むくむく通信

これからの生活スタイルを考えていきましょう!自然を愛する情報を発信します。

自給自足のすすめ-2-

2014-01-30 | 自給自足のすすめ
食料生産の分野で自給自足をめざす意識のなかに、
アグリ資本に握られた食料の大量生産への抵抗または対抗ということがあります。

この抵抗・対抗のネットワークは、他のムーブメントと歩調を合わせながらです。
1989年以降の、また2001.9.11以降の新しいムーブメントとして捉えることができます。
いうまでもなくアメリカ型グローバリゼーションへの対抗軸としての視点です。

確かにわたしが-自給自足のすすめ-というときこの潮流を理解したいと思います。
環境保護や人間解放へのムーブメントの一環として捉えることを理解します。
でも、ここで大上段に事を語ったとしてもむなしく思ってもいます。

目指すところの環境保護や人間解放といっても、メガ資本主義という、
その根底のシステムをどのように変換するのか、
という次のビジョンが見いだせないからです。

このような現状ですから、まず実践をやっていこうと呼びかけます。
ムーブメントが先にあって、そのために行動を起こす、ではなくてです。
声なき声と括られてきた声なき声のヒト個人が、具体的な現場に参加する。
そのようば仕組みを作っていきたいな~と思っているのです。

正直、ヒトの行動って理屈やなくて感情なんですね。
そのことが気持ちよかったら、必然的にその流れになってくる。
そこで、わたしはみずからの体験をつくりながら、
その体験の気持を知らせてあげようと思っているんです。

山へ入って採取生活がどこまで可能か、とか、家畜を飼い、はたけを耕し、
自然循環がどこまで可能なんだろう、とか、
肌身をもって体験していくということを、お勧めしています。

声なき声が、声になるためには、声になる手段を手に入れることも考えなくてはならないです。
写真学校、文学校、農学校の三点セットを使いこなして、その気をもって学びあいをしましょう!

ここが出発点かな~、金メダルを目指さなくてもいいんです。



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自給自足のすすめ-1-

2014-01-27 | 自給自足のすすめ
自給自足のすすめ-1-

食品の安全性についての議論があります。
遺伝子組み換え食品、化学肥料、農薬。
身体への食料補給はヒト生存の基礎ですから無関心でいられません。
無関心ごとではないから規格化が必要である。
そこでJAS法(日本農林規格法)が制定されている。

自家菜園で化学肥料や農薬を使わないで農作物をつくるとどうなんですか?
ここで採れた野菜は有機無農薬栽培です。
第三者機関による認定がなくても、JAS表示しなくても有機無農薬栽培の野菜です。
ちょっと無機質な話題になっていますが、食品をめぐる話題を展開していくのに、
このことをふれずに通過できないように思うので、ここから始めます。

今日から断続的にですが、「自給自足のすすめ」をシリーズで掲載していきます。
まずは定義からします。
自分が食べるものは自分でつくる、これ自給自足です。
自分たちが食べるものを自分たちでつくる、これ共同自給自足です。
そしたら人間がつくる食べものだから地球上の食料は共同自給自足じゃないか?

いいえ、ここでいう自給自足とは、貨幣が伴わないで生産と消費が行われることです。
このような側面で定義しておきます。
つまり、自分たちでつくって自分たちで食べるなかで、お金がいらないということです。
この条件を軸に、自給自足の可能性を検証していきたいと考えています。
これが第一の切り口です。

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自然の方へ-29-

2014-01-06 | 自然の方へ
February 17, 2005
田舎暮らしの方へ-12-

田舎暮らしへの方向は、自分の経済規模の徹底的縮小への方向でもあります。
貧乏せよ!なんてこといいません、金持ち・貧乏、とゆう区分の枠外にでる方向です。
つまり田舎暮らしをめざすのは、心の開放をその目的とするからです。
心の開放とは、理想的にいえば、グローバル化経済構造からの脱却です。

生活者が心の負担としてきたことって、お金にまつわることが多いです。
いや、もう、人間関係に金銭が介在する。
家族の絆も、恋人との関係も、お金の多寡によって左右されるんですものね。
お金を多く持っていれば価値があって、少なければ価値がない。
この価値尺度の変換を自らやっていくことがルーラル化への向き方です。

実際、こんな理屈を言っていてもなにも始まらないですね。
実践していくことからしか始まらないんです。
ボクのほうは、ぼちぼち実践はじめてから、かれこれ3年がたちました。
いま職業肩書きはフリー、自由業です。
世間のコトバでいえば、失業後未就労者です(笑)

リスクヘッジの社会保障とかを全部削ぎ落としての、いまです。
いまある姿は、経済活動に参列していた生活時に貯めこんだ結果です。
つまり、悠々自適の隠居生活の部類にはいるのかも知れません。
前に、田舎暮らしをするのも初期投資資本がいることを申しました。
その結果として、いまボクがここにいることを自覚しています。

あい自然学校なんて枠をつくっていますが、この学校の課題は、
初期投資資本がなくても、田舎暮らしをはじめることが出来ないか、です。
たとえば若い世代のフリーターが、初期投資なしに快適田舎暮らしが出来ないか。
土地家屋&預貯金なしの生活者が、快適田舎暮らしを手にすることが出来ないか。
このようなヒトの実践ノウハウを作り出せないかとゆうことです。

田舎暮らしは、趣味道楽ではありません。
世の価値観、自己の価値観の変容させていくプロセスです。
その中心は、心の開放、あらたな人間関係の創生です。
(終)

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自然の方へ-28-

2014-01-02 | 自然の方へ
January 26, 2005
田舎暮らしの方へ-11-

田舎暮らしの方向は、貨幣経済から遠ざかっていく方向です。
貨幣経済の渦中にいて、競争社会の渦中にいて、
そこでの勝った負けたの判定基準じゃなくて、
もう少し違う位相で生きることの意味をつかみとっていくことです。

ボクはこの方向が見出せないで、単に農村に住むことだけでは、
田舎暮らしとはいえないと思っています。
たしかに見た目、表面的には都会じゃなくて山川ありの田舎地だったとしても、
生活の基本的構造が同じでは、田舎暮らしの意味が見出せないです。

現代のボクたちの思考方法といったら、お金儲けていくらの価値を見出すことにあります。
お金があれば何でも買える、だからお金を儲けよう!です。
で、そこからの思考方法の変換ということでいえば、
都会に住んでても田舎暮らし思考が出来ることになります。

そうなんです、ボクの思いでは、都会に住んでいて田舎暮らし思考が出てきて、
そこから具体的な、田舎地への移住思考が始まっていくように思います。
時間をお金換算する思考から、そうではない思考方法への変換です。
自分の生きていく意味を問い始めていくプロセスのなかに、
この思考の変換が出てくるんです。

田舎暮らしをしてお百姓をして、のんびり暮らそうなんて思ってても、
発想の転換、思考方法の変換が起こらないと意味を持たないんです。
都会のなかで隠居をするかわりに田舎で隠居をしようではダメです。
これでは元の木阿弥、居住の場所が変わるだけのことです。
こころの開放にはいっこうにつながっていかないように思います。



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