【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

フェルメール

2011-09-19 18:42:18 | Weblog

 この前の平日休日に、京都に行ってきました。目的は「フェルメール」。7月にはガラガラだった、と聞きましたが、今回は、館外に行列はありませんでしたが、中には人が充満していました。平日で良かった。休日だったらきっとすごい人出だったことでしょう。
 たった3枚の絵(「手紙を書く女」「手紙を書く女と召使い」「手紙を読む青衣の女」)で、どうやって展覧会を組み立てるのだろう、と思ったら、「手紙」「フェルメールの時代のオランダ」というテーマで他の画家の絵も並べていて、これはこれで楽しめるものでした。学芸員の“センス”も重要ですね。当時のオランダで「手紙」が「新しいメディア」として流行していたことも私には新鮮な知識でした。
 まるで映画のストップモーションのように、個人または群像が何かをしている途中でぴたっと止まったかのような瞬間を切り取って描くのも、それからその構図の中に光と陰を持ち込んで画面に集中と広がりを持たせるのも、当時の流行だったのですね。
 ただ、フェルメールの描く「光」は、他の画家とは違って独特です。言葉にしにくいのですが、そうだなあ、単に明るい暗いではなくて、チンダル現象が見えるような描き方、と言ったらいいかな、あるいは色温度が他の画家よりも低い感じ。ふわっとふくらみを感じる光(と陰)なのです。今回復元された「手紙を読む青衣の女」では、ただひたすら平面的に明るくなっていて、その「独特の光の感覚」が失われていたのが残念でした。

【ただいま読書中】『フェルメールからのラブレター展(カタログ)』1500円(税込み)(現時点では一般には非売品)
 現在は京都市美術館で開催されていますが、今年10月末から宮城県美術館、12月末から東京のBunkamuraザ・ミュージアムで開かれる展覧会の会場でしか手に入らないものだそうです。こういったカタログ、写真と実物が違うのはわかっているのですが、ついつい買ってしまうんですよねえ。ただ、アップの画面がじっくり眺められるのはありがたいことです。会場ではなかなかここまで接近はできませんから。それと、「手紙を読む青衣の女」の復元前のX線写真や紫外線写真があるのがなかなか面白く“読む”ことができました。



4分割

2011-09-18 19:19:13 | Weblog

 個人でも法人でも、「支出」は「税金/消費/生産(投資)/死蔵」と大まかに4分割できそうです。生産と投資は分けた方が良いかもしれませんが、物を生みだすのと金を生みだすのとはとりあえず似たようなもの、として同じくくりにしてみました。
 で、景気が悪いときにそれを良くするためには、どこの支出を増やせばいいのでしょう(とりあえず収入はそれほど豊かではない、という前提にします)。「死蔵」は減らしたいから前の3つのどれか、ということになりそうです。で、「大きな政府」が好きな人は「税金」を増やして「消費」「生産」を減らせばいい、と言いそうですし、「小さな政府」が好きな人は「税金」を減らして「消費」か「生産」を増やせばいい、と言いそうです(ここでまた、「消費」か「生産」かで話が分かれそうですが)。
 で、これまで過去に上手くいった方法は、どれでしたっけ?

【ただいま読書中】『ミクロの決死圏』アイザック・アシモフ 著、 高橋泰邦 訳、 早川書房(ハヤカワ文庫SF23)、1971年(99年26刷)、640円(税別)

 時は冷戦のまっただ中。東西のバランスを崩すであろう新知識を持った「あちら」の科学者ベネシュが「こちら」に亡命してきました。しかし「あちら」がそれを許すわけがありません。とりかえすことができないのなら殺せ、と襲撃が行なわれ、ベネシュは重傷を負ってしまいます。命(と彼の持つ知識)を助けるためには脳の深部の血腫を除去する必要がありますが、外科手術ではベネシュの脳に大きな傷が残ってしまいます。そこで、血管の中にエージェントを送り込み、血管内部から血腫を除去しよう、という前代未聞のプロジェクトが急遽立ち上げられます。
 そこで使われるのが「縮小技術」です。人が乗り組んだ潜行艇プロテウス号を100万分の1に縮小してベネシュの体内に送り込むのです。
 原子間の距離を縮めるように圧縮したら、見た目は小さくなりますが質量は変らないことになります。だからといって一定の率で原子を取り除くのは、小さくはできても復元ができません(というか、小さくなるよりも“薄く”なるんじゃないかと私には思えます)。そこで「超空間」が用いられます。私の理解では、四次元の限定された範囲を超空間に移してそこで「場」を圧縮したら、“こちらの世界”では縮小されたように見える、ということになる、ということのはず。しかし、ここで邪魔になるのが不確定性原理で、縮小時間は1時間が限度なのです。その時間制限を撤廃する(永遠にでも縮小を可能にする)技術を開発した(らしい)のがベネシュなのでした。
 ただし、本書ではこの「縮小技術」は“主役”ではありません。細菌サイズにまで縮小された潜航艇に乗り組んだ5人の乗員の、人体内でのはらはらドキドキの冒険小説であり、スパイ小説でもあり、推理小説でもあります。ついでに、人体の解剖についても少し詳しくなれます。読者サービスのために恋愛要素も入ってはいますが、アシモフですからねえ、まあこれは雰囲気だけです。
 血管の中を潜航艇で流れて見物をする、なんてアイデア、まったく誰が最初に考えたのでしょう。私はその人を、心の底から尊敬します。で、もしもそんな“ツアー”があったら、やっぱり参加したいなあ。ブラウン運動による船酔いは嫌ですけど。



