高打率

ちなみに、地震直後に私を抱きしめて慰めてくれたタイ人のお店の人は、「喜んで貼るわ!」
て言いながらプリントを受け取ってくれ。私も振り込むわーといいながら、口座番号を書きとめてくれました。うれし~

もちろん断られる時もあります。その時に、Nee(強い否定)って言われる事もあります。
でもお店ってそれぞれですからね。お願いした人が権限のないバイトさんの場合もあるでしょうし。また、店内の雰囲気は営業形態にもかかわってくるから。あんまり気にしない事にし。

OKしてくれた中には、トルコ系のお店だったんですが。他の客ほったらかしで私の目の前でペタペタと貼りだしてくれ。しかも「もう一枚ある?」と言って、店内で一番目立つ柱の両側に貼ってくれました。

また、別のOKしてくれた店は、私が頼んだ時はお客が少なかったのですが、急に店内が混みだしたので、プリントを持ったままの店主があわててお客の対応に回り。お礼を言って去ろうとした私の背中に、
「明日、お店を開ける時に必ずドアに貼るからね!」(その時閉店間際だった)
とさけんでくれました。
(後日、見たらちゃんと貼ってくれてました


また別の時。
もったりもったりと歩いていたら、広場出たのですが。 そこに赤いキャンドルが並んでて。キャンドル文字でJAPANて書いてありました。 日本人がやったのかしら、うれしーなー、と思いながら、プリントを取り出して、キャンドルの下(火はついてなかったので)に挟んだら、近くにいたドイツ人の男性が、日本人なの?と声かけてきました。
うんそう、と話し始めたら、彼がそのキャンドル文字を作ってくれたとのこと。

彼はもうドイツ赤十字への寄付はもうやってくれてるらしく。それでも私が勝手に置かせてもらったプリントは、もちろんそのままにさせてくれました。
私が、 「友達の家族が、まだ見つからないんだよね」
と言ったら
すっ、手を合わせて、すごく自然に祈ってくれました。

↑はい私、号泣フラグです。
しかもティッシュをたまたまもっておらず。マフラーで大量の涙と鼻水を拭くという大変な事に(笑)
ユニクロのマフラーでよかった…

けれど、一番貼りたかった銀行は無理でした…
プリントには口座番号が書いてあるから。気軽に振込しやすいかな、と思ったのですが。銀行に用事があった時に、ダメもとで頼んでみたんですよ。まーああいう場所は難しいですかねえ…

ただ、私がお願いした人が、貼るのは無理だけど、と言いながら私の前で口座番号を書きうつして。
「自分は振り込むし、同僚達にも伝えておくから」
と、言ってくれました。


本当はこの日記書こうかすごく迷いました。何か上手く言えないんですけど、ひけらかすような、といいますか、善意の自己満足になってないかな、という気がして…
でも私がドイツにいるからこそできる事って考えた時、ドイツ人の優しさを伝えられたらな、思ったんです。
ドイツの人も(ドイツ人以外も含めて)日本の事気にしてくれてるよって伝えたかったのでやっぱり書く事にしました。

日本では義援金の送り先は、いまあらゆる所に見かけると思いますが、はたしてドイツでは、その義援金の送り先を知ってる人がどれだけいるかな、と。今のところ、義援金の募金箱はあまりみかけません。

けれど、ドイツのテレビでも新聞でも連日トップニュースだったので、日本が大変な状況なのはドイツでも知られている。だから、お願いすれば、義援金に賛同してくれる人がいる。
そして、その義援金の送り先を皆に知らしめる事に賛同してくれる人達がいるよ、って。 それを日本の人に伝えたかったんです。だから敢えて書きました。


・・・本音を言いますとね。
本当は、ドイツの人たちに、きちんと今の日本の現状を説明して、何が問題なのかを伝えたうえで、募金をしてくれ、と自分の気持ちをきちんと言えたらいいんですけれどね。
そして今回の震災の問題は今だけではなく、一年後、五年後…と長い間続いていくでしょう。
そういう事まで伝えられて、ドイツ人たちに対して、初めて注意喚起と言え、その上で募金という行動に移してほしい。
そういう気持ちは、日本に一番必要な、今後何年にもわたる支援にもつながると思うのですが・・・

でもドイツのコミュニティにも属しておらず、語学力も不足している私には、お店にプリントを貼って、てお願いするだけの乱暴なやり方ですが、これが精一杯です・・・お恥ずかしい。

せめてもの罪滅ぼしではないですが、これからもじわじわとやっていきたいです。募金と違い、目の前で現金が動くわけではなく、ただプリントを貼るのをお願いするだけの事なので、今後取り立ててご報告はしないでしょう。

そしていま、日本で音楽活動を行ってる皆さま。予定されている公演が成功する事を願っています。

今は音楽でもって日本に貢献できない私ですが、いつか必ず、私も皆さんの仲間入りができるようになりたいです。
そのために、私はいまドイツで勉強しているんですから。




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日本の地震

2011-03-12 06:13:00 | ドイツのこと
皆さま、このブログをご覧になられているという事は、少しは落ち着かれたのでしょうか。

日本は大変でしたね。日本の地震はドイツでもトップニュースです。今現在、夜の11時なのですが、かれこれ二時間、ずっと日本のニュースやってます。

幸い私の家族、友人たちには今のところ身体に影響のある被害に遭った人はいないのですが、そのご家族、親戚、友人などになってくると、全然状況は変わってきますね。とにかく無事を祈るのみです。

