ちわわ一家の 食べ歩る記・飲み歩る記

美味しい料理と
美味しい酒を求めて
日本を、世界をさまよう
チワワ一家の「食べ歩る記・飲み歩る記」

井筒屋小倉店 銀座 星岡茶寮

2015-01-31 21:26:30 | グルメ
井筒屋 小倉店
8階グルメスクエアにある
和食レストラン
銀座 星岡茶寮
(ほしがおかさりょう)


銀座 星岡茶寮の外観

レストラン街のお店らしく入り口に食品サンプルが並んでいます

今日はこちらのレストランで夕食をとることにしました

窓際の席に案内されました

窓からは小倉城や北九州市役所、リバーウォークなど
地上8階からの景色が堪能できます
ちょうど夕方だったので綺麗な夕焼け空になっていました

まずは生ビール

中ジョッキで乾杯です

窓には銀座 星岡茶寮の文字が貼り付けられています

きれいな景色を見ながらの食事は実に贅沢ですね

注文した料理は『星岡定食』

お店の名前が付いた料理なので一押しメニューなのでしょう

刺身

新鮮なお刺身は美味しいですね

天ぷら

海老天もありますね
揚げたてのサクサク天ぷらでした

天ぷらには日本酒ですね

菊正宗 大吟醸 きもと造りの冷酒です

小鉢は魚の煮付け


吸い物


茶わん蒸し

銀杏と海老入りの本格茶碗蒸し

ごはん


お新香


デザートのぜんざい

栗と白玉まで付いた大満足のデザートでした

窓からの夜の景色

食事をしている間にすっかり夜も更け
ライトアップされた小倉城が夜の景色にぽっかりと浮かんでいました

店内の様子

おしゃれな和風の店内です

営業時間は21時まで
ラストオーダーは20時まで
ゆっくりと落ち着いた雰囲気のとてもいいお店でした

井筒屋 レストラン街

2015-01-31 17:48:54 | 国内旅行
井筒屋 小倉店
現在北九州市で唯一の百貨店です

井筒屋の設立は1935年7月
今年は創業80周年の記念の年

小倉駅前の旧そごうも
今は井筒屋がコレットとして
営業を続けています

今日は福祉弁当がお休みなので
井筒屋小倉店のレストラン街で
父と夕食をとることにしました


井筒屋ファミリーレストラン

昭和の時代にはデパートの最上階といえば大食堂が必ずありました
大食堂の定番メニューといえばお子様ランチですね
最近そんなデパートの大食堂はあまり見なくなりましたが
井筒屋ではファミリーレストランという名前で今も残っています

ファミリーレストラン入り口

デパートの大食堂は健全なイメージで通っていました
中学の校則で唯一友人同士で外食が許されたのは
デパートの大食堂でした
そんなイメージを今でも残すファミリーレストラン

ファミリーレストラン食品サンプル

当時のメニューは覚えていませんがラインナップが増えいるのではないでしょうか



和洋中全てのメニューが揃っていて
子供からお年寄りまで全ての人が楽しめるレストラン
今のファミレスが出来る前からあったデパートの大食堂が
ファミレスの原点といってもいいのでしょう

ファミリーレストラン外観

今回は中には入りませんでした

レストラン街『グルメスクエア』フロアマップ

8階のグルメスクエアには
本館と新館あわせて12店のレストランが入居しています
ファミリーレストラン以外にも色んな種類のレストランがあるようです

とんかつ いな葉


とんかつ いな葉さんは本社が板橋にあるとんかつ和幸のグループ店です

寿司ふく料理 からと市場

フグの卸売り市場として有名な下関の唐戸市場で
仲買人をしていた業者が営むフグ料理のお店です

星岡茶寮(ほしがおかさりょう)

お刺身やてんぷらが美味しい和食のお店
今日の夕食はこちらに決定

小倉富野サマリヤマンション

2015-01-31 15:43:40 | 国内旅行
小倉富野サマリヤマンション

私が小学生だった時に
住んでいたマンションです

ここに来る前は同じ小倉の
金田という町に住んでいましたが
都市高速建設の為に
立ち退きすることになり
このマンションに引っ越しました


マンションの看板


所在地 小倉北区赤坂2丁目
竣工 1975年1月 築41年
構造 RC一部SRC・8階建 全113戸
施主 サマリヤ社
施工 大長崎建設

場所的にはバス停からは少し距離があり
しかも坂の上にあるので交通の便はあまりいい方ではないのですが
すぐ隣りが小学校なので、そこに通う者にとっては最適な場所でした
予鈴のチャイムを聞いてから家を出ても十分間に合う近さです
何か忘れ物をしても休み時間の間に取りに帰れました

1階のエントランス前広場

この広場が子供の遊び場でした
昔は同年代の子供がたくさんいたので
いつも誰かがここで遊んでいました
最近は外で遊ぶ子供を見なくなりましたね

2階につながる非常階段

昔は階段の一番下の段に木製の柵が建てられていましたが
今は2階の入り口にドアが設置されて鍵が掛かっていました
柵だった頃はみんなその柵を乗り越えて上がっていましたが
鍵のかかったドアだと正門から入るしかないですね
この階段の手すりの上に乗って下まで滑り降りて遊んでいました