支持率

2011-09-17 17:17:53 | Weblog

 マスコミはせっせと世論調査を行なって嬉しそうに発表していますが、内閣が替わったばかりでの支持率/不支持率の調査、って、どんな意味があるのでしょうねえ。だってまだ何の“仕事”もしていないでしょ。「期待を持つ(持たない)=支持する(支持しない)」ではないと思うのですが。
 ちなみに私は、好きか嫌いかとその内閣がちゃんと仕事をいくらかでもしたかどうかの評価とは、別の問題だ、と自分の中では処理しています。

【ただいま読書中】『スターリン謀殺』アブドゥラフマン・アフトルハノフ 著、 田辺稔 訳、 中央アート出版社、1991年、2136円(税別)

 ヒトラーがソ連に電撃戦をしかけた瞬間、スターリンは“敵前逃亡”をしました。引き籠もってしまい、何の反応もしなくなったのです(これは『フルシチョフ回顧録』で私も読みました)。そのとき右往左往する人の中で、唯一スターリンの所へ出かけていって「戦争の指導をするよう」勧めたのがベリヤでした。戦争中「ソ連」を実質的に動かしたのは、軍はジューコフ、内務人民委員部(政治警察)はベリヤ、党はベリヤとマレンコフでした。
 スターリンは、自分個人にだけ従う政治警察を組織していました。この「特別部」は、地方も中央も監視し、それがスターリンの「無限の権力」の源でした。側用人のように常にスターリンの側に存在するのは、陸軍中将ボスクリョーブイシェフと同じく陸軍中将ヴラシクでした。この二人を通さなければスターリンには面会もできませんでした。特にヴラシクは、無学な赤軍兵士がスターリンのボディーガードから中将まで登りつめた(そして、スターリンの死間近まで粛清されずに持ちこたえた)興味深いケースだそうです。
 そしてベリヤ。彼の経歴には謎も多いのですが、天才的な刑事の感覚と貪欲な立身出世主義、そしてスターリン(個人と彼が作ったシステム(側近たちがお互いを陥れる策謀に明け暮れていたら、協力してスターリンを陥れる策謀をする暇がない))に対する理解によって、ぐんぐんのし上がってきました。ただし、彼の通った道は血まみれだったのですが。
 スターリンはすべてを政治的に扱いました。言語学や経済や科学も。それは「誰がトップか」を明確にする作業でした。だからルイセンコ学説は「科学的に」ではなくて「政治的に」正しかったのです。
 粛清に次ぐ粛清が行なわれますが、その手がベリヤに届こうとしたときこれまでになかった“異変”が起きます。政治局員たちが団結したのです。1952年、スターリンの意向に逆らって中央委員会総会が開催され、スターリンにかわってマレンコフが政治報告を行ないます。これを著者は「機嫌を損ねたスターリンの“ボイコット”」と捉えています。党の第3位から第5位に降格されたベリアは、大演説をします。それはスターリン賛美に聞えますが、実はスターリンに対する挑戦でもありました(「党」をスターリンの上に置いているのです)。結果はベリヤの“勝利”でした。大会後彼はまた第3位に復活したのです。
 スターリンは最後の賭に出ます。もしも彼が好きなことができたら、また新たな粛清が行なわれたことでしょう。そしてそれが防止できたのだとしたら、それは当時のソ連で二番目に憎むべき人間、ベリヤの手柄、ということになります。ベリヤは権力の振るい方をスターリンに学び、そして“生徒”が“教師”を越えてしまったのです。そしてスターリンの“病死”についての謎。死因(本当に病死なのか、あるいは毒殺か)も謎ですが、そもそもいつどこで死んだのかも曖昧なのです。著者は様々な(相互には矛盾することもある)証言などから、四人組(フルシチョフ、ベリヤ、マレンコフ、ブルガーニン)の総意でスターリン排除が決定されベリヤがスターリンに毒を盛った、と推測をしています。そして、スターリンの死後、こんどは四人組の間で(命を賭けた)権力闘争が始まります。“負けた”者がすべての汚いことの責任を負ってあの世に行く闘争です。
 冷戦時代、赤の広場のパレードでバルコニーに並ぶ順番を見ることでソ連政府要人の序列を判定する、という作業が行なわれていました。クレムリン内部での暗闘は、そういった“結果”でしか見ることができなかったわけです。そこで私は二つのことを思います。一つは、そういった“暗闘の伝統”は、今のロシアにも引き継がれているのではないか、ということ。もう一つは、自由主義の国も、一見選挙などで“公開”されているようには見えますが、やはり同様の“暗闘”は行なわれているのではないか、ということ。この場合、「全部秘密だよ」と最初から言っている場合と「公明正大に明らかにやります」と言って実は秘密がたっぷりある場合と、どちらがわかりやすいのでしょう?



