【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

毀誉

2011-03-29 18:57:56 | Weblog

 菅さんが原発視察をしたのが、対策の初動の邪魔になったのではないか、と国会で責められていました。わかったつもりのエライ人が現場の邪魔をする、というわかりやすい構図です。たしかに現場の人間の立場からは「余計な人間は来るな」と言いたいでしょう(私も原発ではありませんが、“現場の人間”ですから、そのへんはよく感じます)。ただ、国会で菅さんを責めている人は、では菅さんが公邸にこもって原発に近づきもしなかったら褒めたんですかね?

【ただいま読書中】『次郎物語 第一部』下村湖人 著、 新潮文庫、1987年、560円

 生まれてすぐに里子に出された次郎は、6歳で無理矢理戻された実家では“居場所”がありません。居場所がない子供は、「良い子」になって居場所を確保する場合と、頑なに自分を守ろうとする場合とが考えられます。次郎は後者でした。大人(特に母親)は態度を硬化させます。自分が里子に出した、という行為の“責任”を次郎に問われているような気がしたのでしょう。次郎をめぐる家族の人間関係は不健康になっていきます。ただひとつの救いは父親の存在でした。彼は、タテマエからかもしれませんが、次郎を丸ごと受入れるように言います。そう言いつつ、潔癖症の気があるため、汚れた次郎の身体がくっつくと「汚い」なんて平気で口走るのですが。
 母親から見たら、次郎は、人の顔色をうかがい無口で反抗的で意固地、食い意地だけは張っているという、まったく「可愛くない子」です。外見も可愛くないのでますます次郎は損をします。しかし、優しさに弱いという大きな弱点に気づく人はあまりいません。
 次郎は、里子として育ててくれたお浜とその家(学校の校番室)に愛着を感じていますが、お浜は「実家に帰した以上、ここに入り浸ってはならない」とスジを通そうとします。次郎はもう一つ「家」を見つけます。母親の実家です。そこは暖かく次郎を迎え入れてくれます。それがまた母親の気に入りません。しかし、次郎は“自分の家”では、兄と弟だけがかわいがられて自分だけ露骨に疎外されているから「外」に「家」を見つけるしかないのです。(しかもそのときに大人たちが操る屁理屈を、次郎は見透かしています)
 学校に入り、次郎にはもう一つの「世界」が開けます。子供たちの世界です。そこで次郎は“自分の場所”を見つけます。
 本書は「告発状」です。告発されるのは、人間にたとえば「大人」「子供」とかいうレッテルを貼ってそのレッテルだけを眺めるだけですべてがわかったつもりになって安心している人すべて。子供時代に本書を読んで感じた胸を締めつけるような緊張感を久しぶりに思い出しました。
 物語は暗くなっていきます。「愛されない」ことが次郎の人生の基調だったとしたら、そこに「死」が加わるのです。さらに家の没落。次郎は、土地も家も売って町に出る一家とは別れて、居心地の良い母親の実家で暮らすことを選択します。肺病になった母親が町から実家に戻ってきたのを機会に、次郎は“いじらしい子”になります。ただし彼の本質が変わったわけではありません。これまでの「人を苛立たせることで自分の存在を示す」戦術を「人を感心させることで……」に変更しただけですから。次郎の心には、対人関係に関して常に「空虚な穴」がこっぽりと開いているのです。そして母の死で第一部は終わります。
 あまりにリアルで暗い物語です。近代文学にプロレタリア文学が占める位置を、本書は児童物語の分野で占めているのかもしれません。




コメントを投稿