【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

低高

2010-08-17 22:39:36 | Weblog
管楽器の穴の位置は勝手に変えようがありません。「その位置」に無ければぴったりの周波数の音が得られませんから。弦楽器のどこを押さえるかも弦の長さによって規定されてしまいます。しかし、弦の配置や鍵盤楽器の鍵盤の位置は恣意的に変えることが可能です。たとえば左側が高音で右側が低音のピアノも、理論的には製作が可能なはす。だけど、想像してみるとなんだかしっくり来ないんですよねえ。なぜでしょう。人間は「右上がり」がお好き?

【ただいま読書中】『ボルツマンの原子 ──理論物理学の夜明け』デヴィッド・リンドリー 著、 松浦俊輔 訳、 土社、2003年、2600円(税別)

1897年1月ウィーンの帝国科学アカデミーの会合でのことです。ボルツマンの講演後の討論で、エルンスト・マッハはあの有名な言葉を述べました。「原子が存在するとは信じません」。当時の物理学は「法則」を扱う学であり、“机上の空論”である「原子」を扱う必要はない、とマッハは考えていたのでした。
素朴な原子論は2000年以上前、デモクリトスまで遡ります。そしてデモクリトスから2000年経って原子論は復活しました。1738年、ダニエル・ベルヌーイは気体の分子・原子モデルを構築します。ただし原子の運動によって気体の「圧力」は説明しましたが、「温度」はまだその正体が不明だったため、説明できませんでした。事情が変わったのは19世紀。クラジウス、マクスウェル、そしてボルツマンによって気体の原子に関する記述が行なわれました。それは「運動説」(空っぽの空間の中に小さな粒子である原子がお互いにぶつかり合いながら自由に運動している)と呼ばれました。
当時の理論物理学の最先端ウィーン大学で学んだボルツマンは、気体中の原子の動きを統計的に記述する方法を模索します。個々の原子がでたらめに動きぶつかり向きを変える、それを大まかな平均で表現できれば「気体中の原子」について述べることができるはずです。これは(ボルツマンは当時気がついていませんでしたが)物理学の革命でした。原子論によって「すべての原子の動きがわかれば、未来はすべて予測可能になる」という無神論的な決定論が導かれました。ところがそういった「確定」を扱う学問にボルツマンは「統計と確率」を持ち込んだのです。しかし「革命」には「抵抗」がつきものです。
マクスウェルは、ニュートン力学と統計を用いて、土星の環が粉体の集合であることを証明しました。そしてボルツマンは、熱力学の法則で登場したエントロピーが原子の何と関係し何を反映しているのか考え、後年「H定理」と呼ばれる定理を導きます。これは原子の衝突に関する力学原理からエントロピーが減少しないことが簡単に導き出される画期的な定理でした。ただしこれには異論が唱えられます。式に含まれる時間の矢を逆転させたらエントロピーが減少することの指摘とか(これを唱えるのは実は原子論の肯定者)、定理に確率論を持ち込むこと自体への異論とか(こちらは原子論そのものの否定論者)。
高名な物理学者マッハは、いつのまにか科学史・科学哲学の大家になっていました。彼の哲学は単純な原理の上にありました。「(机上の空論に夢中になるのではなくて)科学は観測できる事実に依拠すべきであって、仮説や理論ではない」。だから目に見えない「原子」の運動に関する仮説は、容認できないのです。当然マッハはボルツマンの(非常に強力な)論敵になります。
それでもボルツマンは(ごりごりと不器用に)進み続けます。しかし、有力な支持者が次々没し、旧来からの「熱力学の第二法則が確率論であることを否定する」人たちやマッハの信奉者たちがどんどん増えて「ボルツマンは原子論の最後の支柱」と呼ばれるようになってしまいます。原子論は物理学の世界では風前の灯火だったのです。
しかし、X線・放射能・電子の発見で、物理学は大騒ぎとなります。それまでの大論争が嘘のように、新しい物理学者たちは「原子があることが当然」の立場で研究を進めました。しかし前世紀の科学者たちは、それまでの論争からそう簡単に自由にはなれませんでした。20世紀の物理学は、19世紀の死屍累々のうえに構築されたのです。
ボルツマンの業績は、近代的な原子論を確立したことだけではありません。彼の発想からは、量子論が、そして相対性理論が生まれたのです。彼は物理学の革命に成功し、世界を変革したのです。逆に、アインシュタインのブラウン運動に関する考察は、「原子の(運動の)存在」を目に見える形で示すことになりました。
本書は単純な伝記でもなければただの科学の解説書でもありません。ボルツマンやマッハの“限界”や“理論の欠陥”について公平な見方をしていますし、様々な人々の人物像に対する著者の魅力的な解釈がさりげなく散りばめられています。ボルツマンのことは、常に仕事のことで頭がいっぱいで、身なりや人付き合いにはきわめてぶきっちょなふとっちょ、といった感じでわりと好意的に描かれています。ただ、付和雷同的に変節ししかもその変節に対して無自覚な人に対しては、ちょっと厳しめの評価となっていますが、それはしかたがないでしょう。ともかくボルツマンが奮闘したおかげで、20世紀の物理学者たちは、何か新しい粒子や宇宙の始まりについて考えるとき「それが実在するか」「実在するならどのようなものか」は考察・研究しなければなりませんでしたが「そのような現時点では見つかっていないもののことを考えても良いものだろうか」と悩む必要はなくなっていたのです。ただ、ボルツマンが生きていたのは哲学と科学が密接に関係していた時代ですが、現代のようにその両者が完全に分離して両者が共通の言語を持たないのも、ある意味問題だな、とは感じます(科学の最先端でまた「認識」が問題になっているのは興味深い現象ではありますが)。それぞれの専門分野でこぎれいに生きていく人ばかりではなくて、現代にも“ボルツマン”が必要なのではないかな。




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