支持率

2011-09-16 19:03:10 | Weblog

 マスコミはせっせと世論調査を行なっていますが、内閣が替わったばかりでの支持率/不支持率の調査、って、どんな意味があるのでしょうねえ。だってまだ何の“仕事”もしていないでしょ。「期待を持つ(持たない)=支持する(支持しない)」ではないと思うのですが。
 ちなみに私は、好きか嫌いかとその内閣がちゃんと仕事をいくらかでもしたかどうかの評価とは別の問題だ、と自分の中では処理しています。

【ただいま読書中】『スターリン謀殺』アブドゥラフマン・アフトルハノフ 著、 田辺稔 訳、 中央アート出版社、1991年、2136円(税別)

 ヒトラーがソ連に電撃戦をしかけた瞬間、スターリンは“敵前逃亡”をしました。引き籠もってしまい、何の反応もしなくなったのです(これは『フルシチョフ回顧録』で私も読みました)。そのとき右往左往する人の中で、唯一スターリンの所へ出かけていって「戦争の指導をするよう」勧めたのがベリヤでした。戦争中「ソ連」を実質的に動かしたのは、軍はジューコフ、内務人民委員部(政治警察)はベリヤ、党はベリヤとマレンコフでした。
 スターリンは、自分個人にだけ従う政治警察を組織していました。この「特別部」は、地方も中央も監視し、それがスターリンの「無限の権力」の源でした。側用人のように常にスターリンの側に存在するのは、陸軍中将ボスクリョーブイシェフと同じく陸軍中将ヴラシクでした。この二人を通さなければスターリンには面会もできませんでした。特にヴラシクは、無学な赤軍兵士がスターリンのボディーガードから中将まで登りつめた(そして、スターリンの死間近まで粛清されずに持ちこたえた)興味深いケースだそうです。
 そしてベリヤ。彼の経歴には謎も多いのですが、天才的な刑事の感覚と貪欲な立身出世主義、そしてスターリン(個人と彼が作ったシステム(側近たちがお互いを陥れる策謀に明け暮れていたら、協力してスターリンを陥れる策謀をする暇がない))に対する理解によって、ぐんぐんのし上がってきました。ただし、彼の通った道は血まみれだったのですが。
 スターリンはすべてを政治的に扱いました。言語学や経済や科学も。それは「誰がトップか」を明確にする作業でした。だからルイセンコ学説は「科学的に」ではなくて「政治的に」正しかったのです。
 粛清に次ぐ粛清が行なわれますが、その手がベリヤに届こうとしたときこれまでになかった“異変”が起きます。政治局員たちが団結したのです。1952年、スターリンの意向に逆らって中央委員会総会が開催され、スターリンにかわってマレンコフが政治報告を行ないます。これを著者は「機嫌を損ねたスターリンの“ボイコット”」と捉えています。党の第3位から第5位に降格されたベリアは、大演説をします。それはスターリン賛美に聞えますが、実はスターリンに対する挑戦でもありました(「党」をスターリンの上に置いているのです)。結果はベリヤの“勝利”でした。大会後彼はまた第3位に復活したのです。
 スターリンは最後の賭に出ます。もしも彼が好きなことができたら、また新たな粛清が行なわれたことでしょう。そしてそれが防止できたのだとしたら、それは当時のソ連で二番目に憎むべき人間、ベリヤの手柄、ということになります。ベリヤは権力の振るい方をスターリンに学び、そして“生徒”が“教師”を越えてしまったのです。そしてスターリンの“病死”についての謎。死因(本当に病死なのか、あるいは毒殺か)も謎ですが、そもそもいつどこで死んだのかも曖昧なのです。著者は様々な(相互には矛盾することもある)証言などから、四人組(フルシチョフ、ベリヤ、マレンコフ、ブルガーニン)の総意でスターリン排除が決定されベリヤがスターリンに毒を盛った、と推測をしています。そして、スターリンの死後、こんどは四人組の間で(命を賭けた)権力闘争が始まります。“負けた”者がすべての汚いことの責任を負ってあの世に行く闘争です。
 冷戦時代、赤の広場のパレードでバルコニーに並ぶ順番を見ることでソ連政府要人の序列を判定する、という作業が行なわれていました。クレムリン内部での暗闘は、そういった“結果”でしか見ることができなかったわけです。そこで私は二つのことを思います。一つは、そういった“暗闘の伝統”は、今のロシアにも引き継がれているのではないか、ということ。もう一つは、自由主義の国も、一見選挙などで“公開”されているようには見えますが、やはり同様の“暗闘”は行なわれているのではないか、ということ。この場合、「全部秘密だよ」と最初から言っている場合と「公明正大に明らかにやります」と言って実は秘密がたっぷりある場合と、どちらがわかりやすいのでしょう?