2階の住居部分

私が住んでいたのは2階の奥の部屋でした

2階からみたマンションの外観

ペンキが塗り替えられて築40年にしては綺麗な外観です

サマリヤマンションの向かいにあるメゾン桜ヶ丘

サマリヤが新築だった頃、すでに古いアパートだったのですが
ちゃんと手入れをしてるおかげなのか
40年前よりも綺麗になっているように見えます

サマリヤマンションのマーク

サマリヤマンションは同じ名前、同じマークのビルを
東京や埼玉でも見たことがあります

1階の駐輪場

昔と何も変わっていませんね

広場

駐輪場の奥にはちょっとした広場があって
どんと焼きなどの子供会の行事をこの広場でやっていました
どんと焼きの火で焼いた焼き芋が美味しいかったものです

自動販売機

私が住んでいた頃は缶ジュースの自動販売機と
コカコーラ社の瓶ジュースの自動販売機が置かれていました
自動販売機の栓抜きの穴から磁石を使って王冠釣りを良くやったものです

マンションのエントランス

全面ガラスばりのエントランスの為
そこにガラスが有ることに気付かないで
顔面から激突していた人がいました
その瞬間を見た時のおかしさは今でも忘れられません

エレベータ

2基とも稼働していました
40年の間に何度か入れ換えたのでしょうか

集合ポスト


乱れていませんね
ほっとしました

1階広場から見上げた様子

ちゃんと修繕していれば何十年でも住む事が出来るのですね
売り出し中の物件も内装をリフォームされている物は
古さを感じることなく価値もそれ程下がっていないようでした
私が小学1年から中学の最初の頃まで暮らしていたマンション
子供の頃の記憶はほとんどこのマンションに暮らしていた時のもので
それ位思い出の詰まったマンションです

上富野のショッピングタウン

2015-01-31 15:26:08 | 国内旅行
小倉北区上富野
かじやショッピングタウン

丸源グランドパレスから
歩いてすぐの場所にあるこのお店

サニーというスーパーがあり
私が小学生だった頃
良く買い物に来ていたお店です

中学生になって現在の
南小倉に引っ越したので
ほぼ35年ぶりの訪問でしたが
あまりの変わりように
愕然としてしまいました


かじやショッピングタウン向かって左側

今は何のお店も無いようですが、確かこのあたりに、もしかしたら
この向かいだったかも知れませんがラーメン屋さんがあったはず
昔このラーメン屋さんからラーメンの出前を取って食べていました

更に後ろ側


左後ろに入口がありました

35年前に見ていた記憶では
この入り口を入って右側が小売の専門店街で
そして左側がスーパーサニー富野店でした
今は左側のサニーは取り壊され右側の専門店街だけが残っている状態です
サニーは当時近所で唯一のスーパーマーケットで
小学校の遠足の前には必ずこのスーパーでお菓子を買っていました
当時の上限は300円で、良く買っていたのは
明治のコーヒービートや不二家のパラソルチョコレート
味覚糖のさくらんぼの詩やセイカ食品のボンタンアメなど
また、スーパーの脇にあったDPEショップも良く使っていました

ハンバーガーと洋菓子の店 かじや

かじやショッピングタウンと呼ばれている由縁のお店でしょう
しかし、このお店は35年前の記憶には全く残っていませんでした

中は全てのお店のシャッターが閉まったままの状態でした

なにしろ35年前はシャッターが下りている状態を見たことが無く
全てのお店が営業していて常に活気があったのです
ですから、このようなシャッター街になってしまうと
どこに何があったかなんて、正確には思い出せないのです

少し覚えているのはこのあたりに肉屋さんがあったこと
同級生の親がやっていたお店だから覚えています

化粧品

化粧品店は覚えていませんが、このあたりに本屋さんがありました

当時、ここの本屋で旺文社の雑誌『中一時代』を年間購読予約して
予約特典のポケットカメラをもらった事を覚えています

『中一時代』のライバル誌だった学研の『中一コース』の予約特典は
ライト付きのポケットラジオ
どちらを予約するかは、当時の小学6年生には悩みの種でした

選択基準は年間予約のおまけの他にもう一つあったのです

『時代』のイメージガールが河合奈保子さんなのに対して
『コース』は松田聖子さん
タイプの異なる2人のアイドルは当時の人気を二分していました
奈保子ちゃんか聖子ちゃんかは我々を大いに悩ましてくれたのでした
散々悩んだ挙句に選んだのが奈保子ちゃんのポケットカメラだったのです

ただこのカメラ、小学生でも簡単に撮れるのは良いのですが
126カートリッジという非常にマイナーなフィルムを使うカメラで
そのフィルムが簡単に入手出来ないのです
さらに現像するのも1週間くらい必要だった為に
実際に使ったのは1回のみで、その後はお蔵入りとなってしまいました

