それが、どんなに演奏が上手な人のものであっても
練習は騒音
という言葉を聞いたことは ありませんか?
同じ曲ばかり、何度も聴かされるから、
というわけでは ありません。
(まあ、もちろん そういう時もあるでしょうが)
どちらかというと、その本当の理由は
「完成した状態でばかり聴けるわけではないから」です。
というのも
練習というのは、弾けていても尚さらにこだわって
より良い演奏を目指すためのものですから
短い曲ならともかく 長い曲で
気になる部分・表現にこだわりたい部分があれば
その部分のみを取り出して 弾き込みます。
効率よく集中して練習できますからね。
たった一ヶ所のために、
毎回 一から丸々1曲弾いているのでは
効率が悪すぎます。
例えば
ある一ヶ所の和音の響きが気に入らない、という場合
(↑ 注:音を間違えている という事ではない)
♪― う~ん、バランスがよくないなあ、もう一度
♪― 上声だけ芯のある音色に変えてみようか。
♪― 今度は内声を もっと柔らかい音色にしてみよう
♪― どうも思った通りの音にならないから指を変えてみよう
といった調子で、延々、その和音だけを弾くことに。
ささいな変化ですので、わからない人には
「何であの人、ずっと同じ和音ばかり弾いているの?
イライラするなあ。」
と思われても仕方ないのです。
で、先日 こんな調子で 新しい曲の練習を始め
部分練習をしていたところ
同居の母に
「1曲通して弾けないわけ?下手になったんじゃないの?」
と 言われました。
ピアノが弾けない母にとっては
雑でも無表情でも、「止まらず通して演奏すること」
=「弾けている状態」 であり
表現のために ある部分にこだわって
時間をかけて弾きこむ練習の価値は
わかってもらえません。(T T)
(同様に 「指が速く回るのが 上手い演奏」
と思っているフシもあります。)
確かに聴いていて楽しいものでもないので
仕方ないのですが
長年練習を聴いてきての、このセリフでしたので
一瞬 ぐれてやりたくなりました。
練習は騒音
という言葉を聞いたことは ありませんか?
同じ曲ばかり、何度も聴かされるから、
というわけでは ありません。
(まあ、もちろん そういう時もあるでしょうが)
どちらかというと、その本当の理由は
「完成した状態でばかり聴けるわけではないから」です。
というのも
練習というのは、弾けていても尚さらにこだわって
より良い演奏を目指すためのものですから
短い曲ならともかく 長い曲で
気になる部分・表現にこだわりたい部分があれば
その部分のみを取り出して 弾き込みます。
効率よく集中して練習できますからね。
たった一ヶ所のために、
毎回 一から丸々1曲弾いているのでは
効率が悪すぎます。
例えば
ある一ヶ所の和音の響きが気に入らない、という場合
(↑ 注:音を間違えている という事ではない)
♪― う~ん、バランスがよくないなあ、もう一度
♪― 上声だけ芯のある音色に変えてみようか。
♪― 今度は内声を もっと柔らかい音色にしてみよう
♪― どうも思った通りの音にならないから指を変えてみよう
といった調子で、延々、その和音だけを弾くことに。
ささいな変化ですので、わからない人には
「何であの人、ずっと同じ和音ばかり弾いているの?
イライラするなあ。」
と思われても仕方ないのです。
で、先日 こんな調子で 新しい曲の練習を始め
部分練習をしていたところ
同居の母に
「1曲通して弾けないわけ?下手になったんじゃないの?」
と 言われました。
ピアノが弾けない母にとっては
雑でも無表情でも、「止まらず通して演奏すること」
=「弾けている状態」 であり
表現のために ある部分にこだわって
時間をかけて弾きこむ練習の価値は
わかってもらえません。(T T)
(同様に 「指が速く回るのが 上手い演奏」
と思っているフシもあります。)
確かに聴いていて楽しいものでもないので
仕方ないのですが
長年練習を聴いてきての、このセリフでしたので
一瞬 ぐれてやりたくなりました。