むくむく通信

これからの生活スタイルを考えていきましょう!自然を愛する情報を発信します。

自然の方へ-21-

2013-11-20 | 自然の方へ


November 11, 2004
田舎暮らしの方へ-4-

田舎暮らしを計画されている方の立場とか条件には様々あります。
ここでの話は、あくまで私個人の立場と条件から導かれた結果です。
こんな話もあるんや~ってご参考になれば幸いです。

で、住宅金融公庫融資を受けて、1600万円の30年ローンを組みました。
年齢が30代なら、年収所得の3年~5年分を借り入れてもいいんですが、
すでに40代の後半でしたし、60才までお勤めなんてことも保障できないし、
そんな条件の中でのローン額を決定、住宅本体部分の価格分でした。

一方で、個人年金をかけました、当時の郵政省終身個人年金です。
ローン返済月額が7万円ほどです。アドオンでしたので、
まあ、金利分が大半ですね、当時の貸付金利でローン額の倍を30年で返済。

大きな組織で働いておりましたが、そのころ退職しました。
すでにその組織から、住宅融資などを受けておりましたから、
退職時の退職金は、プラマイゼロに近かったです。
ですので、当時住んでいた家のローンは完済ですが、
新たに組んだローン分が、負債としての再出発でした。

それと、子供が独立していくことも計算に入れました。
親としての教育費負担と結婚時の負担です。
なんとか年収1000万を確保したいな~、だったら生活維持できる!
そういう計算式でした。

都会生活者が、田舎暮らしを目論むときに、
お金の工面って、けっこう大事な要素だと思います。
親からの遺産があるわけでなく、田舎に土地建物があるわけでなく・・・。
そういう条件での、田舎暮らしの方への計画ですから、あえて公開してます。

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自然の方へ-20-

2013-11-18 | 自然の方へ
November 09, 2004
田舎暮らしの方へ-3-

田舎で住む家、家屋のことです。
土地がそこそこあって、ヒトが住まなくなった家屋があります。
ボクの場合も、当初は土地と家屋が一緒にある物件というのも探しました。

築50年とか築100年近く経った家屋もあります。
たしかに田舎暮らしのイメージとして、旧い家屋を改造して住む。
そういう感じもしないではないです。
そういう物件は、家屋は価値としてただ同然ですし、更地じゃないから安いかもしれないですね。
でも、そこそこ快適に住むことを考えれば、やはり現代向きではないような気もします。

田舎暮らしだから、都会でいう快適さは不要かも知れません。
でもやはり、都会生活に慣れてしまった感覚からいうと、山の中の一軒屋なら、新規に引き込まなければならない。
電気・水道・ガス・電話、これはないと困ります(ボクの場合です)。

いやいやそんなもんいらん!
というのは別荘としてたまに使うなら、山小屋風設備でいいかもしれません。
永住希望ですから、電気もガスも水道も電話もほしい、
結果は、これは旧家といえども完備されてます。

でも都会的快適さを希望しましたから、結論はプレハブ住宅で新築。
ボクの場合、工場生産率の高い家屋を選びました。
地場の工務店との交鈔など出来にくいですし、途中の管理ができないからです。
京都にいて設計から価格までの交鈔をしました。建築設計は、積水ハイム社の普通グレードです。
公的住宅ローンが使えましたので全額近くを30年ローンにしました。

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自然の方へ-19-

2013-11-13 | 自然の方へ
November 08, 2004
田舎暮らしの方へ-2-

田舎暮らしを考えるために、ボクの体験談をお話していきます。
なにかの参考になれば幸いです。
住む場所の選定ですが、ボクの場合、彼女の実家が金沢なので、その近くを選びました。
現在、主たる生活地は京都市内にあります。
田舎暮らしを考え出したのが10数年前です。

さて、どの場所がいいかな~、新聞で売り物件の詮索をしました。
仕事を離れて悠々自適生活を、なんてこと考えてましたから、
京都からの離れることは、当然のことですが、
近郊地なら、京都府北部とか滋賀県内、和歌山、岡山・・・
里山がいいのか、海辺がいいのか、
選択の幅を決めなければいけませんね。

それから、田舎暮らしの具体的な中味です。
お百姓をするのかどうか、つまり農業に従事するのかどうかですね。
現金収入を得るための仕事を現場にどう作るか、があります。
ボクの場合は、専業農家はできない、はたけ仕事を主にはできないな~。
もう40代になっておりましたから、10年計画で、50代半ばくらいに移住する。
それまでに、どこにいても多少収入が見込める仕事を作り出そう!

