それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

知識人

2012-05-28 18:42:36 | 日記
博論を直しながら、知識人intellectualsについてほんの少し思いを巡らせていた。

私は知識人にはなれないだろう。

私は闘争に耐えるような精神や肉体、そして何より強烈な使命感や正義感を持っていない。

私が今まで出会ったなかで知識人になりえる人物はTさん以外にはいなかった。

おそらく友人Kもそうなろうとしていた。

ふたりの性質は全く異なる。が、彼らが目指しているであろう最終的なイメージは少しだけ似ている。
知識人というもののイメージについては。

大学の教員は知識人ではない。

研究者も知識人ではない。

もちろん知識人が大学の教員であったり、研究者であったりすることはあるが。

私はイギリスに来るまで、知識人というものについて考えたことはなかった。いや、考えないようにしてきたのかもしれない。

私は友人Kを観察しながら、自分と彼が研究について全くことなるイメージを描いていることに気がついた。

そして、私はその差異を追求していくことにした。

そうせざるを得なかった。

私にとって友人Kは決して追いつくことのできない存在だったからだ。

私はその差異が何なのか、しかしその時点では全く分からなかった。

私はこれまでも、そして今もまさに、純粋にナイーブに「研究」を生き方にしている。

Kとの差異は知識人と研究者の差異だった。今にして思えば。

周囲の人はKがなぜ研究者にならなかったのか、と私に尋ねてくる。

彼は研究に向いていなかった。それは事実だ。

だが、そもそも質問者はKが何になりたかったのか知らない。

それは簡単には説明できない。

けれども、それを一言で言えば知識人だった。

バレンティーナのマンマがやってきた話

2012-05-27 19:33:49 | イギリス生活事件簿
イタリア人が常に口にする「マンマ・ミーア!」という言葉。

直訳すれば、「(私の)お母さん!」。意味は「なんてこった!」つまり「オーマイガッド!」と同じだ。

びっくりした時に、お母さん!と叫ぶのは非常に興味深い。

そのお母さんが聖母マリアから来ているのか、それとも自分のお母さんに由来するのかは知らない。

が、バレンティーナは言う。「マンマ・ミーア」という言葉はイタリア人の家族にとってのお母さんの役割の大きさを示しているのだ、と。

バレのマネをするときには、僕らは必ず「マンマ!」と言う。彼女がお母さんに電話する時の最初の決まり文句だ。

確かに一瞬だけ、バレのお母さん(以下、マンマ)の顔をパソコンの画面上でちらと見た。

しかし、よく分からなかった。あまりにもアップだったからだ。

だから、僕はバレの性格からマンマの姿を想像してきた。

背は高くなく、丸くて、髪が豊かで、確か黒髪じゃないっていっていたから、かなり明るい色の髪の毛で、どっしりしていて、よく話し、よく笑う人。

これは僕の想像ね。



で、今朝会った。

会ってみたら、全然違った。

ショートカットにまとめたブロンドに、青い瞳(確かにバレは以前、お母さんは青い瞳でブロンドだと言っていた。遺伝しなくて残念だと言っていた)。

バレより少し背が高くて、やせ型(日本で言うと中肉中背だから、中年を過ぎているイタリア人的にはかなり細い方だろう)。

バレよりも口数は少なめで、声も落ち着いている。

バレのような奔放さとは対照的に、クールで理知的な印象だ。

対して、バレンティーナはお母さんの前でよりいっそう奔放になり、しばしば長い黒髪をたなびかせて、「マンマ!」と言って抱きつき、いつもどおりよく話し、いつもどおりニコニコしているのだった。



さらにそこにバレの従妹シルビアが来た。

この従妹シルビアはなんとも形容しがたいのだが、丸くて、背が低く、ショートカットの黒髪、そしてどう言うべきか、知的にわずかながら発達の遅れが見られる感じの子だった。