エコノミック・アニマル

2011-09-15 18:44:10 | Weblog

 日本人に向けられていた「悪口」で、日本人もなぜか自嘲気味にそのことばを使っていました。ですが、今になって思うと、「武器でなくても世界に強い影響を与えることはできるのだ」と胸を張って世界に主張しても良かったのではないか、と思えます。経済がグローバル化する前だったのが“時期尚早”だったということなのでしょうか。

【ただいま読書中】『ドイツ医療保険制度の成立』土田武史 著、 勁草書房、1997年、

 別にドイツの医療保険について知りたかったわけではないのですが、図書館の検索で「ビスマルク」と入れてみたら、戦艦や政治家に混じってこんな本が出てきたものですから、あまりに意外で思わず借りてきてしまいました。なんで「ビスマルク」?という疑問を解消するために。
 ビスマルクは、「医療保険法」(1883年、世界で最初の社会保険立法)「労災保険法」(1884年)「障害・老齢保険法」(1889年)の「社会政策三部作」を公布しました。これは「飴と鞭政策」として捉えられることが多いそうですが、著者はビスマルク“以前”からのドイツの共済組織の活動に注目したら、単純に「飴と鞭」(=上からの恩恵)ではないと捉えることが可能だ、としています。
 ドイツの共済制度は、なんと12世紀にまで遡れます。各地で、親方・職人・鉱夫など様々な職種の共済組織が生成消滅を繰り返してきました。それを総称して「共済金庫」と呼びますが、その歴史的意義があまりに軽視されている、と著者はご不満の様子です。
 中世ドイツは「ツンフト(ギルド)」の世界でしたが、14世紀頃からその成員の病気や死亡に対してツンフト金庫からの救済が行なわれるようになりました。内容は主に金銭の貸し付けですが、中には給付(返済を求めない)もありました。
 職業ではなくて宗教的なつながりで「救済」を行なった組織として「兄弟団」があります。こちらは、貧者への喜捨と死者を弔うことで死後の魂の救済を求めていました。
 ツンフトでは、親方になれない職人が増え「「職人階級」を形成するようになります。そこでは「職人金庫」がツンフト金庫と同様の救済(と利益代表)機能を果たすようになりました。
 17世紀の30年戦争後、ドイツでは「貧民対策」が大きな問題となってきました。救済の試みもありますが、厳しいもの(強制労働や監獄への収監)もあります。貧困の原因は怠慢である、という考え方だったのです。ドイツで救貧と監獄が分離されたのは、1770年代になってからでした。
 ドイツと同様の救貧法はイギリスでも施行されましたが、こちらでは重商主義によってギルドの力が弱まり囲い込み運動で農民が大量に都市に集中し、結果として貧民への強制労働が貧民の賃金労働者への転化(資本主義の成立)をもたらしました。しかし産業革命が遅れたドイツでは救貧法によってもたらされたのは、治安の維持でした。
 1794年「プロイセン一般ラント法」が公布されます。啓蒙専制君主フリードリヒ大王の死後の置きみやげで、「救貧は国家の責任」を認めた点で画期的でした。もっともそのための具体的方策は明記されてなかったのですが。ただ、示されたのが理念だけだとしても、画期的は画期的。ただ、これまでの職能集団での共済制度をベースとして運用されたため、福祉としての救貧や工場労働者へ対応が抜けていました。19世紀に入り、職人の蜂起が抑圧され職人組織が解体されていくにつれ、職人金庫は国家の“下請け”となっていきます。1830年代にドイツではやっと産業革命が始まります。政治的にもばらばらでした(60以上の帝国自由都市、250以上の領邦、1500近くの帝国騎士領)が、ナポレオン支配下で再編成され約40の国(といくつかの自由都市)になります。その中でプロイセンは、封建制度の廃止・株式制度による資本の集中を推し進めます。1868年にはプロイセンはオーストリアに勝利し、翌年北ドイツ連邦が結成されます。さらにその先には、フランスとの戦争、ドイツ帝国の成立があります。その歴史の流れの中で、旧来の共済金庫制度は再編成されていきました。地域の違い、それぞれの集団の利益の相反、社会主義への警戒などが複雑に絡み合って話はまとまりませんでしたが、「社会政策三部作」のうちで「医療保険法」はわりとすんなり公布されました。これは共済金庫制度をそのまま生かす姿勢を取ったことで国民の抵抗が少なかったからでしょう。
 ドイツは19世紀に大発展し、大英帝国を脅かすところまでいきました。それは、産業革命やビスマルクの「鉄血」政策だけではなくて、社会保険も国民を支える役に立ったからではないか、と私は想像しています。あ、やっぱり「飴と鞭」か。では、今の日本の社会保険は、一体誰の何の役に立っているのでしょう?