そうして、候補地を絞って土地を選定しました。
彼女の実家に近い土地、そこには親類縁者がいますから、
助け合って生活していくには、何かと都合いいかとの思いです。

山の中の、あるいは野原の一軒屋というのは、電気も水道もない場所です。
でも、これでは困ります。
といって古~い集落の中へ入るのも新参者で入りにくい。
そこで、都会地郊外の団地要素のある場所を選びました。

地場の不動産屋を何件か訪問し、親切そうな不動産屋をみつけました。
土地130坪、坪単価7万円ほどの物件がありましたので、そこに決めました。
土地は原野、公示価格は坪3000円ですが売買値段はその20数倍ですね。
公示価格が低いということは、固定資産税が安い!これは知恵ですね。
建物はどうする?
次回は住居についての話をします。

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自然の方へ-18-

2013-11-12 | 自然の方へ
November 06, 2004
田舎暮らしの方へ-1-

具体的に、都会生活から田舎暮らしへと生活スタイルを変えようと思うと、いくつもの山を越えなくてはいけないのが、現状だと思います。たとえば、現金を得る仕事をどうするのか、農業でやっていけるのだろうか。それ以前に、田舎暮らしを実行するには、手持ち資金がどれほどいるのか、などお金にまつわることが多数あります。この「田舎暮らしの方へ」シリーズでは、そんな問題を考えながら、具体的な、田舎暮らしの設計図を描いていきたいと思っています。というのもターゲットは、田舎を持たない都会人が、都会人であるから故、田舎暮らしを夢見ることが多いからです。

最近の傾向として、気持ちのなかにルーラル化現象が起こってきていませんか?ここで”田舎”って言葉つかいますが、差別的に使うことではありません。かって、都市と田舎、雅と鄙、中央と地方というように、真ん中と周辺があって、真ん中は価値の中心、周辺ほど価値が低い、こんな捉え方が代々続いてきたと思いますが、いまや、この価値軸そのものを変化させていくものとして、田舎暮らしということを捉えていきたいと思っているんです。

この発想は、米国が先にあってこちらが従属する関係を、断ち切ろうとする考えと連動するものであると思います。また、世界のこちらとあちらを区分する境界を、ゆるやかになくしていく実践の方法でもあると思います。とはいっても、具体的に、行動するには多くのリスクを背負います。このリスクは、都会生活に慣れた場所から田舎生活を考える視点です。経済活動の中心は、お金所有の多寡です。お金優先の考え方をリニューアルすることが必要です。それから、権威という代物です、これもリニューアルです。いい会社に勤めることで優位に立つ、という無意識の意識の払拭ですね。このような案件にリニューアルできれば、リスクはなくなります。ということで、田舎暮らしを考えてる人、いっしょに考えましょう。新しい生活スタイルは、新しい自分を作り出します。

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自然の方へ-17-

2013-11-06 | 自然の方へ
共同運営のはたけ
2005.9.13

野菜やお米をつくる!
それも有志が共同して、野菜やお米を生産し、分配する!

食べることは、人が生存していく基本です。ところでこの「食」について考えていくと、様々に不条理なことが見え隠れしてきます。食の問題は、生活者の大きな関心ごとですね。
消費者から生産者へ。目に見える現場で、野菜やお米をつくる。自分たちで栽培する野菜やお米には、有機肥料が使われて、農薬は使っていない。このことが確認できます。

野菜作りやお米作りの現場の自然環境が汚染されている。この汚染環境は、いますぐ個人で解決できることではないですが、個人がこれ以上汚染させない方法で食料を作る。

それにしても自分の目で確認しないと信頼できない。こんな気持ちを作り出してしまった食環境です。そんなことを思いながら、共同で運営するはたけです。
そこで採れるのは、有機肥料で無農薬の野菜です。そして生産の現場を共有することで信頼関係が生まれてくるように思っています。

赤熊自然農園
2005.8.29

自然農法で野菜を栽培し、消費する人に野菜を直販する「赤熊自然農園」があります。
農園の所在地は、京都府亀岡市東本梅町赤熊西山口20(TEL0771-26-2325)

ボクは、すでに何度か訪問して、はたけを見せていただいて、ある種の感動を覚えます。というのも農園主宰者判野さんの考え方、自然と人間の関係、自然と植物の関係、もちろん、人と人の関係のあり方・・・等々のベースに自然農法を捉えて実践されていることに、感動するわけです。

不耕起栽培。肥料や水をやらない。野菜の生長は、自然の成り行きにまかせる。野菜自身の力で成長を見守る。もちろん何もしないで野菜が成長するわけがないので、気配りや手入れは並以上だと思います。

様々な人の交流拠点としても機能しだしている「赤熊自然農園」です。
いま、ここに集うなかで、煉瓦パン釜を設計し制作途中の人もいます。はたけの一部を借り受けて野菜栽培をする人もいます。
食料を自給自足する。地域で生産と消費をする。あい農学校のコンセプトと交差する軸がいくつもあります。暫くは、取材をさせていただきながら、自然農法の勉強をさせていただきたいと思っています。

