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一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

最近の坐禅

2007年05月25日 | 思い・お寺の活動
今日は朝から雨が大降りでしたが、暁天坐禅(朝の坐禅)には常連メンバーが4人坐りに来ました。

毎日、3~5人の決まったメンバーがやってきます。

彼らの熱意にはこちらも励まされます。

最近は、心友のMさんの提案で、坐禅の後に「般若心経」をみんなで読むようにしました。

これがなかなか好評です。

はじめは、たどたどしかった彼らの読経も少しづつしっかりしてきました。

今年に入ってから、病気などを理由に坐禅をしなかったことはまだ一度もありません。

宿泊研修で寺を留守にしている日以外は必ず坐っています。

風邪気味だろうが、二日酔いだろうが、寝不足だろうが・・・とにかく坐る。

継続は力なり。

ともあれ、たんなる習慣に堕してしまわないよう、一呼吸一呼吸集中して坐ること。

つねに初心の弁道たらん。


新緑の季節の坐禅は実に清々しい。。。


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H19年度 入檀式

2007年04月29日 | 思い・お寺の活動
今日は毎年恒例の入檀式。

本年は五軒の入檀があった。


般若心経読誦。

独自の差定(式次第)に従って略式の授戒作法(仏戒を授ける)を行う。

その後、法話。


この入檀式は、入檀者に当寺の檀家として、そして何より仏教徒としての自覚を持たせるという狙いで行っている。

なぜなら、ほとんどの入檀者は墓所を求めるために、寺の檀家になる人がほとんどだからである。

つまり端的に言えばまず「墓ありき」で、寺は後である。

キリスト教徒と異なり仏教徒の場合、信仰の道に入りたいから入檀したいというような人は皆無に近い。
彼らはあくまで、遺骨を供養する場としての墓所を、寺に求めているに過ぎない。とは言え、これは、日本人の一般的傾向なので批判するつもりはないのだが・・・

だがそれにしても、いまどき、公共・民間の霊園が巷に溢れているにも関わらず、わざわざ菩提寺との付き合いの煩わしさを覚悟しながら、檀家になることを選ぶのはなぜか。

それは彼らの心のどこかに、お寺に対して墓所オンリーとしての役割だけではなく、さらに+α の役割を期待する気持ちがあるからだと思う。

私としては、これから少しでもその+α のところに食い込んでいきたいと思っている。

その+α とは、やはり「心」、各人のメンタリティの部分に違いない。

ともあれ、こうした入檀式が入檀者の自覚を高める上で、どこまで功を奏しているかは分からない。

だが、少なくとも手続きだけ済まして「はい、今日から檀家です」というやり方よりは、いくらか仏教徒としての、檀家としての意識を高められるのではないだろうか。

さて、檀家が増えることは寺にとっても有り難いことだが、過疎化が進んでいる地方寺院の現状を考えれば、手放しで喜ぶことはとてもできない。

また当寺においてさえ、周辺地域の人口がいくらか増加傾向にあるとはいえ、周辺では霊園の進出が目覚しく、菩提寺との付き合いを面倒とする現代人たちは、比較的安価で求められる霊園墓所に流れる傾向が顕著である。

その背景にはほかにも種々の要因が考えられるだろう。

菩提寺の求心力の低下、家制度(家観念)の崩壊、個人主義の台頭、遺骨観の変化、既成仏教寺院への不信など・・・。

ともかく、既成仏教の将来的展望は決して楽観視できるものではない。

だが私はそれでもまだ既成仏教寺院にできることはあると考えている。

それは何もイベントごとといった、真新しいことに飛びつくことではない。

まずは足元から、暁天坐禅、坐禅会、写経会、各行事をしっかりと勤めていくことも大事なことだろう。

時代や現代人の表面的な要請にいたずらにおもねることなく、振り回されることもなく、しかし、適当な落とし所も模索しつつ、何より少しでも人々の実存的な要求に応えていけるような寺院活動を目指したい。