うどん屋さん

こちらのうどん屋さんは当時あった記憶はありませんが
現在も営業しているお店の様でした

ケーキとパンの店

このお店も最近まで営業していたようです

薬品

このお店も覚えていませんね

ショッピングタウンの正面

入り口のお店で町の便利屋さんがひっそりと営業していました

入り口から入って一番奥の突き当たりが
スーパー『サニー富野店』だった場所です

右側面

2階に上がる階段がありますが、一度も上がったことはありませんでした

初めて2階に上がってみると

そこは1階店舗の住居部分でした
お店は閉まっていても2階では当時の店主たちがまだ暮らしているのかもしれません

富野市場の跡地

ここはかじやショッピングタウンから歩いてすぐの所の
木造のアーケード市場があった場所です
2011年の原因不明の火災で37棟を焼失してしまう前までは
実際に営業しているのは八百屋さんや魚屋さんなど
数件のみでしたが、現役の市場でした
なくなる前に見れなかったことが非常に残念です
焼失前に営業していたと思われるお店は
跡地に新しい店舗を建てて元気に営業していました

富野市場の前にあるパン屋さん

ドキュメンタリーやバラエティーなど
色々なテレビ番組に出たことがある
地元では有名なパン屋さんです
天然酵母にこだわるパンはお昼前には売り切れてしまうそうです

さようなら丸源ビル 番外編(銀座)

2015-01-31 14:56:05 | 国内旅行
北九州の丸源ビルを
紹介してきましたが
最後に番外編として
銀座の丸源ビルを紹介します

銀座の丸源ビルも北九州同様
空室が多いみたいですが
北九州と違い、ネオンの看板が
煌々と光り輝いています


丸源No.14ビル


所在地 東京都中央区銀座7丁目

丸源No.15ビル


所在地 東京都中央区銀座6丁目

丸源No.21ビル

所在地 東京都中央区銀座8丁目

丸源No.21ビル テナントリスト


丸源No.24ビル


所在地 東京都中央区銀座7丁目

丸源No.25ビル

所在地 東京都中央区銀座8丁目

丸源No.25ビル テナントリスト


丸源No.25ビル 地下につながる階段


丸源No.31ビル


所在地 東京都中央区銀座6丁目

丸源No.31ビル外観


丸源No.31ビルエントランスホール


丸源No.53ビル


所在地 東京都中央区銀座7丁目

丸源No.53ビルテナントリスト


丸源No.53ビル集合ポスト


以上、所在が確認出来た銀座の丸源ビルは全部で7棟でした

さようなら丸源ビル 共同住宅編(その2)

2015-01-31 14:46:19 | 国内旅行
丸源ビル 共同住宅編
その2の最初は
丸源No.33ビル
別名 香春口グランドパレス


丸源No.33ビル外観


所在地 小倉北区馬借2丁目
地上11階建
用途 共同住宅

一見、普通のマンションなので
このビルが丸源ビルだということはすぐには分からないでしょう

丸源No.33ビル内部

見た限りは問題がある様には見えないですが
消防法上の問題が指摘されていて、改修が必要だそうです


丸源No.34ビル


所在地 小倉北区馬借2丁目
地上8階建
用途 共同住宅、飲食店向けテナント

1階部分は飲食店などの店舗になっていますが
営業はしていない感じに見えました

丸源No.34ビル外観

施設内に植えられた樹木が生い茂っています

丸源No.34ビル外側の階段

どこからでも自由に内部に入れる様になっています
丸源ビルのマンションの作りはすべてそうなっています
セキュリティが求められている今の時代には合っていないのでしょう

丸源No.34ビル内側通路

やはりここも大半が空き家みたいです

丸源No.34ビルのエレベータホール

マンションの状態としてはそんなに問題がある様には見えません
エレベーターも動いていますね

丸源グランドパレス


所在地 小倉北区上富野3丁目
地上7階建
用途 共同住宅

このビルは今まで見た丸源ビルの中で、一番の衝撃を覚えたビルです
住宅街に潜む廃墟のマンションという感じでした

広い駐車場には車が1台も無く、木がうっそうと生い茂った状態

駐車場の隅に放置された粗大ゴミ


マンションとは永久に住めるものだと思っていましたが

そうでないものもあるということを思い知らされたマンションでした

丸源グランドパレスのエントランス


私は小学校に通っていた頃
この近くに住んでいましたので
このマンションのことは良く覚えています

丸源グランドパレス1階


グランドパレスが出来たのは確か1979年か1980年頃

当時としてはこのような大規模マンションはまだ珍しく
私も近くの大規模マンションに住んでいたので
グランドパレスを自分のマンションのライバルのような感じで見ていました

丸源グランドパレスの内部通路

ちょうどこのマンションが出来て転校してきた同級生がいたので
当時良く、どっちのマンションの方が大きいとか綺麗とかで
喧嘩をしていたのを覚えています

丸源グランドパレスの集合郵便受箱

どの丸源ビルも状態は同じですね

丸源グランドパレスのエレベーター

廃墟の様に見えるマンションですが
まだ住民はいるみたいです
少しほっとしましたが、これからどうなるのでしょう

丸源グランドパレスのベランダ側

ベランダの壁に落書きがされている部屋がありました
住んでいた人が出て行くときに書いたのか
何者かが侵入して書いたのか
どちらにしてもそのような状態のマンションが近くにあると
何とも物騒ですね