彼女は良く話すのだが、相手の感情を理解することがあまり得意ではなく、ひとつのことに執着しがちで、動物をとても怖がる傾向にあった。

彼女は写真を撮り続け、明らかに写真を撮るべきかためらうべき場所でも、全くためらうことなく写真を撮り続けた。



マンマも従妹も英語がほぼできない。

だから、僕との会話はほぼ身振り手振りか、バレの通訳による。

今日は街に出て歩きまわるけど、一緒に来るか?と聞かれたので、一緒に行くことにした。

なぜなら、面白そうだったからだ。

この3人がどういう行動をとるのか見てみたかったのだ。



今日、僕の街では芸術祭の最終日で、いたるところで美術の展覧が行われていた(毎年やっているのは知っていたが行ったことはなかった)。

展覧と言っても、美術館でやるのではない。

個人個人の芸術家が、それぞれの家や仕事場やアトリエで作品を展示する。

われわれは彼らの家を一軒一軒訪ねてまわり、作品を鑑賞する。

会場は膨大な数あり、ガイドブックから選択するのに全く難儀するほどであった。



バレはいつもアレックスやクリスと行動する。

ふたりは車を持っているから、バレはあまりバスや電車に乗ったことが無い。

また、地図を見て歩いたこともほぼない。

しかも彼女は僕と同じようにかなりの方向音痴だ。

バレはどのバス停で降り、どこに向かうかも全く判然としないままバスに乗り、完全に行かないバス停を目指していたことが判明したので、結局、僕が地図を見てアテンドすることになった。

アテンドがうまく機能することが分かると彼女は完全に僕に任せきりになり、素晴らしい展示会場に出会う度に僕のアテンドを激賞するのだった。

僕にとっては地図を読む良い練習になったのでとても楽しかった。

歩いて回るので地図を冷静に読むことができる。車の場合よりもはるかに楽で、ストレスもほとんどなかった。

それに、自分が住んでいる街をかなり細かく観察できたのはかなりの収穫だった。

ガイドブックには代表的作品の写真と、展示場やアーティストの特徴が一言添えられていたのだが、色々見て回って分かったのは、ガイドブックで良し悪しを判断しても、大体間違っているということだった。

だから、とにかく僕はバレが見たいと言った作品群を適当に網羅するかたちで、全く先入観なしに道で出会う会場すべてに入ることにした。



展示場もアーティストも多様だ。

事務所やアトリエ、お店も沢山あったのだが、多くは自宅だった。

こんなに色々なイギリスの家のなかに入れたのはとても良い機会だった。

やはり皆、アーティストだけあって、置いているものがおしゃれだ。

イスも小物もテーブルもとてもセンスがいい。

思い出に残った場所を2つ書いておこうと思う。



アーティストのなかに日本人がいた。

僕が学生および研究者ではない日本人をこの街で見たのは2回目だった。

ちゃんと話したのは事実上初めてだった。

彼には奥さんとお子さんがおり、奥さんもまた日本人だった。

見た感じまだ若く(40歳いくかいかないかくらい)、仕事が出来るタイプの話し方、面持ちだった。

作品は人の顔を独特の色づかいで書いたものが中心で、それも非常に素晴らしかった。



もうひとつ印象に残ったのが、写真を中心にした展示場だったのが、そこがおそらくバレとマンマの一番気に入った展示場だった。

写真の多くは、建物をモチーフにした幾何学的な感じのものだった。

写真もさることながら、展示会場である彼女の自宅はとてもおしゃれで、そこもまたバレとマンマの興味関心を強く惹いた(シルビアは基本的にどの作品にも対して興味を示していない様子ではあったが、ただひたすら写真を撮ってはいた)。

僕も比較的好きな会場ではあったが、写真をやっている友人Iの写真の方がはるかに良くできていると思った(というか、基本的にどの会場の写真よりも、友人Iの写真の方が上手だった)。



