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鱒釣楽の近況

渓流釣行・散策遊行、そこで出会った魚・花・蝶・人などの記録です

No13青堀に行った

2024年03月23日 23時36分33秒 | 遠地ウオーキング
 川崎山手から房総半島君津の交通要所の木更津まで、車だと渋滞が無ければ東京湾アクアライン経由だと55.4km・1時間ちょっと、湾岸経由だと123Km・1.5時間ちょっと、JR電車では106Km・2.5時間で行けます。かみさんと安房・夷隅の観光温泉三昧に車で通過して目的地に行っていました。仕事では君津に電車で通うこともありました。三浦半島横須賀から東京湾対岸の房総半島富津に、遠地ウオーキング No11衣笠に行った ので、対岸に望んだ富津青堀を歩くことを計画し実行ました。
 川崎山手の町の家からJRE青堀駅まで横須賀線直通快速・内房線各停で乗車距離116.7kmです。今回のウオーキングルート設定も国土地理院地図電子国土Webに加え、車道をウオーキングするのでGoogleストリ-トビュ-を使いました。

 当日は川崎山手の町の家を5時30分に出発し、矢野口駅5時52分に乗車し、千葉駅出発後に車内案内で内房線が強風の影響でダイヤが乱れていることが知らされており、青堀駅にちょっと遅れて8時50分に着きました。天候は天気予報どうり晴れ、気温は3~10℃、3日前から強風注意報が出ており現実に帽子が吹き飛ばされる冷たい強い西風9mが吹き荒れていました。裏起毛のズボンを履き、ウインドブレーカを着て、帽子を深くかぶり、手袋をつけ、厚手のマスクを鼻口につけて駅を出発ました。現実に駅前は北西の風が強く吹あがっており、計画していた、案1 海岸を歩く富津岬往復15Km往復 は海風海水でべちょべちょになりそうなので止めて、案2 内陸を歩く富津内裏塚古墳群10Km周遊をしました。コースは青堀駅から地図に紫色線付けした舗装道路を周遊10.6Km 1.8万歩 ハートポイント(強運動)19 4.6時間のインターバルウオーキングをしました。途中、幹線道路・生活道路を通ったので車は多くはありませんが走っていましたが、人とは全く会いませんでした。途中に利用できるトイレはありませんでした。北西の店が冷たい強い風の吹いていた影響なのか商店街では 本日は休みますの表示をしている店がポツンポツンとありました。帰りは朝と逆経路の乗車予定電車はかなり遅れていましたが、とにかく青堀駅に遅れてはいるが来た電車に乗り、結果はほぼ予定どうりの15時50分に家に無事戻りました。楽しい一日でした。
 遠地ウオーキングエリア(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 青堀駅周辺経路地図(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 青堀駅ホームと駅舎を繋ぐ線路跨線橋(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 青堀駅駅改札を出てロータリーを右に進み、南東を望むと駅舎、駅舎の右側にホームと駅舎を繋ぐ構内線路跨線橋、駅舎の左側に内房線歩道橋が見えます。北西を見ると小さな丘が見えます。丘は上野塚古墳です。駅舎前に戻り歩道橋を渡ると南西にこれから歩く富津内裏塚古墳群、北東に商店街が見えます。空は快晴です。強風注意報が発令されいなければ富津岬の往復に向かったのですが、強風中なので内裏塚古墳群と商店街の周遊に、帽子が飛ばされないようにうつむき加減で歩き始めました。
 駅前ロータリー(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 ロータリーの上野塚古墳(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 富津内裏塚古墳と奥に稲荷山を遠望(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 内房線歩道橋を越えて右に折れ県道157号線に出て南東に進み、道なりに左に曲がり北東に住宅・田園・雑木林の傍を進むと小糸川に着きます。
 県道157号線(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 小糸川(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 県道157号線を南西に引き返し、二間塚の東側を巻くように西側に出て進み大里塚に向かいました。
 二間塚を巻く道路(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 二間塚の東側に戻り左に折れて進むと内裏塚古墳の入り口案内板があります。内裏塚古墳群でここは内部を見学できるように整備されていました。木々が生い茂り風も弱くなっているので整備された塚内をゆっくりと歩きました。
 内裏塚古墳(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 
 内裏塚古墳の現地案内説明(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 帰る時間が迫り、内房線のダイヤも乱れているので、内裏塚古墳を出て、遠地ウオーキング土産の 地域の和菓子 を買いに青堀商店街に向かいました。商店街は旧い造りが残されていて、懐かしい雰囲気でした。強風注意報が出ていたので、入り口に 本日休みます と表示されている店もありました。目当ての和菓子屋さんは残念ながら休みになっていました。
 内房線踏切・越えると国道16号線旧道(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 国道16号線旧道周りの商店街(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 