丸源グランドパレス看板撤去の跡

丸源のマークが無くなるのは寂しいですね
あとは取り壊されずに有効活用されることを祈るのみです

以上、所在が確認出来た小倉北区の丸源ビルは全部で13棟でした
残り4棟は引き続き調べてみようと思います

さようなら丸源ビル 共同住宅編(その1)

2015-01-31 14:32:00 | 国内旅行
丸源ビルには
貸テナントだけでなく
共同住宅のラインナップも
持っていました

共同住宅編の最初は
丸源No.18ビル


丸源No.18ビル外観


所在地 小倉北区三萩野1丁目
地上10階建
用途 共同住宅

北九州モノレール香春口三萩野(かわらぐちみはぎの)駅の目の前に位置しており
立地条件はかなり良いと思われます

丸源No.18ビル外観

モノレールの駅の出口につながる歩道橋を使えば
マンションの入り口にダイレクトにアクセスが可能です

丸源No.18ビルエントランス

このマンションも住んでいる人は僅かな様です

丸源No.18ビル内部

内部の通路を見るとドアにホコリが付いたままでした

モノレール駅の目の前だったので乗ってみることにしました

香春口三萩野(かわらぐちみはぎの)駅のホームから
小倉駅方面を見た風景

北九州モノレール

正式名称は北九州高速鉄道小倉線
モノレールの開業は1985年1月9日
今年は開業30周年の記念の年です

30年も走っているのにモノレールに乗るのは実は今回で2回目です
乗っても特に行く所がなかったのです

モノレール車体

北九州モノレールは小倉駅から企救丘(きくがおか)駅まで全13駅
8.8kmの道のりを19分で結んでいます

北九州モノレールは1980年に廃止となった
西鉄路面電車北方(きたかた)線の替わりとして敷設されました

モノレール 車内

車体幅は2.98mで標準的な車両サイズです

モノレール開業当初は地元商店街の猛反発から
小倉駅への乗り入れが出来ず
ひとつ手前の駅(平和通駅)が終点の小倉駅となっていました
当時はモノレールからJRへの乗り継ぎに7分の徒歩が必要だったのです

現在の小倉駅

1998年のJR小倉駅の駅舎改装オープンに伴い
モノレールもJR小倉駅の駅ビルまで
乗り入れるようになりました

モノレールは1本のレールを抱え込んで走行する為に脱線することはありませんが
私の話は少し脱線してしまいましたね
では、本題の丸源ビルの話に戻ることにしましょう

丸源No.29ビル


所在地 小倉北区古船場町7番
地上11階建
用途 共同住宅、飲食店向けテナント

丸源No.29ビル表側の外観

市内の主要道路である浅香通り沿いにあり
繁華街にも近いので1階部分は飲食店の店舗になっています

丸源No.29ビル裏側の外観

表側の外壁はレンガ色だったのですが裏側は真っ白でした
表と裏でこんなにも違うビルは珍しいですね

丸源No.29ビルエントランスホール

1階はテナントでエントランスの階段を登ると
そこから上はマンションです

丸源No.29ビル吹き抜けのシャンデリア

用途がマンションであっても丸源ビルの装飾のこだわりは変わりませんね

さようなら丸源ビル 貸店舗編(その2)

2015-01-31 14:13:19 | 国内旅行
丸源ビル 貸店舗編
その2の最初は
丸源No.10ビル
別名は丸源プリンスビル


丸源No.10ビルの看板

昔の看板は丸源プリンスビルとなっていました

所在地 小倉北区船場町3番
地上10階建
用途 ブティック・飲食店などの貸テナント、貸スタジオ、貸倉庫など

井筒屋と魚町銀天街の間の『みかげ通り』沿いにあり
かつてはこの通りに路面電車の西鉄北方線が走っていた繁華街
昔この通りの沿線には
東映会館・ベスト電器・ナガリ書店など
小倉を代表するお店が並んでいましたが
それらのお店はすでに無く、現在は人通りもかなり少なくなっています

そんな中、丸源プリンスビルは今も取り壊されずに頑張っています
現在はペットショップやカフェバー
ダンススタジオなどが入居しているようです

白いペンキが塗られた階段

建物外観はかなり古いですが共用部は手入れされているので
丸源ビルの中では1番綺麗に使われている建物ではないでしょうか

丸源No.17ビル


所在地 小倉北区堺町1丁目
地上10階建
用途 主に飲食店向けテナント

小文字(こもんじ)通り

小文字通りの歩道橋の上から見ると
右手に丸源No.17ビル、左奥に前回紹介した丸源No.30ビルが確認できます

丸源No.17の外観

1Fに焼肉店や居酒屋などがありますが
営業しているかどうかは確認できませんでした

丸源No.17のエレベーターホール

エレベータは動いていない様子でした
横の階段は上がれるようでしたが怖くて中に入れませんでした
エレベーターホールの明かりは灯っていますが
ここ以外のビルの内部に明かりが灯っていないので
もしかしたら完全に無人の状態なのかもしれません