農の共同作業
2005.7.17

食べ物を作ることをテーマに、あい農学校の記事を書いています。
それも主には、共同作業として農作物をつくる話です。
いまの社会状況にあって、共同農園のもつ意味というのは大きいと思っています。

ヒト個人が土に触れる身体体験で五感を引き出し見直す、ということがあります。
それに自分の食べるものを自分で作るという、自給自足的体験があります。
それらを超えて、共同作業の持つ意味は、ちょっと大袈裟にいえばです。
人類が農耕手段を手に入れて、集落をつくっていくプロセスの再現作業です。

どのくらいの歴史的時間があるのでしょう?
農耕を始めて1万年くらいの歴史があるのだと聞き(読み)ました。
もちろん人間の文化力が成してきた果実をかじる現代社会です。
でも、あらためて共同作業を捉えてみると、その原点への想いを掻きたてます。

ヒトの心の奥のほうに自然と交感する領域があるとか、ですね。
土に触れてヒトと交わる体験、共同作業っていうのは、この体験?
いまはただ、想像するだけしかできないんですが、
繋がってるって想うだけでも、ハッピーじゃないでしょうか、ね。

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自然の方へ-16-

2013-11-05 | 自然の方へ
食料の自給について
2005.12.5

農作物について、ここまで大量生産化や合理化が進められてくると、その反対の方向へと動くことが一つのムーブメントになります。少量生産化と無駄化の方へです。ここで云う、無駄化とは、手作りに徹していく方向だと考えればいいですね。

生産者と消費者という二極化で、貨幣を介在する流通を前提に置くと、大量生産と合理化により、コストを下げるという発想が優先されます。だから、生産、流通、消費という分断化されたサイクルを一体のものとして捉えていくことで、発想の転換をおこなえないかと考えるわけです。

生産・流通・消費を一体化する方向は、自給自足を目指すことになります。じゃ~この自給自足を達成するのに、どれくらいの規模の人間集団が最小限必要なのだろうか。ひとりでは生きられないのだとしたら、どれほどの規模があれば、生きられるのだろうか。

京都農塾で共同作業をしながら、無駄を積み重ねて少量生産を行いつつあるのですが、ふっとそんなことを考えていました。

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自然の方へ-15-

2013-11-04 | 自然の方へ
農産物をわが手に
2006.1.11

現代の消費生活を支える根本は貨幣、つまりお金です。価値の基準は、金額の多寡です。なかには名誉が基準だというのもありますが、基本は貨幣です。もちろん生産と消費が一体として構成される社会ですから、会社勤めして働くというのも、生産に関与していることには違いないのですが・・・。

あい農学校では、貨幣が根本の社会から、いかにして逸脱するかを考えていきます。その具体的な手段を手に入れることを提案しています。食べることは生存の基本です。だから食べ物を生産します。農生産です。これは発想の転換です。生産手段を手に入れることは、消費生活から生産生活への発想の転換です。

このブログは、そういった生産現場をつくりだそうとしている現場からの報告です。その目的は、乖離してしまった心と体を一体のものとして成熟させていく試みでもあると考えています。

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自然の方へ-14-

2013-11-01 | 自然の方へ
自給自足ということ-4-
2006.5.20

「まるエコ」というのがあります。まるごとエコロジーの略で、まるエコです。そのまるエコを概念化して、具体的な現場に仕立て上げようという目論見が、まるエコ塾です。そこで、まるエコとはなにか、と議論するわけです。まるエコは、心の問題でもあり、経済の問題でもあると考えています。自給自足をめざす方向で、物事を捉えていくところに、まるエコという概念が描けるのではないか、と考えるわけです。

自給自足という考え方は、経済の問題であり、経済システムのなかで、そこから逸脱していく方向です。で、現在の経済システムはというと、生産と消費を分離したなかで、貨幣を介在として、商品を流通させることに要約できます。自給自足とは、生産と消費を一体化することです。そのことを具体的に考えていく道筋に、まるエコという概念がたちあがってくると考えています。

現実に、都会生活者が、農地や山林を手に入れ、自給自足を試みようとすると、必要な資金が要ります。ある種、膨大な金額です。この必要になる資金を持たない者は、どうすればよいのか。実は、まるエコとは、こお資金を持たない者が、自給自足を実現させていくための、ノウハウのことではないか、と思うのです。ここでは、まるエコの経済側面を捉えているわけだけれど、理念だけではなく、具体的な経済の現場で、どのように対処していくのか、が問われているのだと考えます。

つまり、まるエコ塾で捉える視点は、ムード的な心のあり方とか、食べるために給金をもらう労働の外に置く、というのではなくて、労働そのものを中心とした新たな経済システムを思考し、実践していく視点だと思うのです。自給自足は経済システムの変更であり、まるエコ塾は、その変更を具体化していくプロセスの場であると考えなければいけないと思うのです。

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