なんとしてでもこの寺の法灯を次代に憂いがないように繋がなければならないのだ。

それがすなわち、お釈迦さまに、道元禅師に、祖師方に、歴代住職に、報恩するということにほかならない。

それが私の使命。


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テレビデビュー

2007年03月07日 | 思い・お寺の活動
当寺&私が、ついにテレビデビューを果たしました

先月下旬、当地のケーブルテレビの取材を受けたのですが、これから1週間にわたり3分間のVTRを1日4回流すとのこと。

○○市の寺院の歴史を探訪するという趣旨のコンパクトな番組です。

我が家はケーブルテレビに加入していないので、実際の放映は観られないのですが、録画したディスクを取材の御礼としていただきました。

1分間ほど私の話が入ります(やはりいくらか緊張気味?)。

リクエストに応えて「般若心経」読経のシーンも。

とりとめもなく話してしまったのですが、うまく編集してくれたので助かりました。

あ~あ・・・Mさんと飲んだ翌朝だったから顔がむくんでいるなぁ・・・

お、でも読経の声はなかなかのもんだ・・・うんうん。

そんなことを心の中でつぶやきながらドキドキして観ました。

ともあれ何事も経験ですね。

これから周囲の反響はあるでしょうか・・・

なかったら寂しいかも

それにしても、ナレーションで○○市有数の大寺院、曹洞宗の名刹○○寺と紹介されたのには面食らいました・・・

おいおいヨイショし過ぎでしょ・・・って感じです。

☆この記事は5日に投稿した記事です。


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最近の暁天坐禅

2007年02月13日 | 思い・お寺の活動

おかげさまで元旦から毎朝坐り続けています。

時間にして約30分。

暁天坐禅をはじめて5ヶ月以上が過ぎました。

最近は、毎朝2~4人の方が坐りに来ます。

それぞれに定休日を設けているようです・・・汗

残念なのは、最近仕事の関係で心友(だよね?(笑))Mさんがいらっしゃらないこと。

嬉しかったのは、今朝、将来有望な大学院生のBさんことOくんが坐禅に来たこと。

若い人が来ると気持ちに張りが出ます。


しかし、私にここまで続けられるとは思いませんでした・・・。

実は意志が強いのかも。

いや、やはり大衆の威神力によるのでしょう。。。

やればできる。

しかも、まったく辛いと思いません。

気分爽快。

二日酔い気味の時は若干辛いですが・・・汗

当初悩まされた睡魔にも襲われなくなりました。

もっとも春の陽気が出てくると夢うつつになりそうで危険です・・・


ともあれ、このままずっと坐り続けていきたいと思います。

「坐禅は安楽の法門」ということが少しは身に付いてきた様な気がします。

坐禅がひたすら坐禅を行じていくような、そんな坐禅に徹することできれば・・・

「私は坐禅になりたい」。

今度は夜坐の習慣化ですね・・・こっちの方はなかなか・・・

レッツ精進!



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「思い」は伝わる・・・真心の法話の実現

2007年02月12日 | 思い・お寺の活動
昨日の涅槃会では、内山興正老師の詩「生死」(※)と、「千の風になって」の詩(一箇所私的にアレンジしたもの)を使って法話をしました。

写真は、法話に用いたホワイトボードです。

「生死」の詩をもとにして、大胆にも「色即是空 空即是色」を説いてみました。

そして、私の法話の十八番にもなっている、自分のご先祖様をさかのぼるワークをしながら、無限の生命を生かしてきたみ仏のはたらき、「サムシング・グレート(大いなる何者か)」を感じていただきました。

私たち一人ひとりの命は「ご先祖さまの愛情の結晶」であるということ、同時に私たちの命は、全宇宙一杯の形なき御仏(サムシング・グレート)の命の一部であり、死ぬことは、また天地一杯の命に帰っていくことであることを伝えました。

みなさんに、私たち一人ひとりの命の重み尊さを、多少なりとも実感していただけたのではないかと思います。

そして、以上のことを踏まえて「千の風になって」を解説したところ、なんと参列した何人もの方々が泣いているではありませんか・・・。

自分でも目を疑いました・・・。

それを見て私も思わずグッと思いが溢れてしまい、泣けてきてしまいました。


正直、法話は苦手です。

なかなか上手にならない。

上がってしまうほうだし、話の運び方も、論理も表現も稚拙。

ですが、人の心を打つ話をするのに、技術的なことははそれほど重要ではないのかもしれません。

何より大事なのは「伝えたい!」という思いの強さ、「熱いハート」なのだと実感しました。

「思い」が強ければ必ず伝わる。

真っ赤に目を晴らしてすすり泣く檀家のみなさん・・・

中には「えっ!この人が!」と思う方まで涙を流していました・・・

45分ほどの法話。

小さな奇跡の訪れでした。


真心の法話が実現したのは、何よりも岡野守也先生の学びによるところが大きいです。

先生から、教えはもちろんのこと、先生の「生きる姿」からはかり知れないほど多くのことを学んでいます。

この場を借りて、岡野先生に心からの感謝の意を捧げます。

いささか照れますが(^^;)。


<追記>

また、今回取り上げた内山老師の詩とはkameno師のブログ記事(※)で出会いました。
法話の発想も、もともと師の記事にインスパイアされて生まれたものです。
kameno師には心よりの御礼を申し上げたく存じます。


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涅槃会

2007年02月12日 | 思い・お寺の活動
昨日は当寺で涅槃会法要が営まれました(正式な涅槃会の日は15日)。

東序室中(本堂右側奥の部屋)に、お釈迦さまのお涅槃(入滅)の情景を描いた涅槃像を掛けて、上新粉で作った涅槃団子をお供えします。

寺院で掛けられるこうした涅槃像は、概して仏教の神話的世界観を含んだ様式的な表現で描かれていますが、それはそれで味わい豊かで趣深いものがあります。

さまざまな菩薩、神々、弟子たち、動物たちが、お釈迦さまを取り囲み、それぞれ悲嘆に暮れたり、慟哭したり、悲しみのあまり気を失ってしまったり(阿難尊者)、豊かな表情を見せています。