丸源No.19ビル


所在地 小倉北区魚町3丁目
地上10階建
用途 主に飲食店向けテナント

丸源No.19ビルの螺旋階段

魚町グリーンロードと呼ばれる小文字通りを挟んだ両脇の商店街に面しています
魚町グリーンロードは歩道の部分のみに屋根がかかるアーケード商店街で
丸源No.19ビルの1階部分はそのアーケードの中にあります

1Fに赤ちょうちんの居酒屋さんがあり現在営業しているかは確認できませんでした
1F以外はエレベータも止められ、階段も立ち入り出来ないようになっていました

No.19ビルのおしゃれな看板

アーケード街の1つの店舗なので装飾もおしゃれです
ただ、あまり手入れはされいておらず
外装などもかなりくたびれた感じで残念な状況でした
この状態からの建物の再生は難しそうに思えます

丸源No.28ビル

丸源の文字やマークの看板がすべて撤去されていますが
この縦縞のデザインを見れば丸源ビルだとすぐにわかりますね

所在地 小倉北区鍛冶町2丁目
地上5階建
用途 不明

丸源No.28ビルのエントランス

うっそうとした大きな木の前へ進むと
ビルの内側に階段や通路が張り巡らされた様子が目に入ってきます

丸源No.28ビルの中の空間

内側は1階から屋上までの完全な吹き抜けになっていて
対面した2つの棟を手前と奥の2つの階段でつなぎ合わせ
1つのビルの形を形成しています

向かい合った棟

階段を含むビルの通路がすべて内側に集約され
向かい合った2つの棟は1/2階ずれた互い違いのフロアになっているので
階段と通路を大きな螺旋階段に見立てて登れば
ビルのすべてのドアの前を通過できる構造になっています

床のタイル

通路の床や壁の装飾など、随所にゴージャスな雰囲気を漂わせるものがありました

郵便受け

ほとんど入居者がいない状況でかなり荒れ果てていました
ところどころに窓から明かりがみえましたが
飲食店っぽくはなく、どういう用途で使われているのか
わかりませんでした

丸源No.28の外観

外側はマンションであればベランダになるはずですが
小さな窓があるだけなのでおそらく住居用ではないと思われます
特殊な構造なので用途が限られてしまうのでしょうね
壁にはった蔦が何となく不気味にみえます

丸源金田ビル


所在地 小倉北区田町18番
地上5階建
用途 不明

丸源ビルとしての通しNo.は不明ですが、かなり古い建物と思われます
シャッターは下ろされ、使われている雰囲気は全く感じられません
金田ビルと呼ばれていますが所在地は金田の向かいの田町です

丸源金田ビルの外壁

昭和レトロなタイルですね
これまで見てきた丸源ビルの中では
No.8ビル(青タイル)とNo.10ビル(緑タイル)が
同様のタイルを使って使っていましたので
これらと同じ頃に建てられたビルなのでしょうか

丸源金田ビル脇にあるNTTの名札

こちらも丸源ビルを示す看板類はありませんが
ビル横の配管に貼り付けられた名札の中に
確かに丸源金田ビルの名称を確認する事が出来ます

金田二丁目交差点

私が通っていた万徳寺幼稚園の近くにあるビル
全く記憶に残っていませんが、当時は毎日目にしていたビルだったようです
何のビルだったのでしょうね

さようなら丸源ビル 貸店舗編(その1)