言葉狩り

2011-09-14 18:28:19 | Weblog

 「失言」で大臣が辞めましたが、その記者会見でまるでヤクザのような口調で暴言(「あんたね、辞めるんでしょ。その理由くらいきちんと説明しなさい!」「きちんと説明しろっていってんだよ!」)をはいていた記者のことが一部で話題になっています。たしかに私が知る範囲での記者会見でも居丈高な口を利く記者が時々出現するなあ、とこれまでも思ってはいましたが、今は便利なネット時代、マスコミ編集フィルターを通さなくてもこうしてこちらも直に何があったかを検証できる、良い時代です。
 で、「みんな楽しくHappy♡がいい♪」の「速報!大スクープ!!鉢呂大臣辞任会見での「やくざ記者」が誰なのか判明しました。動画あり・写真あり」によると、時事通信の記者のようですね。「失言で大臣が辞めたのだから、暴言で記者も辞めろ」なんてことを言う気はありませんが、せめて「きちんと説明しろ」くらいは言っても良いですよね?(「説明」以前に「社会人として最低限の礼儀」くらいは欲しいところですが)

【ただいま読書中】『魔法泥棒』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著、 原島文世 訳、 創元推理文庫、2009年、1200円(税別)

 英国は「リング」と呼ばれる魔法使いの組織によって守られていました。しかし「グローバル化」によって、リングの活動は全地球的な規模に拡大しています。チェルノブイリ・温暖化、それらに対応する必要があるのです。ところが“それ”は陰謀でした。地球とは別の宇宙に存在する世界の魔法使いたちが、地球を危機に陥れ、地球人がそれに対して科学や魔法での対抗策を編み出すと、まんまとそれを盗み出していたのです。リングの人々は激怒します。やり方があまりに阿漕だ、と。この剽窃行為(と地球に対する干渉)をやめさせるため、襲撃隊が組織されます。しかし事故で襲撃隊はほぼ全滅。生き残ったのは5人の女性(と、密航者の母子)だけ。
 地球から様々な“収穫”を得ていたのは、「五国」と呼ばれる世界とその上に浮かぶ城(僧院)アルスでした。実は五国はせっぱ詰まった状況に追いつめられていました。そしてアルスも。そこにぼろぼろになった襲撃隊がやってきてアルスに不時着したのですから、てんやわんやの事態に。
 自分たちの正体が知られていないのを良いことに、襲撃隊の面々はアルスの中で破壊工作を始めます。その手段は、料理・タロット占い・ダンスとヨガ・誘惑……いやもう、大笑いですが、DWJ節は“全開”です。
 本書は、大人向けのファンタジー(+SF)という位置づけです。スジは複雑だしきわどい言葉やシーンも出てきますから、お子ちゃまにはちょっと難しいかもしれません(だからと言って、お色気むんむんを期待して読んだらがっかりするでしょうが)。頭の固い人が唱えるフェミニズムをおちょくっているような所もあります。
 登場人物(地球側、アルス側の双方)の関係がなかなか複雑なのですが、さらに事態を混乱させるのが、地球とアルス(あるいは五国)との関係です。単に平行宇宙で近くに存在しているだけ、ではなくて、過去から両者には「関係」があったのです。それが少しずつ姿を現し、人々の行動に影響を与えます。
 とうとう「リング」の最長老(グラディスというばあさま)が腰を上げて、五国に入っていきます。すると、神霊は出るわ神様は出るわ、もうお話がスキップスキップランランラン状態です。アルスはアルスで、盛大な踊りの行列ができてしまって、こちらはこちらでスキップスキップランランラン。そして最後には、デウス・エクス・マキナ、ではなくて、国王の出動……なんですが、グラディスと国王の出会いの所はもう抱腹絶倒です。ぜひぜひご一読を。
 最初は「この大風呂敷をどうたたむんだ?」と思えましたが(なにせ、地球の温暖化をどうするか、ですよ)、さすがDWJ、ちゃんときれいにたたんでしまいます。いやあ、参ったなあ。