涅槃像では、「釈迦牟尼仏、釈尊、ブッダ、世尊」ではなく、「お釈迦さま」とお呼びするのが、しっくりきますね。

覚者となられてから後は、一生涯にわたりインドを伝道されたお釈迦さま。

ご臨終の間際まで、「汝等比丘・・・」と弟子たちに教えを説かれたお姿。

遺教の最後の箇所を読んでいると、思いが溢れてしまい熱いものがこみ上げることがあります。


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防災訓練

2007年01月24日 | 思い・お寺の活動
決して火事ではありません。

一昨日の月曜日、文化財防火デー(1月26日)に因み、当寺において行われた大規模な防災訓練の模様です。

私や、両親にも、消防署が用意した役割が割り振られました。

報道陣に取り囲まれる中、演技をするのはいささか緊張しましたが・・・


ともあれ、こんなことは、訓練だけであって欲しいと思います。

現実にあってはならないこと。

住職が恐れるのは盗難より、何よりも「火事」です。

日頃から、防災意識を持つよう心がけたいと思います。

特に空気が乾燥している時節です。

火の用心をしましょう。


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第3回写経会にて・・・「明らめる」という生き方

2007年01月18日 | 思い・お寺の活動
今日は、本年最初の写経会を行った。

昨年から通算すると第3回になる。

参加者は最多の17名、そのうち、3名は幼稚園の保護者(母親)であった。

山門の掲示板の写経会の案内を読んで来たとのこと。

私見だが、一般的に彼女たちの年代と言えば、家事、育児等生活に追われ、なかなか「心の修養」ということまでには気持ちが向かないのが普通ではなかろうか。

それにも関わらず、「写経」という行為に、おそらく何かしらの精神的充足を求めて来た彼女たちに私はハッとさせられたのである。


住職をしていて感じるのは、家族の形態の中では、小さい子どもを持った核家族の夫婦(20代後半・30歳~40歳)が一番、宗教的関心が薄い傾向にあるということである。

それには、受けてきた教育や世代的な価値観なども含め、いくつかの理由が考えられるだろう。

だが、やはり一番の理由は、彼らの年代に共通するひとつの状況に由来する。
それは、彼らにとっては、何よりも自分たちの生活を確固たるものにすること(物質的・外面的問題)が最優先されて、実存的な問題に対しては後回し、もしくは気付かない振りをしているということである。

そしてこのことは、家庭を持つ僧侶と言えども、例外ではないようだ。
実際、所帯を持っている友人宗侶の多くが一般人における状況と大差ないのが現状である。
彼らと一緒になって「宗学」、「仏法」の話で盛り上がるということははまず望めない・・・

しかし、だからと言って、私にはそうした事態を批判することは許されても、否定することは許されていない。
僧としてどう生きるかというのは、その人が決めることであって、究極私自身が関われることではないのだ。
私だって、子どもがいる家庭において、父として、夫としてあったらどうなるか分からない。

だが、どんな状況にあっても、「環境の奴隷にはならない」ということを、肝に銘じたい。
自己の実存的問題に蓋をしたり、投げ出したりしない。
常に問い続ける姿勢を保っていたい。

すなわち、人生を通じて「明らめる」という生き方を保ち続けるということ。

それが在家と同じ生活にありながら、それでもなお「出家」と言い得る最低限の条件なのではないだろうか。
もちろん授戒の問題もあろうが、あくまで感覚としてそう思うのだ・・・。

在家と共にありながら、「つねに一歩を踏み出している姿勢」を継続していきたい。

以上、幼稚園の写経会に参加したお母さんたちの姿を見て抱いた雑感である。

彼女たちが写経会に来た理由には、最近のちょっとした写経ブームの影響もあるかもしれない。

だが、彼女たちに些かなりとも「明らめたい」との思いがあったことは確かである。
だからこそ、生活の費の中から、写経用紙代として千円を払っても惜しくはなかったのだ。

とりわけ裕福な階層の保護者と言うわけではない。

見た目で判断すれば、ごくごく中流であろう。

その千円の重みは、悠々と隠居生活を送っているお年寄りのそれより遥かに重い。

その千円の重みに内心、密かに感動していた。


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第3回坐禅会

2007年01月06日 | 思い・お寺の活動
今日は朝から強い降りでしたが、坐禅会には10人の方が集まりました。

今回は第3回でしたが、今のところ平均して、12人くらい集まっております。

欲を言えば、15人くらいは集まってほしい。

これは今年の目標にしましょう。


坐禅中には10分くらいお話をします。

今回は主に「本来無一物」について。

拙い話ですが、禅の教えの深さを少しでも感じてくれたらと願っています。


坐禅会は思った以上に、住職の力量が問われるということを感じます。

ある意味、恐ろしい・・・

あるかなしかの心もとない力量ですが。

これから私自身、しっかり学んで研鑽を深めていかなければなりません。

ただただ精進あるのみです。


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お札発送

2007年01月04日 | 思い・お寺の活動
世の中では今日から仕事始めのようですね。
どうも寺にいると、通勤がないせいか世間の動きに疎くなりがちです。
ちなみに幼稚園は9日まで休み。

今日は三箇日ご祈祷したお札を、全檀家さんのお宅に発送しました。

ようやく一安心です。


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