2015-01-31 14:06:08 | 国内旅行
東京銀座の西並木通り

高級クラブが立ち並ぶ繁華街に
ひときわ輝くネオンの光

丸源ビルという名称を知らない人でも
1度は目にしたことがあるのでは
ないでしょうか

丸源ビルは小倉の元呉服屋が
1960年から貸テナント業を始め
設備込みでテナントを貸すという
画期的な手法を武器に
小倉から博多、そして東京へ

日本の主要な夜の繁華街に
その勢力を広げていったビルなのです

最盛期には全国で60棟以上の
丸源ビルが存在していたそうです

現在17棟あるという
北九州市内の丸源ビル

このうち2棟が消防法違反で
昨年末に刑事告発を受けました

これに対し今年の3月末までには
すべてを閉鎖し取り壊すか
再生工事を行うとの方針が
丸源ビルオーナーから出さたそうです

丸源ビルは小倉が発祥ということもあり
昔から目にしているので馴染み深い建物です

既に看板撤去も始まっていると知り
なくなってしまう前に
小倉にあるわかる限りの丸源ビルすべてを
探してみることにしました


丸源No.8ビル


所在地 小倉北区堺町1丁目
地上7階/地下1階建
用途 主に飲食店向けテナント

ビルの外側に掲げられている入居テナントの看板


看板の数だけでも150店くらいはあるようです
しかし現在入居しているのはその1/10程度
ビルのほとんどが空室の状態です

夜間1階部分の外観


丸源ビルにはたいてい番号が付けられており
番号がわかる中でもこのNo.8ビルは
現存する中で番号がもっとも少ないビルです

もし番号が建てた順に付けられていたならば
このビルはもっとも古いビルの1つと言えるのでしょう

ちなみに一番最初の丸源No.1ビルは現在の小倉駅前にあったらしく
取り壊されたのちに小倉そごう(現在のコレット)が建てられたそうです


2階への登り階段


他の丸源ビルはどこか似たようなデザインが多いのですが
このビルは他とは違う独特なデザインになっています

リゾート地のホテルみたいな造りでデザインは非常に好みです

2階オープンエアーの通路


2階にはビルの外周の沿うような通路が設けられていて
解放感のある造りになっています
2階のお店は何軒か営業しているようでした

ビル内部の通路


内側の通路は人の気配がありませんが
それでも明かりは灯っています

丸源No.27ビル


所在地 小倉北区紺屋町5番
地上8階建
用途 主に飲食店向けテナント

共同部分に設置されている郵便受け


郵便物が入ったままで放置されています
入居者がいないことがわかりますね

道路に面した1階部分


そんなひと気のないビルですが
道路に面した1階部分は夜間に営業しているようでした
ただ薄暗い通りの中、店の前に客引きらしき人が立っていたので
少し近寄り難い雰囲気でした

ネオン管のMARUGEN27の文字


夜でもこのネオン管に明かりが灯ることはありませんでした

丸源ビル密集地帯


狭い通りの手前と奥で2つの丸源ビルの看板を見ることができます

丸源No.30ビル


所在地 小倉北区紺屋町8番
地上10階建
用途 主に飲食店向けテナント

縦じまのデザインは丸源ビル特有で
丸源ビルといえばこの縦じまのデザインを思い浮かべます

入口吹き抜け部分


このビルは市内でも最大級の貸テナントビル
1階から3階まで吹き抜けになっているエントランスは
ゴージャスな雰囲気が漂っています

No.30ビル 夜の外観


共有部分は明かりが灯っています
以前は銀座の丸源ビルのようにネオンで丸源のマークが灯っていたようですが
そのネオンはすでに撤去されているようです

ビル内部の通路


この大きなビルでもほとんどが空き家状態
昨年末の情報によると、このNo.30ビルとNo.8ビルの
2つ合わせての入居店数は27店のみだそうです

吹き抜け部分の豪華シャンデリア


バブルの雰囲気が漂っていますね

階段の壊れた部分


ビルの老朽化はかなり進んでおり
共有部分の階段の手すりなど
ほとんど手入れがされていない様子でした

5階フロアに貼られていた新しい雰囲気の貼り紙


途中の階はほとんどひと気が無かったのですが
稼働しているエレベータが止まっていた5階を覗いてみると
最近貼られたと思われる何やら怪しい貼り紙を発見

女性の顔にひげ?

こちらがお店のようです


やっぱり営業していました
この扉の先には私のまだ知らない世界があるのでしょうね

今日のお昼ごはん 

2015-01-31 12:57:49 | 今日の献立
今日のお昼ごはんは
インスタントラーメン
日清ラ王 塩味です


おもちを入れて力(ちから)ラーメンにしました

チャーシューは頂きもののハムです

インスタントなのにまるで生めん

最近のインスタントラーメンは本当によく出来ていますね

昨日のおでん

ご近所から差し入れしてくれたおでんは
今日のお昼にも美味しくいただきました

今日の朝食

2015-01-31 08:47:13 | 今日の献立
今日の朝ごはん

実家で迎える2日目の朝食です


小魚や煮豆など


目玉焼き


納豆


ほうれん草のおひたし


じゃこおろし


味つけのり


ぬか漬けのお新香


ごはん


みそしる

いつものいりこだし

食後のデザートはりんご

ごちそう様でした
今日も一日頑張ります

今日の夕食 しめさば

2015-01-30 20:42:49 | 今日の献立
今日の夕食
旦過市場で買ってきたおかず


最初はしめさば

旦過市場で美味しいと評判のお刺身屋さんで買いました
今はさばが美味しい季節なので昨日からさばばかり食べています

くじら南蛮漬け

こちらも旦過市場でくじら肉を専門に扱うお店から買ってきたものです
しっかり味が付いたくじら肉なので
買ってそのままフライパンで焼くだけでOK
片栗粉をまぶして揚げれば、昔給食でよく食べた
くじらの竜田揚げにもなります
くじら肉は本当に小学校の給食以来でしたが
そうそうこの味、という懐かしい味でした