レジ袋

2011-09-13 19:06:56 | Weblog

 「レジ袋をやめましょう」運動が本格的になってどのくらい経つでしょう。そろそろその“効果”(レジ袋の使用量の減り具合、その結果どのくらい日本に“良いこと”が起きたかの評価)が数字として表現できる頃ではないかな。
 で、実際の所はどうなんでしょう。“良いこと”が起きているのならそれをどんどん宣伝して、さらにレジ袋の使用量を削減していけばいいでしょうが、もしも大して“良いこと”が起きていないのなら、レジ袋削減運動はやめてもいいのでは? 私が知りたいのは、その選択の根拠となる「現実」です。やったらやりっ放しというのは無責任ですから。

【ただいま読書中】『昔の道具』工藤員功 監修、ポプラ社、2011年、6800円(税別)

 郷土資料館などに昔の日常生活で使っていた道具がずらりと展示されていることがありますが、それの図鑑です。カラー写真が豊富に使われ、その「ものの姿」だけではなくて「実際の使われ方」が図示されています。
 ページをめくると、懐かしいものが次から次へと。
 火鉢・だるまストーブ・練炭・蚊やり豚・はえ取り紙・たらいと洗濯板・ほうきとはたき・割り箸鉄砲・ビー玉・めんこ・フラフープ・ホッピング・水銀の体温計・鉱石ラジオ・真空管ラジオ・氷冷蔵庫・蠅帳……
 こういったものを見ていると、それを使っていた場面が心に蘇ってきます。本書は、一種のタイムマシンですね。私をなつかしい過去に連れて行ってくれますから。提灯や長火鉢はさすがに私の“守備範囲外”ですが、昭和の道具は、ほとんどが身近にあったものです。今から数十年後にこういった本が作られたら、たとえばスーファミとかセガサターンなどが載せられるのかな?



猥褻

2011-09-12 19:00:40 | Weblog

 平原綾香さんがクラシックに自分の歌詞をつけて歌っていますが、たとえば彼女がドヴォルザークのチェロ協奏橋(たまたま私が今聞いている曲です)にとてもエロチックな歌詞をつけて歌い、それを聞いた検察官や裁判官がハアハアしてしまったら、ドヴォルザークはエロな作曲家、ということになってしまうのでしょうか。

【ただいま読書中】『ナショナル・ディフェンス ──アメリカの国防と政策を裸にする』ジェイムズ・ファローズ 著、 赤羽龍夫 訳、 早川書房、1982年、1500円

 戦争に限らず未来は「予知しがたいもの」です。しかし「国防計画」とは「未来を厳密に予言した結果」に基づいて立案されたものです。つまりそこにすでに“矛盾”が存在しています。
 「経済」は「消費」「生産」「政府」に大別できます。ケインズ学説が実現した大戦中をのぞき、基本的にこの3つは“シェア”の奪い合いをやっています。本書執筆当時、アメリカの民間経済は病んでいました(今ではもっとひどくなってますね)。対策は「生産」にもっと多くの金を投資すること。それは「消費」「政府」の“シェア”の縮小を意味します。そして「国防予算」は「政府」の中から支出されます。
 ケネディも下で国防長官になったマクナマラは、国防総省の研究技術局の研究に、「経済」と「科学」の制限を加えました。一見それは“正しい”やり方のようには見えます。不経済で非科学的なやり方よりはるかにマシでしょう。しかし、彼らが用いた仮説やシミュレーションはあまりに単純だったため、結局非実用的な新兵器が次々開発されることになってしまいました(ポラリスよりも大型で(つまり秘匿性に劣る)高価なトライデント潜水艦、敵に身をさらして精密誘導する必要がある対戦車ミサイルや空対空ミサイル、など)。著者は「管理者的アプローチ」と呼びますが、現場の兵士の声を無視した机上の空論での兵器開発が陸海空で次々行なわれました。ただ、マクナマラは、それまでの三軍でのどんぶり勘定や重複を廃し、シビリアン・コントロールを徹底させた、という功績があります(職業軍人には恨まれましたが)。
 「敵の脅威の過大評価」もいわば“伝統”となっています。ソ連のミグ25は「マッハ3.2、航続距離2000マイルの化け物のような脅威の戦闘機」でした。それに対抗できるように仕様書が策定されF15が開発されます。ところが函館に亡命してきて着陸したミグ25は、マッハ2.8を越えたらエンジンが壊れるしろもので航続距離はわずか186マイルでした。回路に真空管も使ってありましたが、これは電子部品の脆弱性で説明は可能でしょう。「敵の過大評価」は被害妄想によるものかもしれませんが、予算をたくさんぶんどれるという“実利”によるものかもしれません。そしてその“伝統”は、最近の「イラクの大量破壊兵器」や「イラク陸軍の強さ」の時にも顔を出しましたね。
 ヴェトナム戦争で「よく弾が詰まる」と不評だったM16ライフルがなぜ“駄作”になったのかの事情も述べられていますが、これを読むとアメリカ兵器部に対する怒りがこみ上げてきます。本来はジャングルで軽快に使えるはずだったAR15をわざわざ兵器部が改悪してM16に仕立てたのですが、その理由は……まあ、本書をご覧ください。たぶん多くの読者は唖然とするはずです。頭の固い官僚は、国民に対する犯罪者である、と言っても良いのではないかな。
 ただ、兵隊に改悪された兵器を送るように躍起になって活動する官僚たちも、別に“悪人”ではありません。彼らも信念を持ち国を愛し全力で自分の仕事をしているのです。悪いのは“状況”だと著者は述べます。

