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香港の占拠現場で見た街の表情〜4カ月にわたる抗議行動で「開花」する最先端の人間関係

2019年10月16日 | 社会・経済

imidas時事オピニオン 2019/10/15

  by 李真煕 ( ジャーナリスト)

香港は2019年6月から長いトンネルの中にいる。

 香港各地で抗議行動が続いている。中国建国70周年祝賀行事への対抗行動(10月1日)を経て、一連の行動は5カ月目に突入する。警官がデモ鎮圧のために発砲する催涙ガスが街を包み、抵抗する若者の一部は、時に暴力的に反抗する。そんな光景が日常となった。重武装した警官が記者や救急隊員を狙い、負傷させたケースもあった。実弾で撃たれた中高生らもいる。

6月以降、私は数度にわたり香港を訪れデモの現場を目撃し、人びとに話を聞き、記録してきた。特定の主催者がおらず行動の流れは掴みづらいとされてきたが、時間がたつにつれ一定のパターンが見えてきた。また、いくつかの「変化」にも気づいた。

片手にテクノロジーもう片手には、情熱

 抗議行動に参加する人びとは、フルネームの公表や顔写真を撮られることに消極的だ。一方で、思いや考えを英語、日本語を交えて外国メディアに伝えることには情熱を見せながらたくさん話してくれることが多い。別れ際には皆が口を揃えて「気をつけて(Stay safe)」と言ってくれる。

 今起きていることを全世界に知ってほしい。抗議者、市民、記者が信頼関係を保ちながら助け合おう。よい変化は少しずつ生まれるはずだ――。人びとは、強大な中国に対峙する香港という場所で、人間の可能性に懸けて行動を続けているように見える。

9月28日。雨傘運動(2014年)から5周年の節目を記念する抗議行動でのことだった。私は香港島の繁華街・銅鑼湾(Causeway Bay)の現場で地元のメディア関係者と出会い、話をしていた。彼女は私がヘルメットや防毒マスクを持っていないことを心配し、こう言った。「装備が余っているか周りに聞いてみる。あなたにあげられるかもしれない」。私は感謝を伝え、彼女と連絡先を交換して別れた。

 人びとは匿名性が高いメッセージアプリ「テレグラム」を駆使している。テレグラムはロシア人が創設したアプリで「LINE」のように連絡手段として使う。やり取りを暗号化し、秘密を保持できるのが最大の特徴だ。また、グループに登録して情報収集ツールとして活用する人も多い。グループでは管理者がリアルタイムの情報を流し、登録者らと情報共有ができる仕組みだ。香港でのグループの規模は大きいもので登録者数が20万を超える。グループのテーマはさまざまで、報道のまとめ、最前線の動きの他、英語版のグループもある。

 翌朝、テレグラムで匿名の相手からメッセージが届いた。チャットは1時間後にすべての履歴が自動的に消去される「シークレット・チャット」の設定がしてあった。「装備がほしいんだって? 友人から聞いたけど」とのメッセージに私は「もし余っていたらほしい」と返した。すると「今日の午後はどこにいる?」とやり取りが続いた。

 夕方、香港駅の近くでメッセージの送り主と落ち合った。会う直前に「あなたはどんな服装? 一人? それとも誰かと一緒?」とメッセージが来た。相手は女性で、1997年の「香港返還」後に生まれた世代だという。顔全体を覆える強化プラスチック製の防毒マスクと二つのフィルター、そしてヘルメットが入った黒い袋を私は受け取った。マスクは日本では約1万5000円で売られている製品で、香港では在庫が尽きたといわれている型番だった。

 女性は、私が出会ったメディア関係者とは直接の知り合いではないと説明した。別の友人を介して「人に装備を届けてほしい」と言われて出てきたという。「届けるかどうか直前まで迷った。でも私は悪いことをしているわけじゃないから、来た」。話し声は静かだが熱を帯びていた。香港警察はこれまでにも、マスクを持つ市民を逮捕したことがある。会ったことがない人物にマスクを届ける決心は簡単ではないだろうと私は想像した。