僕らはおそらく15前後の会場を回ったと思われる(全体のおそらく10分の1くらいだと思う)。

バレ、マンマ、シルビア、いずれの女性も健脚の持ち主でまったく最後まで疲れを見せなかった(シルビアは最初から疲れていたが、その様子は最後まで変わらなかったので、ある意味で元気だった)。

それどころか、マンマはさすが南イタリア人と言うべきなのだろうか、途中で左手に出てきた教会の庭に、ローズマリーなどのハーブを発見し、適当にみつくろって採ってきたほどだった。

ほぼ会場を回り終わるころ、ありがたいことに、途中でクリスが参加した。

僕はクリスのことがすごく好きで、とにかくいてくれるだけで嬉しい。

バレと一緒にいると、基本的に自分が一生懸命頑張らなくてはいけないし、バレは僕にしっかりと男性性を求めてくる。

彼女は女性として振る舞い、がんがん腕組んできたり、甘えてきたりする。

僕は正直それがあまり好きではない(やっぱりそれをしていいのは自分の彼女だけだと思う)。

クリスがいれば、クリスがその男性の任を引き受けてくれるのでとても有難いのである。



僕のアテンドも美術作品めぐりを終えると同時にクリスに引き渡し、全員でビーチに向かった。

僕は出来るだけクリスに花を持たせたかった。

僕はバレに好かれたいとはちっとも思わないのであり、出来る男というよりは何にも出来ない人間でありたいと思っている。

しかし、これは全く世の常なのだが、優しさというのはすぐに当たり前になってしまうのであり、僕よりもずっと評価されるべきクリスの優しさは少しインフレをおこしてしまっている様子だった。

これはいけないと僕は思っている。

バレはもっとクリス、そして何よりアレックスに感謝すべきで、僕なんかを褒める必要なんぞ微塵もないのである。

にもかかわらず、ちょっとしたことで僕を褒めてくるので僕は逆に申し訳なさからイライラしてしまうのであり、それでいっそう彼女は僕に感謝するという悪循環に陥るのだった。



西洋人はどうしてビーチで焼きたがるのだろう?

いや、日本人もそうか。

僕にはそういう感覚は理解できない。

けれども、僕以外の全員がビーチで寝始めたので、仕方なく僕も付き合うことにした。

ズボンをまくり、タンクトップ1枚になる。

僕は初めてビーチで体を焼いた。

バレは上半身裸になるようにすすめてきたが、その勇気はどうしてもなく、とにかく今回はビーチで体を焼くということを覚えたことに満足したのだった。

最初は寝心地の悪いごつごつしたビーチも、少し寝始めると急にしっくりくるのは、全く不思議なことだ。

体を焼くのはもしかすると悪くないのかもしれない。





帰りのバスのなかで、あれだけ写真に執着していたシルビアが、どういうわけか全ての写真を(おそらく誤って)消したのは衝撃だった。

僕は写真にはこだわらない。

もちろん、最近はとみに写真を好きにはなってきているが、それでも僕は日記を書くことに執着しているので、シルビアが写真を全消ししたことにはそれほど問題は感じなかった。

しかし言うまでもなく、バレは怒り心頭だった。

とはいえ、バレもマンマもシルビアがどういう女の子か知っているのであり、それでも一緒に連れてきたわけだ。だから、結局は辛辣に怒るというほどのこともなく、そこに僕はイタリア人の(広い意味での)「家族」の絆の強さを見た、と言ってもいいかなと思っている。



夜、マンマの作る本当のピザを食べた。

生地は作らせてもらって、それで色々チェックしてもらった。

具は作っているのを見せてもらった。

何から何まで色々間違っていた・・・!

