筑波嶺(つくばね)を 外のみ見つつ ありかねて
雪消(ゆきげ)の道を なづみ来(け)るかも
=巻03-0383 丹比真人国人=
名高い筑波の嶺をよそ目にばかり見ていられなくて、雪解けの道に足をとられながら、やっと今この頂までたどりついた、という意味。
巻3-382の「筑波の岳に登りて」の長歌に続く反歌である。
丹比真人国人(タヒノマヒトクニヒト)とはどういう人か、出自は不明。従四下などの官位についている。遠江守(とおとうみのかみ)=静岡県の大井川の西部一帯の国司として赴任していた。橘奈良麿の乱に連座し、伊豆に流された。橘諸兄と交流があったという。
万葉時代の都人にとって遥かな東国の果てであった筑波山が、当時すでに伝説の山であり、名所でもあった。
万葉集には四首掲載されている。
飛鳥を歌った次の歌がある。
巻8-1557: 明日香川行き廻る岡の秋萩は今日降る雨に散りか過ぎなむ
この万葉歌碑は筑波山神社境内に置かれているものである。
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