はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

多度観音堂・飛鳥寺・安渡寺・勧学寺・大福田寺

2023-11-19 16:01:17 | 伊勢西国三十三か所

いなべ市から桑名市多度町へ・・多度観音堂は多度大社の隣りにあり、ついでに多度大社へもお参りしてきた。

無人で御朱印は多度大社で受けた。昔は多度神社(大社)と多度神宮寺とともに平安、鎌倉、室町と発展してきたが信長の一向一揆討伐の兵火のため、共にすべて焼き払われたが、桑名の殿様本田忠勝公が多度神社を復興した。一方、神宮寺は手つかずのままで衰退していった。

明治になって観音堂が作られ、千手観世音菩薩・十一面観世音菩薩・弥勒菩薩・役行者・満願禅師位牌と木造写真が安置されている。(パンフレット抜粋)

多度大社は来たことがあるがほとんど記憶にない。いつだったかも忘れた。

左本宮に天津彦根命(天照大神の御子神)右別宮に天目一筒命(天津彦根命の御子神)を祭る。

神馬舎の白馬がクビを上下に振っていたので百円で人参をあげました。

上げ馬神事の坂は動物虐待だと問題になり、2mが1mになったみたいです。

続いて飛鳥寺(ひちょうじ)へ・・

飛鳥寺(ひちょうじ)は京都にある世界遺産、東寺を本山とする東寺真言宗のお寺です。

飛鳥寺の歴史

延暦十三(794)年

大和国の生駒山周辺より黄金の花瓶(けびょう・十一面観音の持物)を喰えた霊鳥が、現在地より2km山中の坊ケ谷に飛び来たりて美声にて仏法を説きました。

その噂を聞きつけた弘法大師がこの地にお越しになると霊鳥が十一面観音に変化なさいました。その姿を見た弘法大師は先程感得されたお姿を一刀三礼して等身大の御尊像を刻み草庵に安置しました。霊鳥が飛来した寺という事で「飛鳥寺(ひちょうじ)」と名付けられました。

 その後、寺運は大いに栄え、寺域一里半、寺領千石、十二の坊舎が並ぶ密・律・禅の名刹となりました。元亀二(1571)年

織田信長の伊勢長島の一向一揆攻略により全山灰燼に帰し、わずかに小堂一宇を残すのみとなりました。<HPより>

慰霊社(先の大戦で亡くなられた方をお祀りしている)

桑名市街の向こうに虹がかかってた。天気いいのに。

次に安渡寺(あんどじ)へ・・

お堂の前ではオバさんたち四人が抹茶をたてていた。住職の奥さんが茶道をしているのだろうか?

次に勧学寺(かんがくじ)へ・・

ここは戦国時代に矢田城があったところで、織田信長によって滅ぼされましたが、桑名藩主・松平定重によって跡地に本堂が再建。
現存する寺社建築としては桑名市で最も古いと推測されます。

天井には龍でも描かれていたのだろうか?わからない

アマビエのぬいぐるみがあった。寺の人か?寄贈か?

次に大福田寺(だいふくでんじ)へ・・

聖徳太子創建と伝えられる真言宗のお寺。山門は江戸時代建立といわれています。毎年2月3日には節分祭、4月2日には桑名聖天大祭が行われ、伊勢大神楽の奉納が行われます。

この寺のご本尊は155cmの引阿弥陀如来だが、他にも・・・・・・・↓

神宝聖天尊

大聖歓喜天尊と称し、十一面観世音菩薩と毘那夜迦天(びなやかてん)の合体佛にて陰陽和合の根元を表し、福徳開運、敬愛和合にもっとも霊験あらたかな、ほとけさまです。

大福田寺に安置されている聖天尊は、徳川幕府の治世中、名実ともに屈指の大政治であった松平定信公の念侍佛です。古来より日本三大聖天のひとつと称せられ、広く全国に信者をもち、「桑名の聖天さん」として親しまれています。

聖観世音菩薩

俗に「合わせ観音」と呼ばれています。その昔、稽文會、稽主勲という高麗(朝鮮半島にあった国)の兄弟佛師が東西に別れて住んでおりましたが、互いが霊夢により聖観音像の半身をそれぞれ彫刻し、のちに二人が再開の折、その半身づつの観音像を合わせたところ、寸分の狂いも無く一体の霊像になったと伝えられる佛像です。

厄難除不動尊

文殊菩薩

三面大黒天

大福田寺には上記ほとけさまの他、魚籃観音、不動明王、十一面観世音菩薩、毘沙門天王、稲荷大明神など多くの神仏が安置されています。        <HPより>

勧学寺の御朱印も大福田寺でいただきました。いろんな神仏があるもんですね。伊勢西国が番外にあるのは十一面観世音菩薩があるからだろうか。

ブログ作ってるといろいろ勉強にもなります。すぐ忘れるけど・・・・。

 

 

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聖宝寺(しょうぼうじ)

2023-11-19 15:11:15 | 伊勢西国三十三か所

伊勢西国三十三か所巡りも残り、いなべ市と桑名市5寺、今日6か所すべてまわって結願となりました。

鳴谷山聖宝寺(めいこくさんしょうぼうじ)は、ご本尊に十一面千手観音菩薩を安置する、臨済宗妙心寺派(りんざいしゅうみょうしんじは)の禅寺です。
平安初期、大同二年に天台宗の開祖・伝教大師最澄大和上(でんぎょうだいしさいちょうだいわじょう)によって開かれた寺です。七堂伽藍を有する広大な境内には、多くの修行僧が居り、日々修行に励んでおりました。そんな中、戦国の動乱期には、僧兵を持つようになりました。
 歴史の流れに、この寺も巻き込まれていきます。元亀(げんき)・天正(てんしょう)の戦国時代に、織田信長の家臣・滝川一益(たきがわかずまさ)によって員弁攻略の軍勢がこの地の豪族を討ち、郡内の主立った寺院を焼き討ちしていきました。聖宝寺も、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の流れを持つ寺でありますので、徹底した焼き討ちをうけ、伝教大師以来の伝灯(でんとう)七百年の歴史を閉じることとなりました。時に天正(てんしょう)八年二月のことでありました。
 その後徳川中期、万治元年に鼎(かなえ)の龍雲寺(りょううんじ)の和尚が奮闘し、桑名で坐禅会を開いておられた大圓宝鑑愚堂禅師(だいえんほうかんぐどうぜんじ)にお願いし、因縁開山(いんねんかいさん)になって頂き、再興しました。そして、現在に至っております。<ネットより>

紅葉見物もと思って行ったが少し早すぎた。

当寺院の庭園は、藤原期の造庭と推測され、庭園の大部分は造庭当時そのままで保存されております。また、池には回遊式と築山式があり、回遊式の大きい池は別名浄土池と呼ばれ、浄土の世界を表しています。

鳴谷(なるたに)の滝・・・落差10メートルと段滝

イチョウも伊勢では黄色づいているのに、もう少し先にすればよかった。

 

 

 

 

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