甘き憂い
憂いよ、去れ!――ああ、されど、死すべき人間なれば、
生ある限り、憂いは去らず。
避けがたきものとあらば、来たれ、愛の憂いよ、
他の憂いを追いて、なんじひとりわが胸を領せよ!
『ゲーテ詩集 新潮文庫』
凡夫のみならず、この娑婆世界(人間界)にいる限りは、たとえ菩薩であっても心の憂いが晴れることはない・・・。
一切衆生を救い尽くすまで菩薩は憂いを抱いてやまないのだから。
それを「大悲」と言う。
「他の憂いを追いて、なんじひとりわが胸を領せよ!」
ゲーテが言う愛の憂いとは、世俗的な色恋の憂いを含んで包摂した、人と人が交わることの根源にある憂いに違いない。
それは、この上なく甘き憂い。
胸に満たされる愛の憂い。
だが、詩人と違うのは、菩薩はいつまでも甘い感傷には浸っていないのだ、きっと。
<追記>
良寛さんの憂いについて書いた過去記事があったので張っておきます。
「君看よや双眼の色 語らざれば憂いなきに似たり」
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>生ある限り憂いは去らず
のところ、共感しますわあ、しみじみ。。。
明日『壬生義士伝』の返却日なのですが、まだ半分しか読みきれてなくて(汗)。。最近、気ぜわしいので精神的に。。
りょうさんのほうは、講演会など、いろいろありましたね。
法話と講演て、やはりかってが違うものなのでしょうか・・・
大多数を対象に、何時間か一方的に話すのって大変でしょ?
私なら5分で立ち往生してしまいますわ(笑)
PS・NHKって商品名出すのタブーだと思っていたので、ビックリしました!
お忙しそうですね・・・。
どうぞお体にお気をつけください。
生ある限り憂いは去らず・・・私もそう思います。
なんたって、仏教ではこの娑婆世界は「忍土」ですから。
苦しくて、大変で、当たり前なのかもしれません。
でも大変だからこそ、頑張ろう!努力しよう!成長しよう!という気にもなるんだと思います。
菩薩にあっても、大悲が深まれば深まるほど、愛の憂いも深まっていくのでしょうね。
うまく言えないんですが、法話は、わりとカジュアルに自由なことが言えるのに対し、講演は、ある程度論理的に体系立てて物を言わないといけないような気がします。
>大多数を対象に、何時間か一方的に話すのって大変でしょ
そうなんですよ~。どちらかと言えば聞くほうに回っていたいタイプなんで、一方的に何時間も話すと言うのは本当にしんどいです・・・。
でもこれも訓練ですね・・・。
>NHKって商品名出すのタブーだと思っていたので、ビックリしました!
あ、これは説明不足だったかもしれません。
お酒の商品名、銘柄までは出してません。
主役の夫役が、奄美出身という設定なので、ふたりで黒糖焼酎を飲んでいることは確かですが銘柄までは明らかにしてないんです。