なので私も、もうこちらのテレビにかじりつきです。ニュース見っぱなしです。
しかし、ドイツのマスメディアも大げさに歪曲するつもりもないのでしょうが。そして、私の語学力では大雑把にしかわからないというのもありますが。

テレビという媒体の性質上、震源地付近のインパクトのある映像をいくつも流すわけで。
そういうのばかり見てたら、日本全国、こういう状態なの!?と思ってしまってかなり不安だったのですが。私の実家&友人が多い東京は、幸い、そこまでの被害ではないようですね。
でも、何時間も歩いて帰ったり、帰宅難民になってる家族、親戚、友人がいる中、自分一人がドイツでのうのうとしてるのかと思うと、何とも言えない気持ちになります。しんどくなります。
でももっとしんどいのは言うまでもなく、日本の皆なんだから、しんどいと思う事すら筋違いのような。

さて、耐久レースのようにテレビを見続けていると、
『日本は140年ぶりの最悪の自然のカタストロフィー』 とか、字幕が出て。
やめてくれ、と叫びたくなります。
でもテレビを止めるなんてできないんですけどね。心配で気になって仕方がない。新しい情報や、東京の映像が映ったりするから。仮に情報がずっと前と変わらないままでも、テレビを消してしまって、何も分からなくなるのは一番嫌。



日本で地震があったのはこちら、ドイツの時間で早朝でした。
一大事、と思い、家族や友人たちとやりとりして。ようやっと少しだけ落ち着いて、ドイツの時間で夕方に出かけたところ、こちらはとても天気が良かったのです。
お散歩してる人がたくさんいました。謝肉祭の余韻がまだ残っていて、まだほんわかした雰囲気。そんな中、おじいちゃんとお孫さんが楽しそうに手をつないで歩いているのを見て、何とも言えない感情が湧いてきました。

もう叫びたいような、泣きたいような感情で。
悲しいのと、羨ましいのと、罪悪感と、不安と、焦燥感と…上手く言えないんですけれど。本当に味わった事にないような感情がこみあげてきて。

自分にとっての故郷ってこういう事なのか、と思い知らされました。
故郷に何かが、ある。あってほしくない。
そして、そこにいる大事な人たち。かけがえのない人たち。


ドイツに来てから知り合った人たちが時々話してくれました。
故郷から逃げ出した話。留まらざるを得なかった、故郷での政変。帰れない故郷、変わっていった故郷。
それは結果としてネガティブな事であったりポジティブな事であったり、色々でしたが。日本という国で平和な時代に生きてきた私には、その話はまるで小説や映画のように現実味がありませんでした。

そして、今日。
自分の母国の映像が、まるで特撮映画のワンシーンのように、ニュースで繰り返し流されているのを見ていると、これは悪い夢ではないだろうか、と思えてなりません。

そしてそんなテレビを見てから、外に出ると、うらうらとした春の光が迎えてくれます。
子供はパンをかじりながらきゃっきゃ言っているし。
私は何をしているんだろう?
と思います。こんなやわらかな暖かな中にいて。

しかしまた、家に帰ってテレビをつければまたあの映像が流れ、メルケル首相がコメントを述べています。

同じ時間が流れているとは思えない。

故郷を離れると言うのはこういう事なのか、と、ほんの少しですが思い知らされました。
以前、人から聞いた話ですが。
作曲家たちが、どんな気持ちで故郷の曲を書いたのか考えろ、という言葉をきいた事がありました。その欠片を、少しだけ垣間見た気がします。
そして、自分がいかに日本という国を理屈抜きに愛していたかを思い知りました。

でも、今は帰ってはいけないんだな、と。
何故なら、いま日本に帰っても私には何もできないし、することなんて何もないし、(私の実家付近は特にそんなに被害もないようなので)むしろドイツにいた方が、周囲の人間にしてみれば心配の種が一つ減るのでしょうから、そちらの方が良いに決まっているんです。
理屈ではわかっているのですが、何とも言えない焦燥感にかられてなりません。

でも理性でこちらに留まりまして(そりゃそうでしょ)、とりあえず、ネットやテレビやツィッターで、日本の情報をとにかくチェックしています。

ただ、全然予想してなかった事なんですが。
こちらの知人が、昼間、私の顔を見るなり『日本、大変だね』と言ってくれ。泣いてしまい。
その後、他にも知り合い程度の認識しかなかったこちらの人たちに慰めてもらい、やはり号泣してしまいました(恥)

あー、人ってお互いがいて、生きてるんだなあ、と。
私は何もできないんですけどね・・・いつかこういう事も音楽につながるんでしょうか。

最後になりましたが、今回の地震で身体的、もしくは精神的な被害に遭われた方、それから本当に残念な事に、亡くなられた方のご冥福、そしてそのご家族、ご友人の方に心から祈りを捧げます。





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