フォルクスワーゲン・アウディーを中心に車に魅せられた中澤寛のホンネワールド!
僕の心の中をちょっと見せちゃう?!
横浜のノンビリ社長ブログ---My private time(Blog)
最後のドライブ(宮型霊柩車)

取材日:2017年9月26日
<プロローグ>
ブログに霊柩車を載せるなんて
気味が悪いと言われそうですが、
少しお付き合い頂きたい。
数か月に及ぶ闘病の後、
他界した父の為に、
選ばなくてはいけないのは葬儀の内容。
遺言を尊重して家族葬にすることは
決定して居ましたが、
その他は、何も決まらず。
以前、数多くの父の友人達の葬儀を手伝ったものの
内容までは関与していませんので、
すべてが新鮮で、悩ましいのです。
「それでは御棺を先にお選びになられては」
と言う葬儀屋さんに、僕が言った一言は
「すみません、霊柩車のカタログを見せて下さい」
不審な顔をした若い担当者は、
各種霊柩車が表示された
ページを見せてくれました。
その時、生前の父が言っていた事を思い出しました。
「戦後日本車は、多くのデザインを
海外から習って来ましたが
木製宮型霊柩車だけは、日本人にしか出来ない
独自の素晴らしいデザインなんだよ」
その言葉を思い出して、
エスティマやクラウンワゴンベースの
の洋型霊柩車ではなく
車体の後ろに「お宮」が乗っかった
モデルを選んだのです。
それもクラウンではなく、
フォード系リンカーンベースを選びました。
戦前横浜生まれの父の発音だとリンコン。
意外にも利用価格は、かなりリーズナブル。
それよりも、葬儀屋さんの方が慌て始めました。
どうやら、宮型霊柩車の需要が全く無いので、
本当に注文が来るとは思わず、
かなり驚かれていらっしゃいました。
そして、何度も、
「キャンセル出来ないですから・・・」
どうやら、宮型霊柩車の出番は、年に2回ぐらいだという。
<出棺の日>

我が家に現れたのは、正規輸入された
3代目リンカーン・タウンカー。
この車の後部を、この霊柩車を所有している
業者さんの元で架装したとのこと。


エンジンは、4.6リッターのV8。
これをFRで駆動する。
まさにアメリカン。

タイアは純正と同じサイズの225/60/R16を装着。
この車は、ダンロップ・ルマンを履いて居ました。

正規輸入の日本仕様ベースなので、
スピードメーターなどは、マイルではなく
km/hが中心の表示になっています。
内側にマイル表示があるのでカナダ工場製かも知れません。

前の座席から前方は、
全てノーマルのタウンカーと同じ。
フォード系の乗り味は、GM系キャデラックより多少
スポーティーなので、ハンドリングはシッカリしているハズ。

全席から後ろは、完全にカットされているで、
壁で仕切られています。

Bピラーから後ろは、車体下部が鉄で補強され、
上部には、木製のお宮が載っています。



本国ではオレンジ色ウインカーの設定が無いので、
バックランプをオレンジ色に塗装してウインカーにして
バンパーにバックライトを装着しています。
これは、正規輸入では良く行われる改造で、
元はヤナセが1970年代に発案した方法です。

多くのクルママニアが興味深々のリアドア。
ここが開くのか、開かないのか、
物議を醸していますが、
これは左右ドア共にちゃんと開いて
中はトランクスルーになっています。

左側から撮影。
スペアータイアや車載工具、
洗車キットに、喪主の方の為の傘が
収納されています。

左リアドアの内側上方を撮影。
本当に木製で出来ている。
現在社会で木材を使っている車は
モーガンと、トラックの荷台、
そして宮型霊柩車ぐらいのものだろう。




オープンカーに付いて居るような出っ張りは
雨天使用時や長期駐車中に掛けて置く
ビニールカヴァーの固定場所。

最後のドライブに出た父の車は
第三京浜を優雅に走り抜けます。
運転手さんに聞いた所、
後ろを走る親族のお車の最後尾を考えながら
運転しているとの事。さすがプロ。

今や洋型霊柩車が増えたので、
注目度は抜群。
因みにこれらの中古車は、
かなりの数が東南アジアに輸出され
大切に使われているそうです。

ドライブも終点の久保山(火葬場)に
到着しました。
火葬場の方によると、宮型の登場はかなり珍しく
年に1~2回だそうです。
また、大物有名人でも使わなくなったので、
「誰の葬儀だろう」
と思われていたようです。

最近は火葬場の近隣住民や、通行路の方から
宮型霊柩車への風当たりが大変強いそうです。
その気持ちも十分に分かりますが、
車を愛する者にとっては、
世界唯一の宮型ボディーワークに
深い興味と、和の文化を感じるのです。
<エピローグ>
父の死から4年を経て、
やっと書く気になったこの記事。
当時は、葬儀より車の方が興味深々で、
出棺時間が遅れそうになりました。
またこの取材については、
なかなか理解を得られず、
事前にかなり関係者様に交渉して、
撮影許可等を頂きました。
きっとネガティブな事を書かれては困ると思った事でしょう。
僕の想いを理解して下さった、
葬儀社様、ドライバー様、関係者様には心から感謝致します。
そして、最後まで僕のワガママに付き合ってくれた父には、
「ありがとう」の言葉を送りたいと思います。
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霊柩車にのりました
近くで見ると本当に技術を感じました
故人をお見送りする為だけに作られているだけあって、
本当に素晴らしい技術とデザインを兼ね備えていると思います。