No12函南に行った

2024年03月18日 12時02分29秒 | 遠地ウオーキング
 私は、函南(かんなみ)は駿河湾沿いの駿豆・南伊豆・富士・静清地域に車で行く時に、速い(高い)だけの東名高速を使わずに、気軽に農魚産物買い物・温泉入浴・海水浴・海釣りができる小田原・湯河原・熱海を通って箱根新道・熱函道を経由して訪れていました。比較的安価でゆっくり入浴できる函南畑毛温泉・伊豆の国長岡温泉に行く時も横を通過するだけで、時間に余裕ありかみさんが かんなみの里美術館・丹那断層公園・・・ に寄りたい時だけピンポイントで寄っていました。
函南(かんなみ)の名前のは、 静岡県伊豆半島の基部の田方郡(たがたぐん)にある町、町名は函嶺(はこね)・箱根山の南に位置することに由来するとのことです。
 旧東海道(石畳)・旧禁伐林(保全林・水源涵養)・来光川・・・に興味があり、どんな所か知りたくて、3月14日に函南原生の森に遠地ウオーキングに行ってきました。
 川崎山手の町の家からJR函南駅までJRE東海道線乗車距離118.7kmです。
 今回のウオーキングルート設定は国土地理院地図(電子国土Web)に加え、車道をウオーキングするのでGoogleストリ-トビュ-を使ってみましたました。ストリ-トビュ-でパソコン画面上で自身が進む道の前後左右また鳥瞰を実態に近いカラー写真のように見ることができます。特に分岐路の実態確認に有効でした。危なさそうな個所はスクリーンショットして、作成したルート地図などと一緒にGoogleドライブに格納(オフライン使用設定)し、ウオ-キング時に困った時に携帯したスマホで確認るようにしました。GARMINetrex(高精度測位GPSみちびき対応)も携帯していますが、ルートトレースログに使い、経路を実際に間違えた時に元に戻るのには便利ですが、調査・確認ツ-ルとしてはほとんど使えていません。

