芸術に向かう心
2006.9.30
ぼくには、芸術というと、なにか高尚な精神の産物というイメージがあるんですけど、どうなんでしょうね。高尚な精神なんてゆう表記も、ちょっとおつでおすましかげんのかっこよさ、みたいなイメージですけど、心のおもむくままに深いところへ落ちていく道筋だ、なんてことをイメージしてるんです。
水平垂直のはなしで、垂直が自己超越と自己崩壊で、芸術はやっぱり自己崩壊の深みだなと思ってしまうんですね。そうすると自己超越とは、宗教だね。
高尚な精神の反義語は、お下劣な心、とでも定義しておきましょう。いいえ、内側でね、見つめていくとね、このお下劣な心ってのが垣間見えるのですよね。高尚な精神を求めて宗教、お下劣な心を求めて芸術、っとまあ、こうゆう図式になるんだとぼくは思うんですね。
文学も美術も、宗教に交わることで営まれてきた精神だったと思うんだけど、それを切り離してしまう現代といえば、芸術は、お下劣な心の具現化だ、なんて思ったりして、崩壊の道筋をたどっている感じ・・・。
2006.9.30
ぼくには、芸術というと、なにか高尚な精神の産物というイメージがあるんですけど、どうなんでしょうね。高尚な精神なんてゆう表記も、ちょっとおつでおすましかげんのかっこよさ、みたいなイメージですけど、心のおもむくままに深いところへ落ちていく道筋だ、なんてことをイメージしてるんです。
水平垂直のはなしで、垂直が自己超越と自己崩壊で、芸術はやっぱり自己崩壊の深みだなと思ってしまうんですね。そうすると自己超越とは、宗教だね。
高尚な精神の反義語は、お下劣な心、とでも定義しておきましょう。いいえ、内側でね、見つめていくとね、このお下劣な心ってのが垣間見えるのですよね。高尚な精神を求めて宗教、お下劣な心を求めて芸術、っとまあ、こうゆう図式になるんだとぼくは思うんですね。
文学も美術も、宗教に交わることで営まれてきた精神だったと思うんだけど、それを切り離してしまう現代といえば、芸術は、お下劣な心の具現化だ、なんて思ったりして、崩壊の道筋をたどっている感じ・・・。