ビール

南蛮漬けにはビールが合いますね

差し入れのおでん

ご近所から差し入れしていただいたもの
美味しくいただきました

今日の福祉弁当

平日のみの宅配弁当です
品数豊富で美味しそうですね

今日も美味しい夕食でした

小倉北区 木町市場

2015-01-30 16:31:28 | 国内旅行
木町市場
実家から徒歩で約10分
先ほど行ってきた金田からも
徒歩10分の場所に
古い市場が残っています


東側の入口から内部を見た様子

入って左側に八百屋さんと魚屋さんの2件が営業していました

奥に進むと突き当りにお稲荷様がまつられていました

古くからあるのでしょうが、良く手入れされているおかげで
古さを全く感じませんね
お稲荷様の使いの白いキツネが見守っています

突き当りの少し手前を右に曲がるともう1件魚屋さんが営業していました


その他のお店はすべてシャターが降りています

車で行ける大型スーパーは便利でいいのですが
交通弱者にとっては、こういった町の市場が必要なのです
そういった人達に応える為にも頑張ってくれているのでしょう

スーパーとみやま木町店

先ほどの木町市場から少し離れた場所にある小さな町のスーパー
昔は先ほどの市場からここまで商店街が続いていた記憶があります
その途中の市場の中に小さなお好み焼き屋さんがあって
学校帰りに友達と寄って食べたことを思い出しました
お好み焼きとたこ焼きが100円で食べられました
30年も前の事でしたが当時でも100円というのはものすごく安かったのです

とみやまの看板

今の実家に移ってきた30年程前にはここに2軒のスーパーがありました
記憶が正しければ、もう1軒はスーパー大栄ではなかったかと思います
そのスーパーは私が小倉を離れている間にいつの間にか閉店していました

閉店のお知らせ

何と残っていたこちらの1軒も閉店してしまうようです
しかも最後の日が明日とは
1年ちょっと前 ここから徒歩5分圏内に
大きな駐車場を備えた24時間営業の大手スーパーマーケット
マックスバリュがオープンしたことが影響したのでしょうか

閉店セールのチラシ

スーパーとみやまが無くなってしまうと
この辺りもずいぶんさびしくなってしまいますね

見納めになりそうなので
店内の写真でも撮っておきましょうか


鮮魚売り場

明日で最後ですがたくさんの魚が仕入れられていました
フグやサザエなど東京のスーパーではあまり見ないものが
たくさん並んでいますね

精肉売り場

お肉も最後のセールのために大量仕入れしたのでしょう

青果売り場


衣類売り場

食品だけでなく衣類まで扱っていたのですね
このスーパーに頼っていた人は多かったのではないでしょうか

レジ横

実家から歩いて行ける一番近いスーパーだったので
今回の閉店は本当に残念です

翌日の閉店の日

閉店30分前ぐらいの店内の様子です
もうほとんど売り切れて何も残っていない状態でした

数十年にも渡る営業お疲れ様でした

小倉北区 竪町 金田 思い出巡り

2015-01-30 15:57:48 | 国内旅行
小倉北区 竪町(たてまち)
40年ほど前の数年間
この界隈に住んでいました

この町に建っている古い建物は
記憶の中の遥かかなたに
遠ざかっていましたが
今日この姿を目にした事で
当時の記憶がみるみると
蘇ってきました


閉店したクリーニング店

古い建物の一角にずいぶん前に閉店したと思われる
クリーニング店の看板を見ることができます
その横の扉が開いていたので少し中を覗いてみました

扉を入るとそこは昔懐かしい町の市場のアーケードです

ここは竪町に今も残る木造のアーケードです
現在ここで営業している店舗はおそらく1店舗のみ
しかし店頭での対面販売はしていない雰囲気です
その他のお店はいつからなのかはわかりませんが
すでにシャッターが下りたままの状態です

天井を見上げると樹脂製の透明な波板が屋根にかけられていました

雨の日でも濡れずに買い物ができる画期的な構造は
まさに昭和の市場の象徴的な姿でした

市場を表側から見た様子

黄色い壁の建物の下にある車の駐車場のように見える細い通路が実はアーケード
かつてはその両側にたくさんのお店が営業していました
私が幼稚園に通っていた頃、この近くに住んでいたので
この市場の活気のあった頃を良く覚えています
八百屋、魚屋、果物屋などいろんなお店が立ち並び
多くの買い物客でいつも賑わっていました
八百屋の小柄な店主の顔は今でも思い出すことが出来るくらいです
当時のお店の人たちはまだ元気でいるのでしょうか

表側からアーケードに入ってみると

今や駐車場として使われているだけですが
ここは間違いなく現存する貴重なアーケードです
北九州はこういったアーケードの市場が割と残っているそうなのですが
火災で焼失したり取り壊されてマンションに変わったりしている所も多いので
こうして姿が残っているというのはとても貴重な場所だと感じます

この市場の前はバスの停留所になっていて
バスを待つ人たちがこのアーケードの前に立っていました
しかし私が住んでいた頃はバス停ではなく路面電車の電停でした
当時北九州市の門司と折尾を1本の路面電車で結ぶ西鉄北九州線は
交通の要でありその電停の前ということもあって市場が栄えたのでしょう

いくらや酒店

電車通りを挟んで市場の向かい側にある酒屋さん
この酒屋さんもその当時からありました

竪町地図

当時の市場に関する情報は残念ながら記載されていませんでした
また同じく地図にはありませんが
このアーケードの一番奥を出たところ(さきほどのクリーニング店の向かい)に
小さな駄菓子屋さんがありプラモデルとかをよく買っていたのを思い出しました
またその並びに末(すえ)という文房具店があり、そこもよく利用していました
お店のおばちゃんの顔も今でも何となく思い出せます

