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ポインセチア

2006-11-25 23:59:00 | 奄美-自然
Poinsettia3

いつも眺めていたこの植物がポインセチアと気が付いた。先日「奄美・加計呂麻なんでもあり」さんのブログを拝見して。(→この記事
赤く染まった苞も緑の葉も細いけれど、やっぱりこれはポインセチア?地植えされて2階にも届く高さ!かなり驚いた。
Poinsettia2私にとってのポインセチアとは、クリスマス近くになると鉢に入って我が家にやってきて、クリスマスが終わると部屋の隅に追いやられるお部屋のアクセント。年を越しても水だけで枯れずにひょろひょろと伸び続け、やがて赤い苞を落として緑一色に。その後は、秋に向けて日光を当てる時間を調節(=短日処理)しないと葉は永遠に緑のまま...
この短日処理が、仕事をしていると、まずもって実行することはできない。相当面倒...

そして、いつのまにか我が家からなくなっているのだ...

どんな植物も、そりゃもともとは地面に生えているという当然のことを目の当たりにしたのだが、やはりこんなに背の高いポインセチアにはびっくりした。
Poinsettia Poinsettia4

注意してみると、結構色んなところに植えてある。ポインセチアが地植えできるなんて、すごいわ奄美!

...なーんて思っていたら、宮崎の堀切峠というところもこんなポインセチアが群生しているところがあったのですね。知らなかった~ 宮崎にあるのだから、鹿児島にも地植えされたものがあったのかもしれないなぁ。

それにしても、短日処理をしなくても、なぜ赤くなるのか謎だ...温度さえ合っていれば、赤くなるものなのだろうか?

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11月27日 追記

義志直さんが、コメントに奄美にはかなり前から庭にポインセチアがあったと教えて下さり、その歴史について勝手に想像してみました。長くなったので、こちらに追記しておきます。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

Wikipediaには『アメリカの初代メキシコ公使、J.R.ポインセットが、1825年頃メキシコで発見したことが名前の由来。』『日本には明治時代に来た』なんてありますが、もともとメキシコ原産のこの植物。まずは、奄美にはずっとあったのかと考えてみました。

しかし、義志直さんのお話でも「お庭にあった」ということですし、現在も見かけるのはよそのお庭ばかりで、自生している場所を見かけたことがないので(と、いっても私の知っている場所は本当に限られているのですが)、やはり持ち込まれた可能性が高いと思いました。

誰が持ち込んだのか、こればかりはわかりませんが、ひょっとすると奄美には、江戸時代末には醤油工場があって海外との密貿易にかかっていたようですし、(こちらのサイトより)、その後らんかん山に白糖工場もあったのですよね。そこに関わった外国人が持ってきたのかもしれません..。
クリスマスカラーですので、西欧ではかなり昔からクリスマスの花として愛でられてきたのでしょう。奄美には教会が多いというのも広まった一因かもしれませんね。それともやはり、クリスマスとは特にかかわりなく持ってきて、挿し木増やせるので広まったのか...

日本人が(クリスチャンでもないのに)クリスマスに飾りつけをしたりしてするようになったのは、高度成長期ぐらいからでしょう。私の小さいときに(S40年代)家には既に小さいクリスマスツリーがありました。うちは親がその当時にはまだ珍しかった海外への出張をよくしていた影響もあるかもしれませんが、この頃から家庭でも一般的になったのかと思います。

でも、ツリーはあってもポインセチアは全く見たことがありませんでした。
日本ポインセチア協会というのが設立されたのが1985年とのことなので、この頃本格的に一気に増えたのかもしれないですね。ちょうどバブルの時ですね。この協会のHPにもかなり詳しくポインセチアの歴史が載っています。最初しか読んでいませんが(長くて!)、ポインセット氏が発見するより前の17世紀には、在メキシコのフランシスコ修道会での行事に使われるようになったとありますから古いですね。

...というわけで、真相は闇の中ですが、ポインセチアひとつから思いがけず色々な歴史に思いを馳せることができて、とても面白かったです!長々とすみません。



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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
背高のっぽのポインセチア、初めて見ました! (marri)
2006-11-26 11:52:08
背高のっぽのポインセチア、初めて見ました!
堀切峠のお花も見て来ました。貴女の検索のおかげで・・・今朝は私の大好きな赤い花が見られて良かった!ありがたや~~(^^)こちらは毎日曇りか雨の日が続きます。そして寒い冬が来るのでしょうね^^;;
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私ね、TVでみたことありるっ!見事な「木」になっ... (いなねえ)
2006-11-26 23:26:34
私ね、TVでみたことありるっ!見事な「木」になったポインセチア。あれはどこだったのかなぁ・・・。でもねやっぱり見事な「緑」なんですよ。やっぱり南の方だったような・・・。
ポインセチアってXmasのイメージだからついつい寒いところの植物かと思っちゃうけど、実は暖かい気候にぴったりなのかもしれませんね。堀切峠、実に見事です!これが自然の姿なんですね。。。そこに一瞬でもいいから雪を降らせてみたいなぁ。。。。
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お久しぶりです。 (ウッドエイトのマスター)
2006-11-27 01:39:56
お久しぶりです。
ポインセチアって冬の植物のイメージありますけど寒いの弱いって何かの本で読んだことがあります。
さすが、奄美!天然のポインセチアってはじめて見ました☆。
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★marriさん★ (FORTUNE)
2006-11-27 08:28:17
★marriさん★

こんなに大きくなるんですねぇ!
でも高くなっても太くはならない。
私にはとってもうらやましいです(^^;

堀切峠は私も検索で知り驚きました。こんな遠くの土地の様子もすぐわかるって便利な世の中です^^



★いなねえさん★

おぉ、ご覧になったことあったんですね!
メキシコ原産だそうですよ。でもって、アメリカ人でメキシコの大使だったポインセットさんが名前の由来なんですって。
ほんと、クリスマスカラーだから雪がぴったりなんですよね。



