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でんぱ組.inc「おやすみポラリスさよならパラレルワールド」がすごい

2018-03-12 06:39:12 | テレビとラジオ
でんぱ組.inc「おやすみポラリスさよならパラレルワールド」MV


でんぱ組の新曲がすごい。

かなりの衝撃がある。



作曲は、H ZETT M。不安定な調性の強烈なAメロは、いかにも彼の作曲という感じ。

演奏もH ZETTRIOなのだろう、衝動的で技巧的なベース、ドラム、ピアノが迫ってくる。

H ZETTRIOの演奏は、もちろん技術的にすごいわけだが、意図して「青臭さ」を残してもいるように思える。

この僅かな「青臭さ」については、非常に説明が難しいのだが、とにかく良い意味なのである!

たとえば、もしこれをプロパーのジャズ・プレイヤーが弾いたとしたら、かなり違った印象になるだろう。

もっと角の取れた、クールすぎる、引っかかりの無いものになるかなと思う。

H ZETTRIOは、いずれの楽器もアタックがかなり強い。手数が多い。

さらに、ジャズ特有のラグがそんなになくて(あるにはある)、グルーブがかなり軽く(しかしグルービィではある)、ロックやポップスと相性が良い。

それが、でんぱ組の声や表現と絶妙な化学反応を生んでいる。



Aメロはもちろん、調性が不安定な感じも、新生でんぱ組の「モダンアートっぽさ」「不思議なアダルトさ」とぴったりだ。

でんぱ組は、活動の最初からミキオサカベなどの気鋭のクリエーターとのコラボレーションが行われるなど、プロデューサーの卓見が光るグループだった。

秋葉原を中心とした日本の現代文化を再構成して発信しようというコンセプトも、アートに精通しているプロデューサーならではアイディアだ。

コンセプト倒れのアイドル・グループも少なくないなか、でんぱ組の実現力というか、パフォーマンスでの説得力は、破格と言わざるを得ない。

新生でんぱ組は、そこにブレがない。

アイドルをはじめとする日本のユニークな現代文化のなかで、さらに新しい世界を切り開き続けるという確かな意志が今回の楽曲からは強く感じられる。

H ZETTRIOの起用はもちろん、彼らのスタイルをかなりそのまま取り込んで、良い化学反応を起こしてしまうという点で、

(プロジェクトとしての)でんぱ組の実力はとにかく恐ろしいのである。

今回の楽曲の衝撃は、初めて東京事変を聴いた時の衝撃にも通じる。



作詞は、漫画家の浅野いにおだ。

でんぱ組での作詞と言えば、「あした地球がこなごなになっても」だが、この曲と今回の曲を聴き比べるのは非常に意味がある。

「あした地球~」は、アイドルとしての、あるいは女性としての、強さと弱さを絶妙なバランスで描いた、恐ろしいほどキュートな世界観だった。

でんぱ組は、そもそもアイドルである女性たちの半生を赤裸々に描くことで、多くの人生と共鳴した、ひどく奇妙なグループだった。

だから、「あした地球~」の歌詞の世界観が、彼女たちの文脈とどう関係するのか、リスナーたちが色々な思いを巡らせることができた。



今回の作詞もそうだ。

「おやすみポラリスさよならパラレルワールド」は、SFチックな世界で、明確な解釈を拒絶する抽象性があるものの、

明らかに新生でんぱ組の文脈とリンクする内容になっている。

最上もがが脱退していなかったら。そもそも彼女たちがそれぞれアイドルになっていなかったら。

そんな様々なパラレルワールドを想像しながらも、

最終的には、今おかれた世界で、自分が選択してきた道でやるしかない。

でんぱ組のコンセプトに立ち返り、それを追求していくしかない。



日本社会がパラレルワールドを想像しながら、平成の終わりに微睡んでいる(まどろんでいる)なかで、

でんぱ組は、その微睡(まどろみ)から抜け出して、前に行く進むことを謳っている。

女性アイドル・グループが先陣を切るように、これだけ未来を見据えてメッセージを発信している日本って、

なんだか、とても日本らしい。

だから、新生でんぱ組の波に乗れない人たちは、もう少し微睡んでいたい人たちなんだと僕は解釈している。

日本もいつか永遠に微睡む社会になるかもしれない。

でも、それには、まだちょっと早いでしょ。