【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

機嫌のレベル

2017-07-09 16:32:45 | Weblog

 もしも、特定の人に近づくだけで機嫌のレベルが自然に上昇して上機嫌になるようだったら、それは恋かもしれません。逆に、近づくだけで緊張して機嫌のレベルがどんと下がる場合も、実はそれは恋かもしれません。

【ただいま読書中】『すごろくⅡ』増川宏一 著、 法政大学出版局、1995年、2900円(税別)

 人の工夫は際限が無く、ヨーロッパではバクギャモンとは別の系統の「すごろく」が発生しました。桝目の並びの自由度を高めたもの(たとえば螺旋形の「鵞鳥のゲーム」)です。やがて桝目の中や外に少しずつ「絵」が描かれるようになりました。「絵双六」の誕生です。相当姿は変わりましたが、他のプレーヤーの駒に追いつかれるとその桝目から出ていくつか戻らなければならないルールは、バクギャモンのルールを“保存”しているように見えます。
 正方形の盤でその周囲を周回するすごろくもありました。日本だと将棋盤と駒を使う「金ころがし(まわり将棋)」を私は思い出します。人の発想は、古今東西を問わず、共通のものもあるのでしょうね。
 これまで「双六(絵双六)」は日本では江戸時代に考案された、が通説でした。しかし大納言山科言国の日記には文明六年(1474)八月八日に宮中で「浄土双六(ゴールは極楽)」を遊んだ、とあります。それまでの記述ではバクギャモン系の盤双六は「雙六」「双六」と書いているし、しかも「浄土双六」は「書写」できるものだったそうで、だとすると「盤」ではなくて「紙」に書かれたもの、つまり「浄土双六」は「盤双六ではない『すごろく』」だったと考えられます。サイコロを振るレースゲームは「すごろく」が“一般名詞”だったのかもしれません。
 江戸時代に入ると貴族の日記には「絵双六」ということばも登場するようになります、これは賭博として遊ばれています。サイコロを振ると人はお金をかけたくなるものなのでしょうか。また、出版もされるようになり、貴族以外も浄土双六で遊ぶことができるようになっていきました。17世紀後半には道中双六が登場。18世紀には東海道以外の街道の双六も多数出版されましたし、東海道中膝栗毛の内容を盛り込んだものも登場しました。葛飾北斎が描いた「鎌倉江之島大山新坂往来雙六」は江戸日本橋が振り出しで、ぐるりと回って元に戻る「上がり」がない変わり種のすごろくです。
 元禄のころから「野郎双六」が登場しますが、これは同じく元禄の頃に禁止された野郎歌舞伎からの派生でしょう。人気役者の似顔絵をずらりと並べた「すごろく」ですが、好色の対象をすごろくにしたことで、ゲームの娯楽性はぐんと向上しました。ではどんなのがあったかというと……江戸時代には千種類、平成初めまでで四千六百種類のすごろくがあったそうで、これは分類は難しそうです。好色双六は「一枚刷りにたくさんの図版」という双六の特徴が活かされたものですが、これ「レースゲーム」として遊べるんですかねえ。
 幕府は双六にも「贅沢」と「好色」の二つの要素から検閲をかけました。たかが双六なのになあ、と私は思いますが、幕府には幕府の事情があったのでしょう。
 幕末には異国からもたらされたものが続々双六に登場するし、明治時代には西南戦争まで双六になっています。戦争ゲーム?
 双六と言えばもう「古いゲーム」かもしれませんが、今でもまだ人気があるらしい「人生ゲーム」もまたすごろくですよね。「レースゲーム」の人気は、まだまだ続くのかもしれません。