魚屋

2012-05-27 07:16:22 | イギリス生活事件簿
昨日は午後から後輩とその友達と魚屋へ。

午前中は、来月こちらの研究会で発表する原稿直しと、博論加筆修正。一週間かなり一生懸命作業した。

そこで昨日を午後から完全にオフとし、しっかりと体力を使うことにした。



イギリスで魚屋に行く、というのは初めてだった。

バスを乗り継いだ先にある魚屋は海辺にあった。

それは、どちらかと言うと高級な住宅地に属する地域にある。

私は本格的な魚屋というものをこれまでイギリスではほとんど見たことが無かった。

イギリスで魚をフィッシュ・アンド・チップス以外の方法で食べる人たちが、かなり限られているのは疑いない。

魚屋の品揃えはもちろん、スーパーのそれとは比べ物にならない

けれど、一応言っておくが、日本の魚屋とは相当違う。品揃えも日本の魚屋ほどではないし、頼んだって刺身なんぞ作ってはくれない(でも、言えば内臓と鱗はその場で落としてくれる)。それでも、イギリスで色々な新鮮な魚を、しかも正確な名前付きで売っている店は、そこ以外にはほとんどない。

地方で獲れたものにはちゃんとそう書いてあり、やはりここは地産地消といこう。

ということで地元産の(後で調べたところによると)メジナと思しき魚を買う。



後輩の家に移動してから、さらに人を集めてパーティへ。

僕は初めてブイヤベースを作った。

昔、東京に行ったときに、友人たちと食べたブイヤベースの味を僕はどうしても忘れられなくて、それをどうしても再現したかった。

奇跡的にと言うべきなのか、僕の記憶の味を再現した。のだが、魚の骨がとんでもないことになった。今までで最も食べずらい魚料理だった。

東京で食べたものも確か骨には難儀したのだが、次にやる時はなにか工夫しないといけない(例えば、プロみたいに裏ごしするとか、骨だけ分離して煮るとか)。



後輩の友人たちは韓国、タイ、インド、中国といったアジアの面々で、久し振りにそっちからの留学生とじっくり話した、

参加した学生の多くは女性で(後輩が女の子だったというのが大きい)、彼女たちの料理は素晴らしかった。

色々勉強させてもらった。

今年はずいぶんとヨーロッパの人たちと話す機会があったので、久し振りのアジア飲みだ(言うまでもなく、それはフラットメイトのおかげなのだが)。

アジアならではのとても面白い話を沢山聞けた。

とりわけ興味深かったのが、タイの文化とインド文化の歴史的なつながりの話。

ずっとタイの文字が非常に不思議なかたちであることが気になっていたので、それについて聞いたら、宗教やら何や色々な文化がインドから来ているせいではないか、という話だった。

それと、中国のムスリムの話。

中国としてはムスリムをどう認識しているのか、といったカタめの話から、ムスリム的な習慣を実際にどれだけ実践しているのか、といった日常的な話まで色々聞くことができた。

