小倉北区 竪町(たてまち)
40年ほど前の数年間
この界隈に住んでいました
この町に建っている古い建物は
記憶の中の遥かかなたに
遠ざかっていましたが
今日この姿を目にした事で
当時の記憶がみるみると
蘇ってきました
40年ほど前の数年間
この界隈に住んでいました
この町に建っている古い建物は
記憶の中の遥かかなたに
遠ざかっていましたが
今日この姿を目にした事で
当時の記憶がみるみると
蘇ってきました
閉店したクリーニング店
古い建物の一角にずいぶん前に閉店したと思われる
クリーニング店の看板を見ることができます
その横の扉が開いていたので少し中を覗いてみました
扉を入るとそこは昔懐かしい町の市場のアーケードです
ここは竪町に今も残る木造のアーケードです
現在ここで営業している店舗はおそらく1店舗のみ
しかし店頭での対面販売はしていない雰囲気です
その他のお店はいつからなのかはわかりませんが
すでにシャッターが下りたままの状態です
天井を見上げると樹脂製の透明な波板が屋根にかけられていました
雨の日でも濡れずに買い物ができる画期的な構造は
まさに昭和の市場の象徴的な姿でした
市場を表側から見た様子
黄色い壁の建物の下にある車の駐車場のように見える細い通路が実はアーケード
かつてはその両側にたくさんのお店が営業していました
私が幼稚園に通っていた頃、この近くに住んでいたので
この市場の活気のあった頃を良く覚えています
八百屋、魚屋、果物屋などいろんなお店が立ち並び
多くの買い物客でいつも賑わっていました
八百屋の小柄な店主の顔は今でも思い出すことが出来るくらいです
当時のお店の人たちはまだ元気でいるのでしょうか
表側からアーケードに入ってみると
今や駐車場として使われているだけですが
ここは間違いなく現存する貴重なアーケードです
北九州はこういったアーケードの市場が割と残っているそうなのですが
火災で焼失したり取り壊されてマンションに変わったりしている所も多いので
こうして姿が残っているというのはとても貴重な場所だと感じます
この市場の前はバスの停留所になっていて
バスを待つ人たちがこのアーケードの前に立っていました
しかし私が住んでいた頃はバス停ではなく路面電車の電停でした
当時北九州市の門司と折尾を1本の路面電車で結ぶ西鉄北九州線は
交通の要でありその電停の前ということもあって市場が栄えたのでしょう
いくらや酒店
電車通りを挟んで市場の向かい側にある酒屋さん
この酒屋さんもその当時からありました
竪町地図
当時の市場に関する情報は残念ながら記載されていませんでした
また同じく地図にはありませんが
このアーケードの一番奥を出たところ(さきほどのクリーニング店の向かい)に
小さな駄菓子屋さんがありプラモデルとかをよく買っていたのを思い出しました
またその並びに末(すえ)という文房具店があり、そこもよく利用していました
お店のおばちゃんの顔も今でも何となく思い出せます
金田の地図
40年前に住んでいたのは竪町の隣の金田(かなだ)という所でした
しかし住んでいた場所が北九州都市高速の建設予定地となってしまい
立ち退くことになったのです
今では都市高速がかつての住居の上を走っていて
当時の面影を感じる事は全くありません
浄土真宗本願寺派 萬徳寺
ここは幼稚園を有するお寺です
本堂横の社務所の建物に幼稚園が併設されています
子供の頃、この幼稚園に通っていました
実家にある昔のアルバムを見ると
この幼稚園での記録がたくさん残っています
洋菓子のボストン
昔懐かしいこちらのお店は幼稚園の同級生の実家です
もちろんここのケーキはよく食べていました
ショートケーキやロールケーキ どれも美味しかったですが
一番記憶に残っているのはオムレットですね
お店がやっていれば久しぶりに入ってみたかったのですが
残念ながらこちらも閉店しているようでした
またこちらの数件隣に『三幸(さんこう)寿司』というお寿司屋さんがありました
特別な日に注文するのは、必ず『三幸』さんのお寿司でした
確か2000年の始め頃に店舗を大改造して
凄くおしゃれなお寿司屋さんに変わっていたのですが
今はその建物も見つけることができませんでした
看板が印象的な朝日新聞販売所
この風景も昔から変わっていません
中尾書店
昔からあった本屋さんですが今も頑張って営業しています
40年前の思い出巡りでした