 軍隊を管理するシビリアンだけではなくて、軍人そのものの官僚化も深刻な問題です。将校が立身出世主義になると、「なにをするか」ではなくて「どこにいるか」が一番大切となります。そこで生じるのは、たとえばモラル・ハザードです。
 そして「核兵器」。本書はまだ冷戦時のものですから、「核抑止力」が現役です。著者は「不死身の抑止力を維持することは大切だ」と述べますが、同時に「もっと緊要なのは核兵器の使用を許すような状況をなくすことである」とも述べます。なにしろ著者は、当時のアメリカの核戦略は不合理で不確実なものであることを論証してしまったのですから。
 本書はある意味“古い本”です。冷戦が終わって、世界は変化しました。しかし、本書にはすでに、そのこと(対テロ)についての“予言”もあります。さらに、本書には「歴史」(の一部)が切り取って保存してあります。管理主義的な軍隊運営がいかに非効率的で、敵よりも味方に大きな損害を与えるものかについての“教訓”もたっぷりあります。おそらくその教訓は、アメリカの軍隊にだけ言えることではないでしょう。



ネットラジオ

2011-09-11 18:23:35 | Weblog

 今は良い時代で、NHKのAM・FMは「らじる★らじる」、民放のAM・FMラジオは「radiko.jp」で聞くことができます。ただ、特に国外の人には残念ながら、NHKは国内限定(IPアドレスで判定)ですし、radikoは地域限定(他の地域のラジオを聞くことができません)。「ラジオNIKKEI」は聞けるようですが、私はこれを朝から晩まで聞く気にはなりません。できたら他の地域のラジオも聞いてみたいなあ。ケータイの有料サービスではあるようですが、私はラジオは無料、で育っているのです。

【ただいま読書中】『銀のらせんをたどれば』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著、 市田泉 訳、 佐竹美保 絵、徳間書店、1400円(税別)

 育ててくれているおばあちゃんのご機嫌をなぜか損ねたハレーは、住んでいるロンドンから、いとこたちが大集合しているアイルランドの大きな屋敷「城」に追いやられます。もっとも彼女がそのいとこたちに会うのはこれが初めて。居心地の悪いことはこの上ありません。
 ハレーは途方に暮れて座り込んでいますが、読者も事情は同様です。一体このハレーという少女は誰? どうして両親がいないの? どうしてハレーは学校に行ってないの? 何に対してどうしておばあちゃんは激怒したの?
 そこで回想シーンに入って、やっとハレーの“過去”がわかり始めます。そして「神話層」が登場。地球で生まれるすべての物語・理論・信仰・伝説・神話・希望などで作られ、地球を取り囲んで活動を続けている“もの”。しかしおばあちゃんは神話層に触れることもそのことについて考えることも、禁止します。街で出会った音楽家(兼魔法使い)に導かれてハレーは神話層にほんのちょっとだけ触りますが、それを知ったおばあちゃんはハレーを田舎に“追放”したのです。
 ところが「城」のいとこたちが夢中になってやっている遊びが、まさにその神話層の中での探険でした。皆の支配者「ジュターおじさん」はその遊びを禁止しています。もし逆らったらオソロシイ罰があたえられるのです。しかし、だからこそ子供たちは嬉々として禁じられた遊びを遊びます。ドラゴンのウロコを取ってきたり眠り姫の紡錘を取ってきたり神の果樹園から黄金のリンゴを取ってきたり……
 西洋の神話や童話や民話が次々登場しますが、さりげなく陰陽も登場して、私は非常に楽しめます。著者も楽しんでいるらしく、様々な話が一つのキーワードの下に結集しての流れを「話綱」と名づけて、そこで一つの神話を別の形に変容させたりまったく別の話にくっつけてみたり、自由自在に遊んでいます。そういった話綱が集合した神話層は、見た目はとても美しいものです。もっとも、そこを“歩く”のは、危険な行為でもあります。昔の話って、たいてい血が流れるでしょ? のほほんとしているわけにはいかないのです。そういった危険をかいくぐり、絶対的な権力を振るうジュターの魔の手をのがれて、ハレーは永劫の“罰”を与えられている父と母を救い出すことができるのでしょうか。
 しかし、なぜ彼女の名前が「ハレー」なのか、伏線の時には見過ごしてしまったのが、くやしいなあ。くやしいから、ここでもノーヒントだ。