非常に気になったのだが、場の雰囲気をぶち壊しないしないために、あまり聞けなかったのが、インドの毛派の話。

東南アジアには毛派がいて、彼らが武装闘争しているというのはずっと前から聞いていた。

毛派とは簡単に言うと、毛沢東が中華人民共和国をつくるためにゲリラ戦を展開した戦略を真似る人たちのことである。

そんな毛派がインドにもいて、結構な数になっているのだ、とインド人留学生は言った。

というか、彼自身がそうだから、そう言ったのかもしれないのだが、とにかくなんで武装闘争なのか、という点を僕はちょっとだけ教えてもらう。

議会を通じた改革じゃだめなのか?というと、駄目だ、中央政府は遠すぎるし、反応が遅すぎるのだ、と彼は言った。

インドは確かにデカイし、その政治構造は明らかに一筋縄ではないかなそうだ。

僕は武装闘争の具体的な方法を聞きたかったのだが、やめた。場がおかしなことになる。

武装闘争は究極の抗議の形式だ。だが、使い方を間違えば、武力は管理不能な暴力の連鎖を惹き起こす。



いずれにせよ、有意義な一日になった。

2012-05-26 00:17:31 | イギリス生活事件簿
今日会った彼はこれまでにイギリスで見た男性のなかで、最も魅力的だった。

バレが突如連れてきた男友達だ。

彼女は一体どこで見つけてくるのだろうか、本当に不思議なくらい男友達を家に連れてくる。

この男友達はイギリス人だが、父親がカリブ系で、しかもインド系のカリブ系とイスラエル系のカリブ系のハーフで、という非常にややこしい家系の人間だった。

褐色の肌、黒く縮れた短髪、口ひげ、がっちりした体格、優しく穏やかな眼差し、そして強烈に明るいキャラクター、人見知りしない性格。

彼は日本語を小さいころから勉強していたために僕と日本語で話せ(たどたどしくはあったのだが)、日本に行ったことがあるのだそうだ。

もし博士号を取ったら日本で教職につきたいと言っていた。

恐ろしい。彼が日本でどれほどもてるか全く想像できない。



僕は久しぶりにバレンティーナから女性のオーラが全開で出ているのを見た。

女とはかくありき。とでも言うように、彼女からは色気が漂っていた。

どう違うのか具体的に言うのは難しいのだが、歩き方、話し方、座り方、どれをとっても少し違う。

小さく華奢な体がまるで武器であると言わんばかりの身のこなし。

この男友達がバレを口説こうとしていることは明らかで、それにバレがどのように対応するのか僕は注視していた。

全く僕は趣味が悪い!

バレが一緒にパスタ食べよう何て言うものだから、僕は二人の間に割って入るかたちで始終一緒にいてしまった。

この男友達はひどく残念であったに違いない。

けれど、別れ際、僕はひと時二人きりになるように計らい、そしてふたりは家の外で世間話でもしたのか、あるいは愛のあいさつでも交わしたのか、それは分からないが、とにかく僕の邪魔していた分をそこで取り戻してもらうことにしたのだった。

いや、全くもって考えすぎかもしれない。

バレは本当に純粋に、例によってクリスのように、男友達として付き合っているのかもしれない。

だとしたら、僕の観察は全くもって失礼極まりないのである。

しかし、何度も言うが、彼女から漂っていた色気は、この鈍感な僕にすら感じられるもので、女性というものの本能を改めて思い出したのだった。

私の友人にも肉食系女子がいるのだが(僕はそういう女性からは全く相手にされない、というか誰にも特に相手にされない)、きっと彼女たちもそういう色気を出す瞬間があるのだろうと想像する。

いつか見てみたい、そして観察したいとどうしても思ってしまう無粋な気持ちを僕はなかなか抑えられないのだった。

「革命家の恋人」

2012-05-25 19:42:42 | ツクリバナシ
友人はひどく不安げな顔をしながら、コーヒーカップを口にあてた。

飲んでいるのか、それとも指しゃぶりでもするように、ただ何かを口にしたかったのか判然としないほど、友人は虚ろな様子だった。

「ケンカしたんだって?」と、私は友人に言った。

友人はそのことを話したいけれども、同時に全く口にもしたくない様子で、ぼそぼそ何かつぶやいている。

「いや、まったく初めてのことで。」

友人とその恋人は仲がいい。というより、一種の師弟関係のようでもあったし、兄弟のようでもあった。

「珍しいね。ケンカなんて。」こういう相談にどう乗ればいいのか分からないまま、私はとりあえずケンカの経緯を聞くことにした。

「いや全く変な感じなんだ。ケンカしているのかどうかも良く分からない。こういう経験は全くしたことがなくて。」

妙なことを言う。

「僕が怒ったのは、そのぉ、彼に対してではなくて、全く別の人物に対してだった。ところが、結果的に彼とケンカになってしまった。」

いよいよ妙だ。

「なんで彼は怒ったわけ?」

「いや、僕が全く失敬な行動を取ったせいだと思う。つまり、客人を前にあんな態度を取ったものだから。」

友人の目はいよいよ虚ろだ。

「あんな態度って何さ。」

「なんていうか、ヘソを曲げるというか、なんていうんだろう、あぁ、とにかくあからさまにイライラしてしまった。彼と僕とそれに客人の3人で食事をしていたのだけど、これがどうにもならなかった。」

