イタリア人が常に口にする「マンマ・ミーア!」という言葉。
直訳すれば、「(私の)お母さん!」。意味は「なんてこった!」つまり「オーマイガッド!」と同じだ。
びっくりした時に、お母さん!と叫ぶのは非常に興味深い。
そのお母さんが聖母マリアから来ているのか、それとも自分のお母さんに由来するのかは知らない。
が、バレンティーナは言う。「マンマ・ミーア」という言葉はイタリア人の家族にとってのお母さんの役割の大きさを示しているのだ、と。
バレのマネをするときには、僕らは必ず「マンマ!」と言う。彼女がお母さんに電話する時の最初の決まり文句だ。
確かに一瞬だけ、バレのお母さん(以下、マンマ)の顔をパソコンの画面上でちらと見た。
しかし、よく分からなかった。あまりにもアップだったからだ。
だから、僕はバレの性格からマンマの姿を想像してきた。
背は高くなく、丸くて、髪が豊かで、確か黒髪じゃないっていっていたから、かなり明るい色の髪の毛で、どっしりしていて、よく話し、よく笑う人。
これは僕の想像ね。
で、今朝会った。
会ってみたら、全然違った。
ショートカットにまとめたブロンドに、青い瞳(確かにバレは以前、お母さんは青い瞳でブロンドだと言っていた。遺伝しなくて残念だと言っていた)。
バレより少し背が高くて、やせ型(日本で言うと中肉中背だから、中年を過ぎているイタリア人的にはかなり細い方だろう)。
バレよりも口数は少なめで、声も落ち着いている。
バレのような奔放さとは対照的に、クールで理知的な印象だ。
対して、バレンティーナはお母さんの前でよりいっそう奔放になり、しばしば長い黒髪をたなびかせて、「マンマ!」と言って抱きつき、いつもどおりよく話し、いつもどおりニコニコしているのだった。
さらにそこにバレの従妹シルビアが来た。
この従妹シルビアはなんとも形容しがたいのだが、丸くて、背が低く、ショートカットの黒髪、そしてどう言うべきか、知的にわずかながら発達の遅れが見られる感じの子だった。
彼女は良く話すのだが、相手の感情を理解することがあまり得意ではなく、ひとつのことに執着しがちで、動物をとても怖がる傾向にあった。
彼女は写真を撮り続け、明らかに写真を撮るべきかためらうべき場所でも、全くためらうことなく写真を撮り続けた。
マンマも従妹も英語がほぼできない。
だから、僕との会話はほぼ身振り手振りか、バレの通訳による。
今日は街に出て歩きまわるけど、一緒に来るか?と聞かれたので、一緒に行くことにした。
なぜなら、面白そうだったからだ。
この3人がどういう行動をとるのか見てみたかったのだ。
今日、僕の街では芸術祭の最終日で、いたるところで美術の展覧が行われていた(毎年やっているのは知っていたが行ったことはなかった)。
展覧と言っても、美術館でやるのではない。
個人個人の芸術家が、それぞれの家や仕事場やアトリエで作品を展示する。
われわれは彼らの家を一軒一軒訪ねてまわり、作品を鑑賞する。
会場は膨大な数あり、ガイドブックから選択するのに全く難儀するほどであった。
バレはいつもアレックスやクリスと行動する。
ふたりは車を持っているから、バレはあまりバスや電車に乗ったことが無い。
また、地図を見て歩いたこともほぼない。
しかも彼女は僕と同じようにかなりの方向音痴だ。
バレはどのバス停で降り、どこに向かうかも全く判然としないままバスに乗り、完全に行かないバス停を目指していたことが判明したので、結局、僕が地図を見てアテンドすることになった。
アテンドがうまく機能することが分かると彼女は完全に僕に任せきりになり、素晴らしい展示会場に出会う度に僕のアテンドを激賞するのだった。
僕にとっては地図を読む良い練習になったのでとても楽しかった。
歩いて回るので地図を冷静に読むことができる。車の場合よりもはるかに楽で、ストレスもほとんどなかった。
それに、自分が住んでいる街をかなり細かく観察できたのはかなりの収穫だった。
ガイドブックには代表的作品の写真と、展示場やアーティストの特徴が一言添えられていたのだが、色々見て回って分かったのは、ガイドブックで良し悪しを判断しても、大体間違っているということだった。
だから、とにかく僕はバレが見たいと言った作品群を適当に網羅するかたちで、全く先入観なしに道で出会う会場すべてに入ることにした。
展示場もアーティストも多様だ。
事務所やアトリエ、お店も沢山あったのだが、多くは自宅だった。
こんなに色々なイギリスの家のなかに入れたのはとても良い機会だった。
やはり皆、アーティストだけあって、置いているものがおしゃれだ。
イスも小物もテーブルもとてもセンスがいい。
思い出に残った場所を2つ書いておこうと思う。