イノブタ

2011-09-10 18:37:50 | Weblog

 豚は猪が家畜化されたものですが、それをまた猪と交配したらイノブタになります。ところで、家畜の飼育場に野生の動物がやってきた場合、父が猪・母が豚、というのはなんとなくわかりますが、その逆って、あるのでしょうか?

【ただいま読書中】『猪の文化史 ──考古編』新津健 著、 雄山閣、2011年、2400円(税別)

 2005年に、人家の近くに置き去りにされていたウリボウを見つけた人が、牛乳や離乳食で育てて山に帰したら、翌年妊娠した状態でその家に“帰って”きて出産した、というお話がまず紹介されます。獰猛な反面人に懐きやすい性格を持つ猪は、おそらく縄文時代あるいはそれ以前にも同じ行動をしていたはず。本書は、考古史料や歴史史料から「猪と人のつきあい」を探ってみようという本です。
 今から5500年くらい前、縄文時代前期後半の土器で、装飾として小さな猪の顔がつけられたものが群馬県を中心としてたくさん出土しています。写真がありますが、素朴なものやリアルなものから抽象的なものまであって、見ていたらほのぼのとしてきます。
 中期になると、さまざまな動物装飾が登場します。著者はそこに「縄文の物語」を読み取ります。縄文人が自然を観察して得た知識と物語を、土器に表現したのではないか、と。特にそこで注目を惹くのが、猪・蛇・蛙です。
 縄文後期には、装飾としての猪は姿を消します。そのかわり、猪そのままの形を土器に焼いたものが登場。これを猪型土製品と呼びますが、東日本から西日本まで、広く出土します。同時に犬の土製品も出土しますが、これはおそらく飼い犬でしょう。では猪の“意味”は?
 貝塚から出土する動物の骨で多いのは、鹿、そして猪です。貴重なタンパク源だったのでしょう。ところが、猪が人骨や犬の骨とともに丁重に葬られた跡も見つかっています。飼われていたのか、それとも祭儀での犠牲獸だったのかは不明ですが。金生遺跡からは、猪の幼獸のしっかり焼かれた下顎骨が出土しました。こちらには祭儀の匂いが濃厚にします。しかし、その目的は?
 日向には現在も猪の首を神前に奉納する祭があります。猪に対する感謝と鎮魂、そして豊猟祈願の祭です。もちろんそれは、縄文時代そのままであるわけがありませんが、それでも何か縄文時代の名残があるのではないか、と著者は考えます。
 縄文人は森を切り開いて村を作りました。村の周囲は、切り開かれた土地となり、そこに猪が多く出没するようになります。そこから猪の半飼育(村の内外を自由に行き来して、野生の猪との交配も自由に行なう。出産は安全な村の中で)が始まった、だから猪の幼獸を多く祭儀に用いることができるようになった、と著者は推測しています。
 弥生時代になると、猪の下顎骨が棒でつながれたものが出土するようになります。これは中国の祭儀の影響がある、とされています。ただ、縄文時代には豊穣の神(の一つ)だった猪は、銅鐸や埴輪を見ると、弥生時代には狩人と猟犬によって狩られる害獣になってしまったようです。その「まつろわぬもの」としての猪の性格は、古墳時代にはさらに明確になっていきます。
 私が住む町にも数年前に猪が出て大騒ぎになりました。最近は噂を聞きませんが、自宅から見える山にまだ猪は住んでいるのかなあ、彼らの環境は快適なのかな、とちょっと気になることがあります。彼らも、わざわざ住宅地に出たくて出たわけではないでしょうから。