 当日は川崎山手の町の家を5時20分に出発して、函南駅に7時51分に着きました。天気は晴れ気温4~17℃で、昼頃から冷たい西風が吹きました。函南駅(標高69m)を出発して原生の森(標高580m)迄全て舗装道路でした。ウインドブレ-カを着けずに、22.9km(内 函南駅から原生の森入口迄の地図に紫色線付けした舗装道路は往復15.6Km) を3.5万歩 ハートポイント(強運動)176 7.1時間のインターバルウオーキングをしました。てくてく歩くだけではつまらないので、勝手気ままにうろうろと寄り道しながら 函南駅に14時40分に戻りました。函南駅から原生の森入口迄は寄り道しなければ往復15.6Kmなので、寄り道を+7.3Km したようです。往路はほとんど登り坂道で歩行速度低下で後ろのめりに、復路はほとんど降り坂道で歩行速度上昇で前のめりになって歩くような姿勢なり疲れました。広大なゴルフ場の傍を通り、交差・分岐する舗装私道が多いので間違えて迷い込まないように注意していました。途中、車道では車に度々追い越されましたが、人とは全く会わず、展望台で1人会い挨拶しただけです。家には朝と逆経路で17時20分に戻りました。途中に利用できるトイレはありませんでした。年齢76歳になり、体力も低下しており結構疲れましたが、楽しい一日でした。
 遠地ウオーキングエリア(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 函南原生の森周辺経路地図(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 函南駅下りホーム(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 函南駅下りホームから丹那トンネル(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 函南駅前(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 函南駅前のロータリーを左折し進み、右側に東海道線・東海道新幹線のガードが見えるので、ガード下をくぐり抜け、道なりに北東に登り坂道を進むと左側にヒューマンヒルズ住宅街、こじんまりとしたふれあい中央広場公園があります。朝食をかみさんが用意して持たせてくれたのですが、東海道線の電車は通勤通学時間帯で混雑しており食べれなかったので、公園のベンチでゆっくりと食べ、水道で顔を洗わせて貰いました。食跡は、汚さないように全てごみ袋に入れザックに収めての持ち帰りました。
 ふれあい中央広場公園(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 公園を出て登り坂道を進むと最初のチェックポイント 神原七観音 を右側に見つけます。
 神原七観音(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 函南原生の森・かんなみ歴史ロマン街道(歴史の道)は町をあげて整備しているようで、行の道標が設置されています。でも、函南駅へ戻る道標がほとんど無くて不安でした。
 道端の道標・道路案内標識(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 道端のたんぽぽ(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 登り坂道をどんどん進むと次ののチェックポイント 月光天文台 を左側に見つけます。駅から3.3Km歩きました。
 月光天文台(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 ゴルフ場横の登り坂道をどんどん進むと最後の チェックポイント 原生の森と火雷神社の分岐点標識 を正面に見つけます。
 原生の森と火雷神社の分岐点標識(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 何とか登り坂道が平らな道になり、原生の森に着きました。予定より30分遅れです。
 原生の森到着(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 まず、展望台に向かいました。広場には誰もいませんでした。一人ゆったりと昼食を食べました。
 原生の森展望台(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 

 THE 函南遺産参照引用です;原生林 植物遺産
「函南町は、箱根火山・湯河原火山・多賀火山が造りだした丘陵と狩野川からの堆積物でできた田方平野からなり、その土壌に、多様な植物が育っています。人々の生活のために、古来から開拓・開発されて都市化が進んで街並みが広がっていますが、反面、緑が減ってきているのは残念です。 それでも、箱根の南斜面に広がる豊かな緑や鎮守の森、神社の境内などに緑が大事に守られています。 緑の大切さを思い、次代の人々に素晴らしい環境を残したいですね。」
「函南の原生林は、地元では禁伐林とも呼ばれ、箱根外輪山のひとつである鞍掛山の南西斜面に位置します。原生林は強い樹が勝ち残って大木となるので、大樹立とも呼ばれています。標高860m付近から来光川上流の550m付近に広がっている総面積223haの自然林で、下流の函南町や三島市の水田をうるおす水源涵養林として、昔から手厚く保護されてきた森林です。この森は、地域の農民が自主的に禁伐の掟を作り、資金と労力を拠出し先祖代々保護してきたので禁伐林と呼ばれています。過去を振り返ると伐採の危機は何度となくありました。記録に残るものとして、江戸時代に徳川幕府は、御用炭の供出を命じました。地元関係者の粘り強い中止願いを受けた江川坦庵の仲介もあり、幕政の一環として江戸を守る自然のとりでとしての機能もあって存続できたのでした。また、昭和初期の水騒動では、残念ながら現在の原生林から観音滝に至る禁伐林の一部25haが伐採されました。しかし、地元での保護努力の結果、今日のように自然の森林を残すことができました。私たち函南町の誇りとして、これからもずっと伝えて守っていきたいものです。」

