第8章からしばらく南家郎女が主人公の座から去って、時代の寵児である大伴家持が登場する。
「ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの大伴家持(オホトモノヤカモチ)は、父旅人(タビト)の其年頃よりは、もつと優れた男ぶりであつた。併し、世の中はもう、すつかり変わつて居た。見るもの障(サハ)るもの、彼の心を苛(イラ)つかせる種にならぬものはなかつた。・・・」
第9章で大伴家持が郎女失踪の噂を偶然耳にする。石城(シキ)という築地垣を回した屋敷なので、二十歳のなった美しい郎女と接することが出来ず神の物の存在だった。
第10章は「妻夜這い」の風習をあげている。古来、石城(シキ)のない屋敷では出入りが自由で夜這いにより妻を娶る風習があった。昔を偲ぶ家持がうつろいゆく変化を偲んでいたが、何者にも犯されない石城(シキ)の中の郎女が神の嫁として失踪・出家したのには、いたく驚いた。
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写真は、大伴家持ゆかりの北陸・高岡。当時国庁役人として赴任した地である。
写真1:大伴家持像(高岡駅前)
この高岡の地で名作「かたかごの歌」が生まれた。
”もののふの 八十娘子(やそおとめ)らが 汲みまがふ
寺井の上の かたかごの花”
写真2:二上山(ふたがみやま)高岡市内より
大和の二上山に似たこの山を見て故郷を偲んだ。
写真3:越中国守館跡(伏木測候所)
写真4:かたかご育成地(勝興寺)
「かたかご」は現在の「かたくり」である。
「ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの大伴家持(オホトモノヤカモチ)は、父旅人(タビト)の其年頃よりは、もつと優れた男ぶりであつた。併し、世の中はもう、すつかり変わつて居た。見るもの障(サハ)るもの、彼の心を苛(イラ)つかせる種にならぬものはなかつた。・・・」
第9章で大伴家持が郎女失踪の噂を偶然耳にする。石城(シキ)という築地垣を回した屋敷なので、二十歳のなった美しい郎女と接することが出来ず神の物の存在だった。
第10章は「妻夜這い」の風習をあげている。古来、石城(シキ)のない屋敷では出入りが自由で夜這いにより妻を娶る風習があった。昔を偲ぶ家持がうつろいゆく変化を偲んでいたが、何者にも犯されない石城(シキ)の中の郎女が神の嫁として失踪・出家したのには、いたく驚いた。
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写真は、大伴家持ゆかりの北陸・高岡。当時国庁役人として赴任した地である。
写真1:大伴家持像(高岡駅前)
この高岡の地で名作「かたかごの歌」が生まれた。
”もののふの 八十娘子(やそおとめ)らが 汲みまがふ
寺井の上の かたかごの花”
写真2:二上山(ふたがみやま)高岡市内より
大和の二上山に似たこの山を見て故郷を偲んだ。
写真3:越中国守館跡(伏木測候所)
写真4:かたかご育成地(勝興寺)
「かたかご」は現在の「かたくり」である。
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