金田の地図

40年前に住んでいたのは竪町の隣の金田(かなだ)という所でした
しかし住んでいた場所が北九州都市高速の建設予定地となってしまい
立ち退くことになったのです
今では都市高速がかつての住居の上を走っていて
当時の面影を感じる事は全くありません

浄土真宗本願寺派 萬徳寺

ここは幼稚園を有するお寺です

本堂横の社務所の建物に幼稚園が併設されています

子供の頃、この幼稚園に通っていました
実家にある昔のアルバムを見ると
この幼稚園での記録がたくさん残っています

洋菓子のボストン

昔懐かしいこちらのお店は幼稚園の同級生の実家です
もちろんここのケーキはよく食べていました
ショートケーキやロールケーキ どれも美味しかったですが
一番記憶に残っているのはオムレットですね
お店がやっていれば久しぶりに入ってみたかったのですが
残念ながらこちらも閉店しているようでした

またこちらの数件隣に『三幸(さんこう)寿司』というお寿司屋さんがありました
特別な日に注文するのは、必ず『三幸』さんのお寿司でした
確か2000年の始め頃に店舗を大改造して
凄くおしゃれなお寿司屋さんに変わっていたのですが
今はその建物も見つけることができませんでした

看板が印象的な朝日新聞販売所

この風景も昔から変わっていません

中尾書店

昔からあった本屋さんですが今も頑張って営業しています

40年前の思い出巡りでした

小倉 旦過市場 その3

2015-01-30 14:48:20 | 国内旅行
旦過市場には
横を流れる神嶽川に沿った
メインストリートのお店の他に
そのお店の脇道を入ると
更にたくさんの小さなお店が
並んでいる一角があります

この一角のお店は古くから改装されず
まさに昭和の時代にあった
市場の雰囲気を今でも感じられる
本当に貴重な一角であります

こちらの商店はその一角の
正面に構える乾物のお店


乾物屋さんの隣りの八百屋さん

このあたりは人通りが少ないので
ゆっくりと買い物が出来そうですね

こちらはその向かいの乾物屋さん


奥には魚屋さんが数件並んでいました


閉店しているお店も幾つかありました

30~40年前には何度か来た事がありますが
その頃から比べるとお店がかなり減ってきている気がします

人通りの少ない通路

今はお店の倉庫のようになっている場所も
昔はお店として営業していたのでしょうね

漬物屋さん

こちらのお店な市場のメインストリートに面しているお店ですが
このお店の脇道を入るとディープな一角に入ることができます

迷路のような場所

このディープな一角は夜間は入り口の扉が閉められ施錠されています
この一角以外は夜間でも出入り自由です

新旦過地図

旦過市場には他にもディープな一角が存在します
その一つが新旦過と呼ばれる一角です
最近は若い人向けの飲食店が多数入店してるそうで
こちらは夜になると活気がある場所のようです

新旦過の入り口

ようこそ新旦過街え
この看板からしてワクワクしますね

カクテルバー しろ

1959年創業のフルーツカクテルが美味しいと評価のお店
老夫婦がやられていたお店ですが
現在は何度行ってもお店は閉まったまま
一度行ってみたかったのですがもうだめなのでしょうか

昭和館

新旦過飲食店街のすぐ裏側にあるのは
開業1939年(昭和14年)の老舗映画館
開業当初は600席を有する市内屈指の映画館であり
また芝居の上演も行なわれる芝居小屋としても機能していました
のちの時代劇スター片岡千恵蔵や阪東妻三郎一座も
全国巡業としてこの場所で公演を行なったことがあるそうです

昭和館1・2の看板

映画全盛期だった昭和30年代には『小倉東映』と名乗り
連日大盛況だった時もあったそうですが
昭和40年代になり映画人気が落ち込んだ時映画館の一部を
パチンコ屋に改装して売り上げを助けていたそうです
しかしそのパチンコ屋も大規模店舗の進出により経営が悪化し閉店
そして1982年(昭和57年)にパチンコ屋を再度映画館に戻し昭和館2をオープン
昭和館1と2の2館体制となったのです

チケット売り場

2000年(平成12年)に小倉にも多数のスクリーンを持つシネマコンプレックスが
砂津のチャチャタウンにオープンし、市内の単独館は次々と閉館していきました
そしてついに2004年(平成16年)にはこの昭和館が市内唯一の
単独映画館となってしましました

映画館の入口

スクリーン数でも設備でもシネコンに劣ってしまいますので
封切映画はシネコンにまかせ、スタッフが吟味した名作映画を中心に
二本立てで上映することでシネコンとの差別化を成功させました
30~40代の女性が来客の7割を占めるというほど
本当に映画を愛する人たちに愛されている映画館のようです

今回の上映内容

座席数270席の昭和館1と座席数100席の昭和館2で
それぞれ旧作の洋画を2本立てで上映していました
旧作といっても4作すべて昨年封切られたものでコメディからヒューマンドラマまで
スタッフの解説を読むとつい見たくなってしまうものばかり
毎年多数が上映される中で人気作の影に埋もれてしまった作品の中から
本当にいい映画を見つけることができる映画館です