 未だ3月中頃なので広葉樹は落葉して裸状態、針葉樹は濃緑色です。深く深呼吸しました。正面南西方向に木々間からちょっぴり伊豆長岡辺りが、後ろ北東方向に箱根山辺りが見えていました。
 展望台から原生の森を満喫(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 舗装道路に戻り、きままに現生の森の小路に入ってさまよい歩いて豊かな初春?の鎮守の森を満喫しました。道路から豊かな緑や鎮守の森を流れる小川と溜池が見えます。残雪がほんのわずかですが残っていました。
 原生の森をさまよい満喫(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 函南駅15時5分発の東海道線上り電車に乗り家に戻る予定なので、勝手気ままにうろうろ寄り道を終えて舗装道路に戻って降りはじめますが、結構急な下り坂道で足をとられながら前のめりで早歩きになりました。なかなか函南駅に戻れず、焦りましたが前方に東海道新幹線・東海道線のガードが見えてほっとしました。予定の電車に乗り、朝と逆経路で17時20分に家に戻りました。
 函南駅に下る急な坂道(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 朝は見えなかった富士山がなんとなく見えた(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 前方に東海道新幹線・東海道線のガードが見えた(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 

No11衣笠に行った

2024年02月19日 20時55分16秒 | 遠地ウオーキング
(長文です) 三浦半島は舟釣に金沢八景・走水・剣崎に、観光に観音崎・三崎、仕事でYRP(横須賀サイエンスパーク久里浜)には行ったことがあるのですが、横須賀に行ったことがありませんでした。関東周辺の伊豆半島・相模湾・三浦半島・東京湾・房総半島のそれぞれの半島丘陵地がどんな所か知りたくて、2月15日に三浦半島の横須賀の衣笠に遠地ウオーキングに行ってきました。川崎山手の町の家からは、JR衣笠駅まで横須賀線で、2時間弱・距離67kmです。横須賀線は東京-川崎(武蔵小杉)-横浜-横須賀(終点は久里浜)久里浜を結ぶ幹線で、直通運転が東京以遠の君津・上総一宮・成東・成田空港・鹿島神宮まであります。
 当日は川崎山手の町の家を6時10分に出発して、横須賀の衣笠駅に8時8分に着き、衣笠駅から衣笠山公園~衣笠城址~大畑陸橋~エコミルごみ焼却場~万葉公園~大光寺を遊歩道を寄り道しながら11.9km・5.6時間・1.9万歩周遊して衣笠駅に13時50分に戻り、駅前商店街でお土産を買い16時に家に帰着しました。
 遠地ウオーキングエリア(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 衣笠周辺地図(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 乗車した電車は15両編成で、途中の逗子駅で前後4両と11両に切り離されて、朝夕は前11両で、昼間は後4両で終点の久里浜まで運行されています。軌道は逗子駅から単線になります。田浦駅は前後がトンネルで、電車のトンネル内にかかる前後車両の一部ドアが開きません。
 衣笠駅ホーム(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 衣笠駅前はロータリーでバス・タクシー乗り場があります。線路に沿った商店アーケイドの人通りも多く活気のある街並みです。和菓子屋さんですすめられて買った黒かりんとうはとても美味しかったです。
 衣笠駅前と商店街(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 駅からの経路は、商店アーケイド八百屋さんの手前を右折し、線路のガード下をくぐり、西に道なりに進み、住宅街を進むとこじんまりとした衣笠山公園の入り口があり、遊歩道になります。
 衣笠山公園の入り口(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 
 公園内は広くて遊歩道・設備などが良く整備されています。家族で友人仲間達で1日過ごせる場所として活用されているのですね。早朝に通ったので、ウオーキング中の私と同年配の男性住民(後期高齢者)の方達と路上での寄道挨拶雑談の印象では、丘陵は上り下り曲がりくねった細い道ばかりでたいへんだ、とは言いながらもにこにこ顔で自慢している様子に、住みやすい町なんだとの印象を受けました。
 公園の上の広場・展望台(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 公園の下の広場・展望台と東側:東京湾(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 公園の南側:猿島・観音崎・久里浜・三崎側(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 公園の西:相模湾側(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 衣笠山展望塔(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
衣笠山から大楠山にう向かう遊歩道は下り道が急坂で道に設置されている木の階段周りが雨水で流出してくぼんでおり、歩く足を置く落差が大きく狭くなており下るのがたいへんでした。なんとか広い県道まで下りて、衣笠城址に向かいました。
 衣笠城址入口まで5枚(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 
 衣笠城址を横を見ながら通過して、大楠山登山道を横浜横須賀道路にかかる大畑陸橋に向かいました。大楠山登山道は木漏れ日の中を快適に気持ち良く歩けました。目を閉じると渓流釣りで良く入渓した南アルプス早川の雨畑谷奥沢谷の笊ケ岳登山道の雰囲気が浮かびました。上流に向かう路の右側を渓流の流れは見えませんがざーざーと水音が聞こえていました。大楠山に向かう路の右側を道路は見えませんがごーごーと音を立てて車が通過する通過音が聞こえます。似ているような似ていないような不思議な感覚でした。自身の加齢が進んだのが原因と自問自答しています。
 大畑陸橋まで5枚(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 
 
