【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

男系の維持

2021-06-20 11:14:44 | Weblog

 将軍家や大名などは子供ができないことに備えて側室を複数置く、という“対策”を立てるそうですが、男性不妊に対しては無効ですよね。
 ちなみに、男性に不妊の原因がある確率は、女性とほぼ同等だそうです。「嫁して3年子なきは去る」は女性の側にだけ要求してはいけないみたい。

【ただいま読書中】『源氏将軍断絶』坂井孝一 著、 PHP研究所、2021年、1020円(税別)

 室町幕府も江戸幕府も初代の血統が15代続きましたが、鎌倉幕府の場合頼朝の血筋は三代まで。四代と五代は摂家将軍、六〜九代は親王将軍となりました。源氏の血筋は存在していたのに、どうして源氏将軍が途絶えてしまったのか、それを本書は問います。さらに、誰もがたよりにする鎌倉幕府の公式資料は『吾妻鏡』ですが、これが編纂されたのは頼朝挙兵から120年後、つまり「北条寄り」の史料です。あまり真っ直ぐに記述を信じ込まない方が良さそうです。
 全国をほぼ平定して幕府の基礎を固め、跡継ぎの頼家も元服を迎えようとしている建久四年、頼朝は富士の裾野で大規模な巻き狩りを行いました。狩りですが、多数の御家人が参加した軍事演習でもあります。12才の頼家は見事に鹿を射止めますが、そこで曾我兄弟の敵討ちが勃発。この事件が後日、有力御家人の大粛清につながります。ことの真相は不明ですが、ともかく政権基盤を固めた頼朝は、征夷大将軍を嗣子にも継がせる「源氏将軍」を朝廷に認めさせます……が、頼朝の死の3年前から「吾妻鏡」では記述が空白となっています。そこで著者は朝廷貴族たちの日記を漁ります。それによると、頼朝は自分の娘を入内させようとして失敗、頼家には朝廷の重臣賀茂重長の娘を迎えますが、なかなか子ができません。ただこのあたりには「北条には都合の悪い真実」がいろいろあって、だからと言って捏造をいろいろするとボロが出そう、だから「吾妻鏡」にはあっさり3年間の空白があるのではないか、と著者は考えています。
 「吾妻鏡」には二代将軍頼家は「暗君」として描かれます。そこにも著者は疑いの目を向けます。「源氏将軍」から政権を奪った「北条政権」を正当化するためではないか、と。中国の史書でもおなじみの手口です(たとえば「酒池肉林」)。頼家の乳母夫は比企氏、対して実朝の乳母夫は北条氏です。頼朝は両氏の協力の上に幕府を築こうという構想を持っていたのでしょうが、頼朝の早すぎる死によって、権力闘争が準備されてしまいました。そして、頼家の発病と危篤状態により「次の将軍」への争いが始まり、そこに頼家の「奇跡的な回復」があったためにとうとうむき出しの暴力による「比企の乱」が勃発しました(この闘いで北条が負けていたら「北条の乱」となっていたかもしれません)。ともかく北条は勝ち、幼い将軍実朝を擁立、北条氏は御家人筆頭の地位を確立します。
 ところがこんどは北条氏の内紛が。政子・義時の姉弟と、その父時政・その後妻牧の方との対立です(牧氏事件)。将軍実朝の身柄を抑えた政子・義時側の勝利となり、時政は出家して伊豆に隠遁します。
 私たちの目には、蹴鞠や和歌は、遊びとか風流とかのジャンルのものに見えます。しかし当時の貴族や武士にとって、それらは「政治のツール」でもありました。だから「蹴鞠に熱中していた」と記録にあっても単に「遊びほうけていた」わけではないのです。
 幼い将軍実朝は若い将軍実朝に成長し、政治を少しずつ自分で動かし始めます。そこで勃発したのが大騒乱となった和田合戦。御家人ナンバー2の和田氏とナンバー1の北条氏の対立から多数の御家人が戦うことになりました。その後実朝は御家人統制を進め、一時疎遠となっていた朝廷との関係も修復しようとします。ところがそれに対して「吾妻鏡」は冷ややかな記述をします。この「冷ややかさ」にも著者は「意図」を感じます。
 実朝の御台所信子は「治天の君」後鳥羽上皇の従兄妹でした。実朝から見たら、その妻より身分が劣る女との間に後継者を作る気にはなれません。しかし愛妻との間に子はできませんでした。御家人の間では「頼朝の直系の子孫が将軍になる」という「源氏将軍観」が定着しつつありました。つまり「源氏」というだけでは将軍になる視覚としては不十分なのです。そこに、信子より身分が上の人間、つまり親王を後鳥羽より頂いて将軍後継者にする、という驚きの発想が登場します。それはおそらく実朝が思いついただろう、と著者は推測します。
 これは、実朝・北条・後鳥羽、それぞれにメリットの多い構想でした。それぞれの立場での解説を読むと、たしかにその通りだ、と思わされます。しかしここでまたもや大事件が勃発。二代将軍頼家の遺児公暁による実朝暗殺です。これには「陰謀説」がいろいろ唱えられていますが、その後の幕府や朝廷の大混乱ぶりから、「陰謀はなかった」と著者は推測をします。そして承久の乱。もう、日本は大混乱です。後鳥羽上皇は北条義時にターゲットを絞って排除することを狙いますが、「チーム鎌倉」はそれに牙を剥き「三上皇配流」となってしまいます。朝廷からは「東国の軍事政権」に過ぎなかった存在が、朝廷よりも「上」に立つ世が来たのです。こうなると北条は「源氏将軍」にこだわる理由がなくなります。といって「執権」が将軍になったら御家人の反発が来るのは目に見えている。だから将軍を京から迎えるようにしたのでしょう。「将軍がエラい」のではなくて「次の将軍が誰かを決める人がエラい」のです。あらら、これって外祖父や上皇の制度と同じですね。

