あしひきの山のしづくに妹待つと
われ立ち濡れぬ山のしづくに
=巻2-107 大津皇子=
あなたを待って立ち続け、山の木々から落ちてくるしずくに濡れてしまいましたよ。という意味。
これに石川郎女(いしかわのいらつめ)が答えた歌が、
吾(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの
山のしづくにならましものを
=巻2-108 石川郎女=
私を待って、あなたがお濡れになったというその山のしづくに、私がなれたらいいのに。という意味。
石川郎女は草壁皇子の妻の一人であったらしい。人目につかない深夜、彼女の住んでいる山ぎわにある邸宅の塀の前まで、彼女に逢いたい近づきたい一心で行ったのであるが、それ以上入ろうとはせずに、夜露に濡れながらじっと佇んでいるのである。郎女は何か事情があったのだろう、約束の場所には行けなかった。
しかしこれは実際に行って夜露に濡れたわけではなく、逢いたいという思いを込めた一種の恋文と解釈できる。郎女はそのあとの返歌で、山のしづくになりたくてもなれない身の上を嘆いて、丁重に断わったのでないかと思う。
草壁皇子に対抗する皇位継承者とみなされていた大津皇子の反逆事件の裏には、石川郎女をめぐる草壁皇子と大津皇子の愛憎がからんでいたようだ。
この大津皇子の歌碑は、当麻寺裏の公園に建っており、ここから望む二上山の山頂に大津皇子の墓がある。
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