 
 大畑陸橋を渡ってエコミルごみ焼却場に向かいました。横須賀市の広報によると、横須賀ごみ処理施設エコミルは、三浦市とのごみ処理広域化にともない建設した最新の施設とのことです。焼却施設でごみの焼却を、燃ごみ等選別施設で不燃ごみ、粗大ごみの破砕・選別処理をしていて、焼却能力360t/日、発電能力6,600kW、炉数120t/24h×3炉、炉形式:ストーカ炉/全連続燃焼式、不燃ごみ等選別施設処理能力30t/5h(破砕選別)とのことです。出入り口はひっきりなしにごみ処理車などが出入りしていました。出入り口横に誰でも使える大楠山へのハイキング遊歩道入口とトイレ・水道施設が設置されています。住民の方が大切に利用していこうとの意識が伝わってきます。
 ごみ処理施設エコミルまで4枚(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 
 
 エコミルトンネルを通り、しょうぶ園横・万葉園横・住宅街の上り下り曲がりくねった細い道を通り、大光寺に向かいました。参拝を済ませた後も上り下り曲がりくねった細い道を通り衣笠駅に戻りました。
 大光寺まで4枚(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 
 

No10伊豆高原に行った

2024年02月04日 23時27分12秒 | 遠地ウオーキング
 例年、かみさんと二人で毎年末に保養旅行に行っているのですが、なかなか日程を組めずにいました。1月末になり、二人でとにかく行こうと、どこか安くて二泊三日で行こうと急ぎ安価な温泉三昧計画立案していると、伊豆高原の保養所を利用できるとの情報があり、急遽宿泊予約して、かみさんの車の運転で行ってきました。私は後期高齢者扱いで、車の運転は近距離のみとの家族内取り決めがあり、交通などの混雑を避けて、木曜昼前出発・土曜昼過帰着で、天気にも恵まれて、気楽な保養旅行です。
 伊豆高原の保養所迄の伊豆方面への往復は、よく利用している一般国道と西湘バイパス利用で片道約120Km4時間の、途中休憩と地域固有食材購入などをしながらの気ままな移動です。
 遠地ウオーキングエリア(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
 
 伊豆高原保養所周辺地図(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 小田原から下田までの国道135号線に入り真鶴岬と先端に小さく三ツ石が見えると都会を脱出した気持ちになります。湯河原・熱海を過ぎ、網代を過ぎると伊東で保養所がある伊豆高原に着きます。
 真鶴岬・網代湾(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 今回の保養旅行は、かみさんは象牙と石の彫刻博物館に寄りたい(私は興味がない)、私は伊豆高原でウオーキングしたい(かみさんは歩かない)との嗜好相異がありました。まず博物館は平日午後だったので、私達二人だけの入場者でゆっくりと時間をとって観覧し、職員の方にお土産のアクセサリーを紹介してもらい購入してにこにこ顔でした。。
 象牙と石の彫刻博物館・撮影可(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 保養所(標高172m)にチェックインして、まず温泉に入り、夕食後も入り、寝る前にも入りました。平日なので広い湯舟・ジェット湯舟・サウナはほぼ独り占めでゆったりと体を温泉で温めました。これから三日間の温泉三昧・間食食べ放題の始まりです。

 2日目は.私は朝湯を急いで済ませて、6時30分に日の出を見に行き、7時の朝食後に、10時までに戻ってくるようにと言われて、気ままに大室山北西麓のさくらの里公園(標高364m)までウオーキング(往復10km弱)することができました。
 ウオーキングコースからの大島の日の出(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 相模湾・天城連山・大室山・溶岩穴(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 
 