 


ポストコロナ

2021-06-20 11:14:44 | Weblog

 一番楽観的な未来:ワクチンが奏効あるいはウイルスが突然変異をして無害になる。
 悲観的な未来:これはいくつもあり得ます。たとえば、ワクチンの効果があってもごく短期間。ワクチンの副反応で人類がばたばた倒れる。ウイルスが突然変異をして凶悪になる。ワクチンの効果は限定的で、今と同じ状態がずっと続く。新しい疫病がさらに発生する。

【ただいま読書中】『コロナ後の世界』大野和基 編、文藝春秋(文春新書1271)、2020年、800円(税別)

目次:「独裁国家はパンデミックに強いのか」(ジャレド・ダイアモンド)、「AIで人類はレジリエントになれる」(マックス・テグマーク)、「ロックダウンで生まれた新しい働き方」(リンダ・グラットン)、「認知バイアスが感染症対策を遅らせた」(スティーブン・ピンカー)、「新型コロナで強力になったGAFA」(スコット・ギャラウェイ)、「景気回復はスウッシュ型になる」(ポール・クルーグマン)

 タイトルとそのタイトルでインタビューを受けた人の名前を見たら、ある程度中身に見当はつきますが、「コロナ後」というキーワードで統一された論考を見ると、「ポストコロナの世界」のありようが少し見えた気がします。
 そういった“大きな部分”だけではなくて、本書では細部も面白い。たとえばジャレド・ダイアモンドは「中国のような独裁国家だと、パンデミックに対する対策は議論抜きで直ちに実行できてすぐに効果を現す」と肯定的に述べたあとで「ただし独裁国家が常に正しい決定を下すとは限らない」とも述べています。実際に独裁的な決定は、正しいこともあるけれど間違えている(でもそれを「力」によって押しつける)場合の方が多いですよね。
 マックス・テグマークは「パンデミックとの闘いは情報戦だ」と言います。これまたわかりやすい。
 本書は、著作ではなくてインタビューであるため、どの人も非常にわかりやすく語ってくれています。その共通点を敢えて探すと、「終末論や末法思想のような、ひどい悲観論に陥る必要はない」でしょう。どの人も「コロナによって生じた危機は、実はコロナ以前から準備されていたものがコロナウイルスであぶり出されたもの」という認識をしています。だったら、なんとか人為で対応することも可能、ということです。あまり悪いことばかり思っているとその“予言”は自己成就をしてしまいますから、私も(警戒はしつつ)楽観的に未来を眺めることにします。