それだけで彼氏が怒るくらいだから、よっぽどイライラしていたのだろう。

「しかし、なんでまたそんなにイライラしていたのさ。」

普段温厚な彼がどうしてそんなにイライラしていたのか、私はすごく気になった。確かに彼は常にアップダウンが激しい。突然落ち込んだり、突然ウキウキしていたりして、友人の私も扱いに困る時がある。

「先方がそれこそ失敬な態度をとっていたんだよ。」

失敬な態度っていったって、色々ある。

「なんていうか、これはとても説明が難しいんだ。だから、問題なんだ。」

これでは全く分からない。

「もちろん、僕自身、残業続きでイライラしていたのは間違いない。ここ数年、CDの販売が不調というのはご存じのとおり。とにかく、楽曲を売るために僕の会社も必死なんだ。ただ、先方の不躾な質問にはどうしても我慢できなかった。」

一体どういう質問がきたというのか。

「先方はこう僕にたずねてきた。『芸術とビジネスを両立するのは難しいですか?』『これに関する、あなたの会社の方針はどういうものですか?』」

「ふーん。」私はあまりピンとこなかった。それはありふれた質問のように聞こえたからだ。

私の友人は元々音楽家に憧れていた。音楽業界にどうしても関係していたいということで、彼はアーティストではなく会社員になった。それゆえ、彼の音楽に対するある種の執着はとても面倒なものだった。

「この手の質問は僕にとっては最も重要な質問だった。」

「じゃあ、ちゃんと答えれば良かったじゃない。」

私がこう言うと、友人はいよいよイライラした様子でこう言った。

「違う、違う。全く違う。人が一番大切にしていることには、とってもナイーブな部分が沢山ある。それはその人にとってそれがとても大事だから。

だから、どうしたって、その人の生き方そのものに関わってくる。

自分の生き方の根本を、軽い気持ちで触れられることがどれほどイライラするか分かるかな。

誰だってそうでしょ?

自分が大切なものを軽い気持ちで触ってこられたら、黙ってニコニコなんてしていられないでしょ?」

分からなくものないが、でもやっぱりピンと来ない。

「じゃあ、なんとなくそう言えば良かったんじゃない?」

こういうとき、正論が役に立たないことは知っている。

「いや、君は分かっていない。そうじゃないよ、大切で、気にしているからこそ、口に軽々しく出せないんじゃないか。本当に口に出せることなんて、大したことじゃない。誰にも言えないから大事なんだよ。」

「彼は一応君の恋人なんだから、その点、良く分かっているんじゃないの?」

タテマエ、という言葉が頭に浮かんだ。

友人は大きく首を横に振り、そして溜息をついた。

「彼には分かってもらえなかった。僕もそのことをちゃんと話そうとしなかったから。

それに、彼は僕と全く違う考え方で生きているんだ。」

まあ、恋人と言ったって、同じ生き方ということはまずあり得ない。それでもお互いを理解するように努め、できる限り尊重し合うのが恋人だ。

というのも、まあ、タテマエに過ぎないが。

「彼は革命家なんだ。」

え?と私は自分の驚き思わず口に出してしまった。

「革命家って、チェ・ゲバラ的なそれ?」

「そう。でも、彼は自分が革命家だとは一度も口にしたことはないよ。でも僕には分かる。彼は革命家だ。」

革命と言えば、冷戦というイメージで、そのころ、まだ私はほとんど物心がついていなかった。だから、革命という言葉にまったくリアリティがなかった。

「音楽家と革命家とは、相性良さそうね。」

私は思わずフォローともつかない、変なことを言ってしまった。

彼はうつむき、少し黙ってしまった。

「でも、とても難しいよ、革命家と付き合うのは。僕は必要な礼節を身につけていない。」

「レイセツ?」と私は思わず聞き返した。彼の言葉づかいは時々妙だ。

「彼はとても理知的で、とにかく頭がいいのだけど、同時にすごく純粋で、いやナイーブというんじゃないんだけど、一歩間違えるととんでもなく嫌われてしまう気がいつもしていたんだ。」