 時間に余裕があれば山頂に登り火口を一周して景色を望みたかったのですがかないませんでした。北の方角に真っ白な富士山がちょっぴり望めます。
 大室山・さくらの里公園(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ)
 
 
 伊豆高原の国道135号線周りには大型スーパー・ドラッグストア・ホームセンター・・・が沢山あり、生活必需品に加えて地元食材の購入が安価にできるので、かみさんは開店の10時過ぎに寄って町の家廻りでも安価に買える食材を安い安いと買い込みました。
 買い物を一段落した後、河津の桜がどうなっているのか見に行こうと、通行量が空いている国道135号線を下りました。
 熱川の海岸が綺麗で海も荒れていなかったので、浜に下りるともう春の気配で、春の花が咲いています。石拾いの人がいて、かみさんも波に洗われて丸くなった色の綺麗な石を見つけては拾っていました。
 熱川浜・石拾い・まつよいぐさ(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ) 
 
 
 
 
 河津桜は咲き始めの状態で、駐車場や売店の準備が進められている最中で、私達を含めて観光客はまばらですが皆さんゆっくりと可憐な花を楽しんでいました。めじろがあちらこちらで花の蜜を吸い、花から花へと忙しく飛び交っていました。川沿いの桜並木の廻りでは春の花が咲き始めていました。春の気配です。
 河津桜・めじろの吸蜜・すいせん(クリックで拡大 ×:拡大画面終了で元へ) 
 
 
 

 三日目はもう戻る日です。土曜日で車が込みそうなので、9時に保養所をチェックアウトして町の家に戻りました。熱海では国道の廻りに派手な紅色のあたみ桜があっちこっに咲いていました。土産はいつも買う湯河原のゑふや本店(えふや)で温泉まんじゅう・きなこもち、幕山近くのみかん直売店でショーナンゴールド・三ケ日みかん・・・を選んで買い込みました。
 小田原手前まで戻ると、丹沢山塊が良く見えます。中央右のピラミッド形の山が大山(標高1252m)です。大山の向こう側に戻ります。大山は町の家の近くの勝坂から何時見ても良く見える「ほっとする」山です。かみさんと二人だけのつかの間の楽しい温泉三昧保養旅行が終わりました。
 
 

No9座間に行った

2023年12月17日 23時03分24秒 | 遠地ウオーキング
(長文) 私が後期高齢者(75歳)になり、今年3月30日から毎月一回のペースで遠地ウオーキングを始めたのは、生まれて18年間を四国で、学生時代に4年間を関西で、仕事に着いてから54年間を関東で過ごし、関東ではコンピュータ開発を60歳まで一つの道だけを、社会ボランティアを75歳まで一つの道だけを、余暇は一人で決まった山岳渓流での釣りとかみさんと二人で決まった自然の花・温泉三昧だけを、・・・といった偏った社会生活でした。関東の生活圏を外れた浅草・鎌倉・日光・・・草津に行ったことがありません。通過したことはあります。これではいけないと、地域の後期高齢者どうしとの交流・一人だけのゆったり外出を増やそうと、できることから手をつけています。
 12月14日、厚木の鳶尾山(とびおさん)ハイキングコースの展望台に行ってきました。天気は一昨日昨日としとしと雨が降りましたが気温も上がり晴れでした。座間~厚木は、丹沢の大きな相模川と中津川の合流する広い扇状地下流域で、相模湾近くの基地の街です。国道246・129号線、東名高速・首都圏央道連絡高速(圏央厚木IC&PISIC)が伸びる交通の要所です。私は伊豆箱根・表丹沢に行く時には車・電車で通過は良くしていたのですが、立寄って歩いたことは全くありませんでした。川崎の多摩丘陵南端の町の家の近くの勝坂(標高111.1~100.7m)から南西に丹沢山系全体が良く見えるのですが、丹沢の低山丘陵地からこっちはどのように見えているのか気になっていました。インターネットで調べると、展望台(標高213m+展望台階段74段)から直線で、ランドマークとなる新宿高層ビル群まで北東に38Km、その一線上途中の勝坂まで20Kmです。
 座間駅起点終点往復ウオーキングは、計画18.4Km7時間(+1時間の余裕を含め)をゆったりとり、往路は町の家を早朝6時5分に出発して、座間駅に6時54分に着き歩き始めて、座間駅に13時52分に座間駅に戻ってきて歩き終わり、朝と逆順で14時40分に家に戻ってきました。1時間の余裕を含めていたのですが、計画した往復で通る中津川の相模原愛川からの山道は使用されていない様子で、尾根筋に出て、ハイキングコースに合流するまで斜面を藪漕ぎで歩く状態でした。帰りは厚木鷲尾団地側に迂回して整備された道を速足で歩き、結果19.7Km約7時間のウオーキングをしました。
 遠地ウオーキングエリア(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
 
