【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

巣の大きさ

2017-07-31 18:38:26 | Weblog

 ツバメの雛がぐんぐん成長しています。定点観察をしているわけではないので絶対値では表現できませんが、飛んでいる姿を見るとどれが親でどれが子か、わかりにくくなっています。
 ちょっと不思議に思ったのは、ツバメが巣作りを始めるとき、巣の大きさをどうやって決めているのか、です。卵が孵り雛が育つ、それをあらかじめ想定して余裕を持って巣を作っておかないと、育った雛が飛べるようになる前に落っこちる事故が多発してしまいます。ということは、ツバメには予測能力がある、ということなんでしょうか?

【ただいま読書中】『消えたブラックボックス ──大韓航空機撃墜事件の謎に迫る』アレクサンダー・ダリン 著、 青木日出雄 訳、 サンケイ出版、1985年、1600円

 航空機墜落の後真相の解明のためにまず探されるのが機器の情報や音声記録を収めた「ブラックボックス」です。大韓航空機撃墜事件は「謎」だらけですが、この事件そのものを「ブラックボックス」として、それでも確実にわかっている事実をつなぎ合わせようとする努力が本書ではされています。
 1983年の事件直後、アメリカ政府とソ連政府はお互いに「相手が悪い」と一方的な非難を行いました。ソ連は最初は撃墜自体を否定しようとしましたがさすがにそれは無理とわかると「無灯火飛行だった。無線による警告は無視された。曳光弾による警告射撃も無視された。重要な軍事基地に向かって真っ直ぐ飛んでいた。だからミサイルを発射した」と主張。対してアメリカは「民間機とわかっていて、無警告で撃墜した」と主張。
 えっと、訳者は「航空灯や衝突防止灯の無灯火はあり得ない。そもそもレーダーで認識されるのだから無灯火は無意味」「無線記録から『警告』はあったようだ。ただ、無線の場合周波数やコールサインがわからないからソ連側からの呼びかけはあったかもしれないが、大韓航空機がそれを認識はできていなかっただろう」と解説しています。さらに「民間航空機か軍用機かの区別」はわかりにくいそうです。特に深夜だったら肉眼での視認は困難だったでしょう。
 レーガン大統領は強硬にソ連を非難します。ただそれは、国内での強硬派を意識しての行動だったようです。ふっと思ったのですが、これがタカ派のレーガン大統領だから、「とりあえず非難」でなんとか時間が稼げますが、これがハト派の大統領だったら「自分は腰抜けではない」ことを国内に証明するために「復讐」をとっとと始めなければならなかったかもしれません。
 ソ連の対応は乱暴で非難されるべきですが、そもそも「なぜ航路を逸脱したのか」も問題です。可能性としては「機器の故障」「ミス」「ハイジャック」「乗員が意図して」などが考えられます。また(「意図して」以外の場合に)「なぜ航路の逸脱に気づかなかったのか」も問題です。たとえば気象レーダーを使えば、本来飛ぶはずがない陸地(カムチャッカ半島やサハリン)の上を飛んだときに気づくはずですから。「スパイ飛行説」もありましたが、その直前にアメリカ軍のRC135が飛び回ってあたりの情報は収集していたし、そもそも民間航空機にどんな「スパイ行為」ができるのか、謎です。「慣性航法装置(INS)のインプットミス」という可能性も考えられましたが、それで実際に大韓航空機がたどった航路を再現するためには、ずいぶん論理的なアクロバットが必要でした。ICAO(国際民間航空機関)が(座標のインプットミスを含めて)様々な“ミス”を想定して厳密なシミュレーション調査を行っていますが、どの仮説も「実際のコースと合わない」「実際のコース通りに飛んだ場合にはパイロットがそれに気づかずにいることが難しい」ということから結論は出せませんでした。
 ソ連は、大韓航空機がカムチャッカ半島で領空侵犯をしたときにスクランブルをかけていました。しかし迎撃に失敗して領空外に取り逃がしていました。それがこんどは堂々とサハリン上空に現れたわけですから「こんどこそ迎撃に成功するぞ」と意気込みが違ったはずです。なおソ連の無線交信では大韓航空機は常に「目標」と呼ばれていて、軍用機か民間機かは最初から問題にされていませんでした。
 平和時に撃墜された航空機は、軍用機が絡んだものが28件、民間航空機が絡んだ事件は少なくとも10件知られています。その中に大韓航空機事件の“前兆”としていくつかの事件が本書では上げられています。58年のアメリカEC130機(レーダー性能を探るための調査機)撃墜事件ではトルコの基地から発進した機はソ連国境を越えて撃墜され、6名が死亡11名が行方不明となりました。55年にはエルアル・イスラエル航空の旅客機がブルガリア戦闘機に撃墜され、58名死亡(ブルガリア政府は直ちに謝罪し賠償金を支払いました)。73年シナイ砂漠上空でリビア航空ボーイング727型機がイスラエル空軍によって撃墜、乗客116名中108名が死亡。イスラエルは「変な飛行をするアラブのテロリストを正当防衛で撃墜しただけ」と撃墜を正当化し、以後ものらりくらりと自己弁護を繰り返しましたが、調査の結果カイロを通り過ぎてしまったリビア機が引き返していただけであることがわかり、やっとイスラエルは(しぶしぶ)謝罪しました。ロサンゼルス・タイムズでロバート・シアーは「ソ連もイスラエルも似たような行動をした。国家が性急かつ暴力的な方法をとると、すべてのものの安全は危険にさらされる」と指摘しているそうです。そして78年「パリ=ソウル」を飛ぶ大韓航空機が(おそらく)航法装置の故障でソ連に迷い込み、機密性の高い地域を堂々と2時間も飛行することになってしまいました。迎撃機が最寄りの空港に強制着陸をさせようとしましたが大韓航空機の機長はその指示を無視(無線が聞こえなかったそうです)、とうとう発砲されて乗客2名が死亡。それで強制着陸となりました。ソ連は乗客乗員を国外追放しただけでそれ以上の行動はしませんでした。不思議なことに機長は帰国後とくに譴責処分は受けていません。そして、この事件からソ連が得た“教訓”が、83年に“活かされて”しまったようです。その逆で、アエロフロート機が(原子力潜水艦トライデントの第一艦が進水しようとしていたとき)アメリカの海軍造船所の上を航空路を逸脱して飛行したこともあるそうですが、アメリカは撃墜はしませんでした。
 ここから本書は「ソ連の心理分析」を試みます。ソ連の特異な行動様式には、歴史や文化や社会様式などの影響が強いのではないか、と。そうすることでこの事件でソ連政府が見せた対応が(賢明とも誠実とも思えないけれど)理解はできるものになってくる、と。
 それにしても、プロパガンダと反プロパガンダの応酬は、なんとも哀しいものです。プロパガンダの内容はともかく、それを熱心に主張する態度は、「人の死」という不幸を「いかに自分の政治的立場を強化するか」の材料にしかしない、という主張でもあるのですから。そういった人間がいることは、世界の不幸だ、と思えます。