秋月城跡の内堀に沿って続く桜並木
江戸時代にはこの辺りに杉の並木があり
この道で武士たちが馬術の稽古などを行っていたことから
『杉の馬場』と呼ばれるようになりました
しかし明治38年の日露戦争戦勝記念として植えられた桜が
現在の見事な桜並木へと変化していったそうです
道沿いには多くの土産店や茶屋が並び
観光客で賑わいをみせています
秋月城跡前の『杉の馬場』
映画でのワンシーン
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光枝が寅さんを近くまで見送るシーンです
瓦坂
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瓦を縦に並べて土砂の流失を防ぐ工法で造られています
当時、この瓦坂の奥に秋月城の大手門がありました
映画でのワンシーン
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映画の時には瓦坂のすぐ上に秋月中学校の
木造校舎が建っていました
映画の中では常三郎もこの中学の出身だったそうです
この木造校舎はすでに取り壊されてますが
杉の馬場からは見えない少し奥の方に
新しい木造校舎が建てられていました
現在の秋月中学校
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秋月城の始まりは鎌倉時代の1200年台
原田種雄(たねかつ) が筑紫郡原田郷からこの地に移り
秋月姓を名乗って標高860mの古処山山頂に城を建てました
居住地をその山麓に建て、その1つが現在の秋月城の前身と
言われています
その後400年続いた秋月氏ですが、
豊臣秀吉の九州征伐に敗れ秋月城の前身も廃城となります
その後時代は江戸時代へと移り
1623年(元和9年)筑前福岡藩の第2代藩主
黒田忠之(くろだ ただゆき)が、弟の長興(ながおき) に
秋月周辺の5万石を与え秋月藩という支藩が誕生しました
そして廃城となっていた秋月城を大幅に改修し
陣屋を置きました
秋月中学の校庭がある場所でかつて藩の政治が
行われていたとのことです
その後明治時代の廃城令によって廃城となるまで
黒田氏が12代に渡ってこの地を治めました
時代は昭和に移り陣屋跡に秋月中学校の校舎が建てられました
また1980年(昭和55年)「秋月城跡」として県の史跡に指定されています
秋月郷土館
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旧藩士(戸波家)の邸宅と藩校(稽古館)跡を利用した
美術館と歴史資料館です
映画でのワンシーン
秋月郷土館の門から見た杉の馬場
映画でのワンシーン
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寅さんと光枝はここを通って行きました
光枝は寅さんをこの先まで送り
別れ際に夫の恒三郎があとひと月ももたないと
医者から言われていることを寅さんに伝えます
寅さんが亭主に会いに来てくれた最後の友達だろうと
言い残し、光枝は泣きながら去っていきました
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寅さんはこの後常三郎と冗談で交わした
約束のことを考えます
旅館に戻り愛子と最後の酒を交わし
翌朝置手紙をして愛子を残して旅館を立ち去りました
このあと寅さんは柴又に戻り
常三郎との約束を真剣に考えるようになるのです
この続きはDVDでご覧ください
愛子との再会、光枝との再会
そして常三郎との約束は・・・
見どころ満載です
以上にて男はつらいよロケ地巡り
大分・福岡編は終了です