 地図 予定路赤点線(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
 
 

 今回は小田原線座間駅(標高50.7m) を起点終点として歩きました。
 座間駅西口(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
  
 座間駅西口前の細路を北上し、地図を参照すればわかりやすいですが突き当りを右折し、県道51号線との交差点をを横断し、県道46号線との交差点を左折し、県道42号線との三差路を右側の歩道路に右折し、直進します。直ぐにJR相模線を陸橋で越えます。前に整然とした水田が広がります。奥に丹沢が良く見え、左端が大山です。
 整然とした水田(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
 
 県道42号線を進むと相模川を渡る座架依橋 (ざかえばし:499.6m)があり、前後に堤防の高さ以上に道を高くしており見た目はかなり大きくて長い橋です。橋を渡ると首都圏央道連絡高速の高架橋をくぐります。下流側に圏央厚木IC(インターチェンジ)、上流側に圏央厚木PISIC(スマートインターチェンジ)があり、車の交通量が多いです。
 座架依橋上より相模川上流を展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
 
 県道42号線を更に進み県道129号線との交差点を渡り右側に右奥に進む細い路が分かれており、細い路を道なりに進みます。正面に丹沢の最東端部が大きく望めます。左の高山が大山です。右の低山がこれから向かう鳶尾山です。更に道なりに進むと坂道を下り、中津川の堤防上の道に出ます。
 中津川前から丹沢を展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
 
 堤防上の道を右折(上流に向かう)し河川敷を左側に見ながらしばらく進むと、右側にあつぎ郷土博物館があります。しばらく進むと中津川の才戸橋(標高46.6m)があり右に折れて渡ります。上流に取水堰堤があり、堰堤下の石の上からあおさぎが小魚を狙っています。ここまでくればもう一息です。しばらくあおさぎを観察していましたが、全く動きませんでした。
 才戸橋上より中津川上流を展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)
 
 橋を渡れば、路をそのまま進み最初の交差点を右折し、直ぐに二股路になる左側の上り路を進みます。結構急な坂道ですが、正面に目的の展望台が見えました。鳶尾は神奈川 厚木の内陸工業団地と住宅が大規模開発整備されたとの情報どうり辺りは新しい街で、整然として住みやすそうです。リコー工場・神奈川工科大・・・大きな建物が目立ちます。
 展望台を視認(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 
 しかし、住宅地(私有地)で登山口らしい道は見当たりません。山裾を左回りに登り口を探し、こじんまりとした寺の左側に山に入れそうな登り口(標高98.7m)を見つけました。登れる根拠は無かったのですが、ここから尾根に登ろうと決めました。
 寺の左側のこの登り口?に決めた(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 
 道は坂になると直ぐに不鮮明な踏み跡になりました。とにかくまっすぐ上にがむしゃらに上りました。晩秋ですから草花は枯れており、笹を藪漕ぎは楽です。しかし茨が混生しており手に刺さったり着衣にひっかります。枯葉が積もって湿っていて滑ります。ヤマビルも見かけませんでした。尾根(標高159.9m)にたどり着いて右に曲がり、やっとハイキングコースにたどり着きました。右に曲がると直ぐに日清戦没記念碑に着きました。
 道無き藪漕ぎ(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 
 
