現代表現研究所を主宰しています中川シゲオです。
現代という時代を、どう表現するか、というのがテーマです。
それぞれの個人が、思うところを、写真や文章で、表していくこと。
ぼくは写真という静止画を主に扱ってきた過去があります。
そういう自分が感じる現代、自分の今、というのがテーマです。
あまりむつかしく考えないようにして、むしろ感性を重視する派です。
現代という時代のとらえ方につながりますが、ツールはスマホ。
スマートフォーンにつながるSNS、それにスマホのカメラ機能。
このSNSとカメラを組み合わせたところで表現すること。
掲載の写真は、スマホで撮ったプライベートな朝の食事風景。
ぼくはこういう写真が好きだ、という感覚です。
もちろん、写真に現れた目に見えるものは、食料そのものです。
ぼくにとっては、旧友とのミーティングのときの食事です。
プライベートな思い入れのなかで撮る写真です。
撮る技術はもちろん必要ですが、その内容をどうするか。
この内容をどうするか、ということが問題ですね。
時代をどうとらえるか、個人の考えと感覚に由来するところです。
この時代感覚を、どのように他者に伝えて、共有するかですね。
そもそも論でいくと、この時代感覚とは何か、ということになります。
でも、それを言い出すと理屈なので、現代は理屈じゃない、としましょう。
現代という時代を、どう表現するか、というのがテーマです。
それぞれの個人が、思うところを、写真や文章で、表していくこと。
ぼくは写真という静止画を主に扱ってきた過去があります。
そういう自分が感じる現代、自分の今、というのがテーマです。
あまりむつかしく考えないようにして、むしろ感性を重視する派です。
現代という時代のとらえ方につながりますが、ツールはスマホ。
スマートフォーンにつながるSNS、それにスマホのカメラ機能。
このSNSとカメラを組み合わせたところで表現すること。
掲載の写真は、スマホで撮ったプライベートな朝の食事風景。
ぼくはこういう写真が好きだ、という感覚です。
もちろん、写真に現れた目に見えるものは、食料そのものです。
ぼくにとっては、旧友とのミーティングのときの食事です。
プライベートな思い入れのなかで撮る写真です。
撮る技術はもちろん必要ですが、その内容をどうするか。
この内容をどうするか、ということが問題ですね。
時代をどうとらえるか、個人の考えと感覚に由来するところです。
この時代感覚を、どのように他者に伝えて、共有するかですね。
そもそも論でいくと、この時代感覚とは何か、ということになります。
でも、それを言い出すと理屈なので、現代は理屈じゃない、としましょう。