アーティストのなかに日本人がいた。
僕が学生および研究者ではない日本人をこの街で見たのは2回目だった。
ちゃんと話したのは事実上初めてだった。
彼には奥さんとお子さんがおり、奥さんもまた日本人だった。
見た感じまだ若く(40歳いくかいかないかくらい)、仕事が出来るタイプの話し方、面持ちだった。
作品は人の顔を独特の色づかいで書いたものが中心で、それも非常に素晴らしかった。
もうひとつ印象に残ったのが、写真を中心にした展示場だったのが、そこがおそらくバレとマンマの一番気に入った展示場だった。
写真の多くは、建物をモチーフにした幾何学的な感じのものだった。
写真もさることながら、展示会場である彼女の自宅はとてもおしゃれで、そこもまたバレとマンマの興味関心を強く惹いた(シルビアは基本的にどの作品にも対して興味を示していない様子ではあったが、ただひたすら写真を撮ってはいた)。
僕も比較的好きな会場ではあったが、写真をやっている友人Iの写真の方がはるかに良くできていると思った(というか、基本的にどの会場の写真よりも、友人Iの写真の方が上手だった)。
僕らはおそらく15前後の会場を回ったと思われる(全体のおそらく10分の1くらいだと思う)。
バレ、マンマ、シルビア、いずれの女性も健脚の持ち主でまったく最後まで疲れを見せなかった(シルビアは最初から疲れていたが、その様子は最後まで変わらなかったので、ある意味で元気だった)。
それどころか、マンマはさすが南イタリア人と言うべきなのだろうか、途中で左手に出てきた教会の庭に、ローズマリーなどのハーブを発見し、適当にみつくろって採ってきたほどだった。
ほぼ会場を回り終わるころ、ありがたいことに、途中でクリスが参加した。
僕はクリスのことがすごく好きで、とにかくいてくれるだけで嬉しい。
バレと一緒にいると、基本的に自分が一生懸命頑張らなくてはいけないし、バレは僕にしっかりと男性性を求めてくる。
彼女は女性として振る舞い、がんがん腕組んできたり、甘えてきたりする。
僕は正直それがあまり好きではない(やっぱりそれをしていいのは自分の彼女だけだと思う)。
クリスがいれば、クリスがその男性の任を引き受けてくれるのでとても有難いのである。
僕のアテンドも美術作品めぐりを終えると同時にクリスに引き渡し、全員でビーチに向かった。
僕は出来るだけクリスに花を持たせたかった。
僕はバレに好かれたいとはちっとも思わないのであり、出来る男というよりは何にも出来ない人間でありたいと思っている。
しかし、これは全く世の常なのだが、優しさというのはすぐに当たり前になってしまうのであり、僕よりもずっと評価されるべきクリスの優しさは少しインフレをおこしてしまっている様子だった。
これはいけないと僕は思っている。
バレはもっとクリス、そして何よりアレックスに感謝すべきで、僕なんかを褒める必要なんぞ微塵もないのである。
にもかかわらず、ちょっとしたことで僕を褒めてくるので僕は逆に申し訳なさからイライラしてしまうのであり、それでいっそう彼女は僕に感謝するという悪循環に陥るのだった。
西洋人はどうしてビーチで焼きたがるのだろう?
いや、日本人もそうか。
僕にはそういう感覚は理解できない。
けれども、僕以外の全員がビーチで寝始めたので、仕方なく僕も付き合うことにした。
ズボンをまくり、タンクトップ1枚になる。
僕は初めてビーチで体を焼いた。
バレは上半身裸になるようにすすめてきたが、その勇気はどうしてもなく、とにかく今回はビーチで体を焼くということを覚えたことに満足したのだった。
最初は寝心地の悪いごつごつしたビーチも、少し寝始めると急にしっくりくるのは、全く不思議なことだ。
体を焼くのはもしかすると悪くないのかもしれない。
帰りのバスのなかで、あれだけ写真に執着していたシルビアが、どういうわけか全ての写真を(おそらく誤って)消したのは衝撃だった。
僕は写真にはこだわらない。
もちろん、最近はとみに写真を好きにはなってきているが、それでも僕は日記を書くことに執着しているので、シルビアが写真を全消ししたことにはそれほど問題は感じなかった。
しかし言うまでもなく、バレは怒り心頭だった。
とはいえ、バレもマンマもシルビアがどういう女の子か知っているのであり、それでも一緒に連れてきたわけだ。だから、結局は辛辣に怒るというほどのこともなく、そこに僕はイタリア人の(広い意味での)「家族」の絆の強さを見た、と言ってもいいかなと思っている。
夜、マンマの作る本当のピザを食べた。
生地は作らせてもらって、それで色々チェックしてもらった。
具は作っているのを見せてもらった。
何から何まで色々間違っていた・・・!