★ウッドエイトのマスターさん★

お久しぶりです!
こうしてみると、花屋さんに並んでいる真っ赤な苞が立派なポインセチアとはだいぶ風情が違うのですが、もともとはこうだったのでしょうね~
本当に、私も2年目でまだ初めて見るものだらけの奄美です。
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この花(木)、いつ頃からクリスマスの花として定着... (義志直)
2006-11-27 16:53:30
この花(木)、いつ頃からクリスマスの花として定着しだしたのでしょうかね?そのずっと前から島の庭にはあったと思います。花というより木として扱っていました。二階の窓から眺めるとちょうどいい高さ(目線と同じ高さ)に赤い部分が見えるほどにすぐに成長します。
毎年クリスマスシーズンにあんなに数多くの鉢が花屋に並んで売れていくところから察するにやはり鉢植えのまま育て続けるのは難しいのでしょうね。ポインセチアに限らずお店で買う鉢植えの植物(特に草花)を露地に移植する場合は、毒抜き(生産業者や花屋が施した色艶用、長持ち用等の様々な薬剤の自然消滅)がうまくいかないときちんと根付かないんですよね。
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★義志直さん★ (FORTUNE)
2006-11-27 17:55:57
★義志直さん★

昔からお庭にあった話、とても興味深く思いつくまま書き始めたら、あまりに長くなりましたので、本文に「追記」しました。

それにしても、義志直さんには本当に植物を育てることには色々とお詳しいですね。都会の男の人で定年前に庭仕事に詳しい人などあまりいない感じがしますが、さすが奄美でおうちのお仕事を手伝いながらの子供時代をすごされたからかなーと思っています。
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うわ、でっか!すげーーーー!! (みはる)
2006-11-27 18:29:04
うわ、でっか!すげーーーー!!
野性味あふれるポインセチア、初めて見ました。大きくなるんですねぇ。
うちの近くのお花屋さんでは、植木鉢のポインセチアが寒そうに、たくさん寄り添って売られてますよ。
もしかしたら矮化剤(植物の背が伸びなくなる薬)でも入ってるのかもしれないですね。
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日本ポインセチア協会なんてあるんですね!びっく... (義志直)
2006-11-27 21:37:48
日本ポインセチア協会なんてあるんですね!びっくりです。(よく調べましたね)
暖地の植物の鉢植えがハウスで大量に育てられ供給されるようになったのは確かにそんなに以前からのことではありませんよね。このポインセチアがいつ頃奄美にやってきたかはわかりませんが、すくなくとも40年前には近所の家の庭に木として植わっていましたよ。枝がどんどん伸びるので剪定ががたいへんだと家主が言っていました。
奄美に珍しい外来種(品)が入ってくるルートのひとつに沖縄ルートもありますよ。熱帯や亜熱帯原産の植物は戦後は本土を経由せず米軍⇒沖縄⇒奄美も多かったと思います。戦前から沖縄はフィリピンや台湾との交流も盛んだったはずです。奄美にも沖縄にルーツのある方たちはたくさんいらっしゃいますし、逆に沖縄に出て行かれた奄美人もたくさんいますから人&物の交流はいまだに意外と盛んなんです。余談ですが、戦前戦後奄美では口減らしのため沖縄の糸満に海人(ウミンチュ)として引き取られて行った若者が数多くいたようです。糸満では海に潜って仕掛けた網に魚を追い込む追い込み漁がさかんだったんです。その追い込み手として引き取られて行ったのです。年季が明けて帰って来た人に会ったことがあります。
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★みはるさん★ (FORTUNE)
2006-11-27 22:30:57
★みはるさん★

奄美もお花屋さんは一緒です。この地植えとは比べ物にならない鮮やかさで、葉もぷっくりしたやつがたーくさん。
それにしても矮化剤なんてものもあるのですか。「矮化」って言葉がすごいなぁ。ほんと、お花を育てることには全く疎い私なので、びっくりです。
そんな私も一度か二度お店で買ったものを挿し木で増やしたことがあります。ちゃんとつくことはついたのですが、ろくに肥料もやらずに結局数ヶ月で枯らしてしまいました(^^;)



★義志直さん★

その通りでした!絶対に忘れてはいけないのが沖縄ルートですね。というか、大抵のものが沖縄から来ているんでしょうね。沖縄にもたくさん地植えのポインセチアはあるようですし、(ただしネット上ではざっと見たところ「野性の」ポインセチアは見つけられませんでした。人家の周りにあるものしか)
つい欧州からの直輸入にロマンを感じてしまいましたが、沖縄ルートが最有力候補でした。

今、Tシャツに「島人」とか「海人」とかプリントされてみんな着ていますが、義志直さんの教えて下さった「海人」は「家人=ヤンチュ」と同じように奴隷に近いようなものだったのでしょうか。戦後ではそれほどまではひどくなかったのかもしれませんが、いずれにせよ大変な生活が偲ばれますね...
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「海人」、確かに今はかっこいいひびきの漢字です... (義志直)
2006-11-28 13:47:47
「海人」、確かに今はかっこいいひびきの漢字ですが、私が始めてこのことばを聞いた頃はFORTUNEさんがおっしゃるように「家人」と同じような悲しい定を思い起こさせるもの悲しい言葉でした。沖縄ではどうだっかわかりませんが、奄美では海人は造語としては理解可能ですが、漁師は「イショシャ(磯者)」でしたから「ウミンチュ」とはそのような身の上を特定する言葉でした。Tシャツの背中の大きな文字を見ると先人たちが味わった苦労をふと思い出してしまいます。
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