それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

劇場のイドラ

2013-03-05 21:20:41 | 日記
授業の準備をしていた。

予想もしていないほど発見があり、自分のなかに新しい感覚が出てきているような気がしていた。

それどころか、ありそうな「現実」に近づいているような気さえしていた。

けれども、僕が語ろうとしている物語を何度も精査しているうちにようやく気付いた。

世界のことなど、分かるわけがない。

また勘違いするところだった。

そんなもの分かるわけがないのだ。

いくら本を読んだって分かるわけがない。

当事者に話を聞いたって全然分からない。

しかし、そのなかでも確かな強度で残る「知」があるとすれば、それは小さいながらも拠って立つべき場所なのかもしれない。