「それで?」

「彼の前でどう振る舞えばいいのか、僕はかなり分かっているつもりだった。

だけど、この前はそれをしくじった。」

そんなふうに自分の振る舞いをいちいちチェックしなければいけない恋愛関係はさぞ窮屈だろうなあと私は思った。

おそらく、この友人はかなりのマゾヒストに違いない。

「彼も彼ですごく悩んでいるみたいで、そこに僕の礼節をわきまえない態度だったから、彼のプライドを大いに傷つけたみたいなんだ。」

悩んでいる?新しい情報が入ってきた。恋愛関係がうまくいかないときは、大体それぞれが別の問題を抱えている時だ。

「何に悩んでいたの?その彼は。」

「学会での人間関係。」

ああ、そうだ。大事なことを聞いていなかった。「革命家」はおそらく本当の職業ではないから、まず彼の職業を聞かなくてはいけない。

「大学の先生か何かなの?」

「言ってなかったっけ?」

すっとぼけないでよ、言ってないよ。でも、もう聞いたからいい。

「それでどうしたって?」

「で、自分の研究があまりにも学会で浮いているって。というか、多くの学者が世界のことに興味を示さないのには辟易するって言ってた。」

私には学者のことはよく分からない。頭の良い人たちが、世界のことを一生懸命ああだ、こうだ議論しているんじゃないのか。違うのか。

「研究は確かに世界のことについてなんだけど、でも、彼らの関心はとても狭くて、ただ学会の人間関係のなかで認められるかどうかだって言ってた。」

そこでも、そういうものなのか。じゃあ、いよいよ世界のことについて考えている人なんて、この世界にはきっとごくごく少数しかいなんだろうなあ。

「それで、色々トラブっていたみたい。彼は世界を変えなきゃいけないってずっと思っているから。その情熱みたいなのが、やっぱりすごくぶつかっちゃうみたいで。」

「そっか。」革命家も大変そうだ。

「僕のこともケンカする前から、ちょくちょく批判するようになってた。」

「それは結構なストレスね。何を批判するの?彼は。」

「生き方とか、仕事に対する姿勢みたいなこと。」

革命家に批判されたら、誰も何とも言い返せないかもしれない。誰だって革命家に比べたら保守的で権威主義的で、そして退屈な人生だと言われてしまう。

「じゃあ、そろそろ別れたいと思ってる?」私は率直に聞いた。

「分かんない。その前に、自分の気持ちの説明とか、ちゃんと謝りたいとか、色々思ってる。」

そうすべきだ。明らかにそうすべきだ。

問題は本人がその気になるかどうか。相談相手というのは、概して相手の気持ちや既にある結論を引き出すしかない。

「じゃあ、電話してみる?」私がいる前の方が心強いかもしれない。

「いや、直接会って言う。

・・・ウソ、やっぱり今電話する。」

友人はとても迷っているらしく、なんだかオドオドしている。。

それでも、彼はようやく腹を決めた様子で、電話を手にした。

こちらにも呼び出し音が小さく聞こえる。

「はい、もしもし。」

革命家の彼が電話に出た。

友人はちゃんと説明できるのだろうか?

恋人の革命家がどういう人物なのか、私はとても気になって仕方が無かった。

いつか「どういう革命をご計画ですか?」と聞いてみたい。

おそらくだけど、きっと、私の友人と同じように、激しく不機嫌になるのではないかと思う。

もし、彼が本当に革命家だとしたら。

(了)