【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

世界の目

2013-02-01 06:57:14 | Weblog

 日本は「世間の目」を気にする社会ですよね。だったら、「体罰」とか「しごき」とかで「世界の目」も気にした方が良いのでは?

【ただいま読書中】『荒海からの生還』ドゥガル・ロバートソン 著、 河合伸 訳、 朝日新聞社、1973年、780円

 一家で船に乗って世界一周をしようと決心したロバートソン一家は、家畜と牧場をそっくり売ってその金で二本マストのスクーナーを購入します。途中で臨時の乗組員を加えたりしながら大西洋を横断してバハマ諸島に到着したところで、長女のアンがカナダ人青年と恋に落ちて結婚。一人減ったロバートソン一家は旅を続けます。パナマ運河を通って、さあ、太平洋です。
 期待はずれだったガラパゴス諸島を出発した直後、船はシャチと衝突、あっというまに沈没してしまいます。一家5人(とニュージーランドまで便乗の臨時船員22歳のロビン)は、ファイバーグラス製のディンギー(小型ボート)と救命いかだで脱出します。
 さて、ここからが本書の“本題”の漂流生活になるのですが、その前の段階で私は愕然としています。「世界一周をしたい」という“夢”のために、いくら貧乏で仕事がきついからといって、農場を売って、一番下はまだ小学校を卒業したかどうかの子を連れて海に出ますか? いや、すごい決断力と行動力です。
 さて、食糧は、いくら節約しても6人で10日分。じっと待っていても救助はアテにできません。たどり着けそうな一番近い陸地は1000海里以上向こう。一番近い航路も数百海里向こう。そこで著者は、海流に乗って北を目指します。赤道無風帯に入れば雨が期待できるし、うまく海流に乗っていれば中米にたどり着けるだろう、と。ただし食糧は悲しいほど少なく水はもっと少ししかありません。ディンギーに帆を立てて救命筏を引っ張らせますが、命の綱である筏は空気漏れをしていました。
 脱水寸前で時々降る雨を集めて、水に関してはぎりぎりの所での“自転車操業”です。食糧は、トビウオが飛び込んできたり、シイラやウミガメをたまに捕まえることができました。それでもカロリーとしてはぎりぎり(というか、必要最低限以下)です。貨物船と行き会いますが、遭難信号は無視されました。こういった漂流記を読むと、どうも最初の船には気づいてもらえない、という“法則”があるような気がします。
 思いつきですが、救命ボートや救命筏には、(レーダーを見たらすぐ“それ”とわかる)特有のレーダー反射板のようなものをつけておくこと(つまり「ステルス」の逆の発想)は無理なのでしょうか。波間の小さなボートを肉眼で見つけることは、船からはけっこう困難だと思うのです。
 漂流はきついものですが、生魚を食べる習慣を持たない人には、こういった火を使えない漂流生活はさらにきついものになるだろうな、とも思います。「食べ物」を口に入れて嚙むことにも生理的な抵抗を感じてしまうのですから。それでも「生き抜く」ために、著者たちは「穴居人の生活」を敢行します。それでもオレンジの皮は食べずに捨てたりウミガメの血や「クズ肉」も捨てたり、けっこう「贅沢」な行動をしているのですが。
 筏の気室からは空気漏れが続き、誰かが常に空気を吹き込み続けなければいけない状態でした。いつ沈没するかわかりませんし、空気を吹き込む作業が体力の消耗を招くため、著者は筏の放棄を決断します。
 6人はグラスファイバー製の小さなディンギーに乗り移ります。ぎゅう詰めで体を動かす余裕はなく、喫水の余裕も数インチ。誰かが不注意な動きをしてバランスを崩したり少し大きな波が来たらあっという間に浸水してしまいます。
 真水が欲しいのですが、雨が降るとボートに浸水するし体は濡れて気持ち悪いしせっかく保存用に干していた魚肉が湿気ていたんでしまいます。といってずっと晴れていると、干し肉はよく乾きますが人体が日焼けするし水が足りなくなります。なかなか上手くいかないものです。
 長い漂流と狭いスペースでとげとげしい感情的な衝突も起きますが、漂流38日目、彼らは日本の漁船「第一東華丸」と出会い、救助されます。船上で過ごした数日間、漂流者に対して暖かい気づかいをするだけではなくて船員同士の間も礼儀正しい態度であることを見て、かつて乗っていた船を日本軍に撃沈されたことによる恨みを、著者は忘れます。この航海は、子供たちだけではなくて、著者にも十分な“成果”を与えてくれたのです。
 巻末の「教訓」も、なかなか実際的です。漂流の経験者でないと「何が役立つか」はなかなかわからないものだ、ということはわかります。実際に体験しておく必要があるかどうかはわかりませんが、「想定」だけはしておいて損はなさそうです。たとえば今から最初に外に出たとき、自分が交通事故にあうかもしれない、くらいの想定はしてみましょうか。想定が無駄になったら、それはそれでいいわけですから。



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