飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(関東):市川、手児奈霊堂

2011年10月09日 | 更新情報
(タイトル名・写真更新しました)


勝鹿(かつしか)の真間(まま)の井を見れば立ち平(なら)し
水汲ましけむ手児奈(てごな)し思ほゆ
   =巻9-1808 高橋虫麻呂=


勝鹿の真間の井戸を見ると、地面が平らになるほど何度も行き来して、
水を汲んでいただろう手児奈のことが思われる、という意味。

「勝鹿」は葛飾、埼玉県・東京都東部・千葉県西北部にわたる江戸川流域。
貧しい手児奈は粗末な衣服で労働に明け暮れていたが、絶世の美女だった。
そのため大勢の男性に求愛されたが、彼女は、それを拒んで自殺した、という伝説を歌ったもの。

市川に手児奈を祀る手児奈霊堂があり、近くに真間の井がある。
万葉時代に既にあった伝説に出てくる娘を、その後、綿々と実際に祀ってきたという、伝説が生活風習に根付いているという確かな一例である。

この万葉歌碑は手児奈霊堂境内に建てられているものである。

万葉アルバム(関東):市川、真間の継橋

2011年10月09日 | 更新情報
(写真更新しました)


足(あ)の音せず行かむ駒もが葛飾の
真間(まま)の継橋(つぎはし)やまず通はむ
   =巻14-3387 作者未詳=


足音がせずに行ける馬がほしい。そうすれば、葛飾の真間の継橋を通っていつも恋人のもとに行くものを。という意味。

「真間」はいまの千葉県市川市真間の地。
「真間の継橋」は、真間の地にある手児奈霊堂の入口にある。
昔の橋は入り江の杭(くい)に継ぎ板を渡したような簡単なものだったようで、現在の橋は写真のようにずいぶんと派手になっている。
この真間のあたりは、昔は近くを流れる江戸川河口の入江になっていて、いくつもの中洲ができていた。
継橋は洲から洲に渡る橋であり、何枚かの板を継いでいたのでこんな名称になったと思われる。

万葉学者の犬養孝先生は、今ある継橋は「後人の手児奈追慕の名残りか」と説いている。
真間の継橋と手児奈を結びつけると、ロマンチックな物語が想像できる。