飛鳥への旅

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絵と語りの芸能3:絵解き

2009年09月11日 | 絵と語りの芸能
 「絵解き」というのは、一般的には絵画を読み解いて説明することをいうが、
日本では古来から仏教の普及のために行なわれていたのである。
昔は文字が読めない人が多く、絵解きによって説教を行なう方法が広く各地で行なわれてきた。
「絵解き」を行なう説教者や比丘尼の語りが、後に「のぞきからくり」「写し絵」などの芸能に広がり、節談説教や浪曲へとつながっていく。
 ここでは「絵解き」にどのような種類のものがあるのかを、分類しながら見ていこうと思う。


1.曼荼羅絵解き
 当麻曼荼羅絵解き

 中世における絵解きの中で最も注目されるものは、奈良県当麻寺の「当麻曼荼羅絵解き」である。俗に「まんだら絵解き」といわれ、主として浄土宗の寺を中心として全国に広まった。この絵解きは、仏教界の絵解き説教の中でも特異なもので、「観無量寿経」の主旨を絵で説きながら、さらに中将姫の伝説を織り込んで近世にも広く発展し、文学や芸能に影響を及ぼした。
「観無量寿経」を最初に説いたのは法然門下の証空(1177~1247)で、その後多くの説教教化者に広まっていったのである。


2.絵伝絵解き
 聖徳太子絵伝の絵解き
 法然上人絵伝

 絵解きの中で、最も多くの人々に親しまれたのが、日本仏教各宗の宗祖の絵伝である。中でも「法然上人絵伝」「親鸞聖人御絵伝」は広く知られている。また宗祖ではないが、「聖徳太子絵伝」も多数みられる。
特に親鸞の絵伝は異本が多くあり、模本も相当数作られている。それに絵解きする人のアドリブが加わっていったようだ。
絵伝は生涯にわたっての事跡を絵で順番に表現したもので、複数幅に分けて描かれるのが多いようだ。


3.十界図絵解き
 熊野比丘尼の絵解き

 熊野観心十界図

 「熊野観心十界図」は、「熊野の絵」とか「地獄絵」「極楽地獄図」とも呼ばれている。中世の熊野は”蟻の熊野詣”といわれるように、熊野参詣は隆盛を極めていた。伝道絵解きの熊野比丘尼が、熊野に年籠りし、伊勢に詣でた後、諸国を巡り歩きながら、十界図の絵解きを行い、熊野信仰の伝播にあやかったのである。

 「熊野観心十界図」は、絵の上半分の半円弧には人が生まれてから死ぬまでの姿が、その下には地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天・声聞・緑覚・菩薩・仏の「十界」が描かれている。
これは、熊野比丘尼とよばれる女性宗教者が、絵をもちいて民衆にわかりやすく仏教の思想を教える絵解きに用いられたものとされており、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天・声聞・緑覚・菩薩・仏の「十界」が描かれている。


4.参詣曼荼羅絵解き

 那智参詣曼荼羅

 参詣曼荼羅の中でも一番名高いものとして「那智参詣曼荼羅」があるが、これも熊野比丘尼が携えて説いたものであろう。那智参詣の宣伝に一役買ってこれが広まり、各地の寺院に参詣曼荼羅が作られ、比丘尼等によって広まっていったようだ。
 参詣曼荼羅は「社寺参詣曼荼羅」と言って高野山やお伊勢さんなど各霊場にあるが、 熊野には31本と飛び抜けて多い本数が存在している。 参詣曼荼羅は全国で百本あまりと言われているので、 そのうちの3分の1にあたる。 熊野はそれだけ全国的な勧進活動を行なっていたということである。


5.絵巻絵解き
 道成寺縁起絵巻の絵解き

 道成寺縁起絵巻の一部

 あまり多くは見られないが、和歌山県道成寺の「道成寺縁起絵巻」の絵解き説法は有名である。上下二巻の縁起らしからぬ縁起の絵巻で、手際よく巻き進めながら面白おかしく絵解きする。すでに江戸時代には定着していたようだ。
 のちにこの絵巻のストーリーは歌舞伎の”娘道成寺”として歌舞伎の看板出し物となったのである。

<参考サイト>
当麻寺 当麻曼荼羅
熊野本宮参詣曼荼羅
熊野新宮参詣曼荼羅
熊野観心十界曼荼羅
道成寺縁起絵巻

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