 なんとかハイキングコースに出れ、整備され踏み跡が確かなので、歩くのが楽になりました。ただ、稜線の路の左側に電気柵が設けられていて、危険との注意書きがあります。道もなんとなく右下がりになっており、稜線山側の右側を歩きました。道の左側を覗くと急な斜面で鳶尾住宅地・公共施設・・・公園が広がっています。
 ハイキングコース(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 
 稜線の左側後ろを振り返ると、南の奥の左に出発した座間駅辺りが、右に厚木の中心地辺りが、その手前に相模川の堤防、その手前にリコー工場、その手前に登ってきた稜線が良く見えます。
 ハイキングコースより南展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 
 もうひと踏ん張りと先に進むと、ちょっと前に路が二股になっていたのですが、右側の路が展望台廻り鳶尾山、左側の路が鳶尾山直行となっていて、私は左側を進んで二股が一つになったことに気が付き、右側の路を引き返しました。大した距離では無く直ぐに展望台の前に戻れました。
 目的の鳶尾山展望台(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 
 急なラセン階段を上ると360度の展望です。登っているのは私一人だけです。天気は晴れで見通しがきいており、先ず展望台(標高213m+展望台階段74段)の上から直線で北東に38Kmのランドマークとする新宿高層ビル群(北東38Km先)を探し当てました。その一線上途中に勝坂(20Km先)があるはずです。川崎の多摩丘陵南端の町の家の近くの勝坂(標高111.1~100.7m)はうっすらと緑の細い帯に見えるような見えないような状態ですが、とにかく今回の目的達成です。昔の戦国時代には東軍が南多摩勝坂から西の方を見張り、西軍が高崎鳶尾山から東の方を見張っていた実感があります。
 参考:南多摩勝坂より南西の展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)  
 
 高崎鳶尾山展望台より北東の展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 
 高崎鳶尾山展望台より北東の拡大展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 
 満足して、後はゆっくりと展望台から全方位の景色を見ました。大満足です。
 展望台より北西すぐ前の鳶尾山展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 
 展望台より西の丹沢展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
  
 展望台より南西の伊豆湘南展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 
 展望台より南の三浦横浜展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 
 展望台より北の相模原多摩展望(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 
 目的は達成したし、展望台から鳶尾山の全貌と山頂を見たし、往復ウオーキングは計画18.4Km7時間(+1時間の余裕を含め)としていたのですが今回も予想外の時間がかかり過ぎて、復路は尾根道を通らずに、鳶尾団地に降りて整備された路をリコー工場ビルを目標に歩いて工場前に出て、左に曲がれば中津川の才戸橋に着き、後は往路の逆順を辿り町の家に戻りました。ウオーキング歩数距離は33,679歩19.71Kmの楽しい一日でした。今日、ハイキングコースで挨拶した人は二人だけでした。
 下山路(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ) 
 

 鳶尾山の名前の由来を知りたかったのですが、現地では由来の碑などを見つけられませんでした。インターネット情報でも見つけられませんでした。鳶尾という名前は国内に結構あるようで、もやもやとしてしています。古地図(1906年/明治39年)にはふりがながついていませんが山尾鳶(右から読み)は記載があり、その近辺に鳶尾の地名は見つけられませんでした。鳶尾のいろいろな読み方として いちはつ75.0%・とんび12.5%・エンビ12.5%がありました。この内の いちはつ は花の名で、中国〜ミャンマー原産であやめ科の耐寒耐暑性多年草で、江戸時代に中国より渡来したあやめの仲間です。菖蒲田に植えられ5月頃に最盛期を迎えます。いちはやく咲くことが名前の由来(いちはつ)で、花は青紫色に濃紫色の脈や斑点がはいっています。白花もあります。昔は屋根に植えて大風を防いでいました。用途は庭植え・鉢植えの・根を乾燥させて漢方薬・生け花材とされており、名前の由来との解釈もあるようです。
 鳶尾山の名前の由来?(クリックで拡大 ×/拡大画面終了で元へ)