 混乱が続くなか、香港では海外移住を考える人が増えている。ここを出ていきたい気持ちがあるかと聞くと、女性は「香港は私が生まれ育った街。どうして私が出ていかないといけないのか」と問い返した。大切な地元をどうにかしたい。そんな純粋な気持ちが人びとの行動を後押ししていると、私は感じた。人びとの強い思いは、高度に発達した交通網や通信環境に支えられ香港中の各地で抗議行動につながっている。

ネット駆使のリアルな強さ

 北京で盛大に祝われた中国「国慶節」の10月1日。これを経て、香港の抗議の声は収まるどころか、さらに強まったように思える。

10月2日、夜10時ごろ。私は湾仔(Wan Chai)で遅めの夕食をとっていた。食堂のテレビは郊外の荃灣(Tsuen Wan)と沙田(Sha Tin)で起きている警官隊とデモ隊の衝突を中継していた。ツイッターを開くと、人びとが湾仔の隣の銅鑼湾でも集まりはじめていることが分かった。私は店を出て銅鑼湾に向かった。

 銅鑼湾のそごう前に人びとが集まり、車道を封鎖しようとしていた。車道は片側3車線で中央にトラムの線路が2本ある。車道に立っている人びとの数は2000〜3000人ほどで、人数は少しずつ増えていった。

 近くにいた若者らに声を掛け、来た理由を尋ねてみた。ある大学生らは「インターネット掲示板『連登』を見て抗議行動に参加しに来た」と話した。また「近くでごはんを食べたついでに寄ってみた」という人びともいた。インターネットでリアルタイムの情報に接し、現場に駆けつけるパターンが定着している。

 抗議を通じて今一番求めていることを聞くと「香港警察の解散だ」と返ってきた。信頼できない「非人道的」な現在の香港警察は一度解体されて再編成されるべきだ、との意見だった。一連の抗議行動について、ある学生は「民主主義のために動いている」と話し、他の学生は「自由のための戦いだ」と表現した。

 私が2日夜に銅鑼湾のそごう前で目撃したのは、今の香港を象徴する典型的な占拠行動の一部始終だ。午後11半時ごろ、抗議者の一部が歩道に設置されていた鉄製の公共のゴミ箱を力づくで引きずりながら車道に移動し、バリケードとして片側の車線を封鎖した。「オキュパイ(Occupy)」の始まりだ。

現場には、沖縄から取材に入った大袈裟太郎氏の姿もあった。彼が2台のスマートフォンを駆使しツイッターとフェイスブックでライブ配信を始めると、多くの人が関心を示して彼の作業を覗き込んでいた。また、日本語ができる若者らは次々に「がんばって」と声を掛け、日本からの注目に感謝を伝えていた。

呼吸する香港、アップデートされる人間関係

 メディアは、デモ隊の一部を占める「勇武派」による激しい行動を大々的に報じることが多い。だが、抗議現場にいる大多数は冷静な市民や「和理非(=和平、理性、非暴力)派」と呼ばれる人びとだ。救急、消防など緊急車両が通るときは抗議を一時やめ、道を譲るなどする行動は象徴的だ。

 銅鑼湾のそごう前でも印象的な行動を見た。車道に集まる人びとが増えて混沌とするなか、バリケードのゴミ箱から出火したときのことだ。私は最初、抗議行動を目立たせるために誰かが放火したのかと思った。だがゴミ箱の近くにいた若者が「水!」と叫び、それを聞いた人びとが次々に「水!」と叫んだのを見て、自分の誤解に気づいた。バックパックからペットボトルを取り出しキャップをひねりながら何人もが各自の飲み水を持ち寄りゴミ箱前に集まった。火はすぐに消され、どこからともなく拍手が起きた。出火原因は、タバコのポイ捨てだったようだ。

 もう一方の車線もいつの間にか封鎖されていた。工事区域で使う柵などを倒し、簡単なバリケードが作られていた。

 バスや車は、バリケード前でUターンを余儀なくされていた。腕を回して誘導する若者の姿があった。不便を強いられて不満を示す車両はほとんどなかった。逆に、リズミカルにクラクションを鳴らして占拠行動を応援する車両を、何度か目にした。

中年の女性が、大声で話しながらオキュパイの現場に現れた。抗議者と野次馬が彼女を囲んで輪となり、耳を傾けていた。女性が訴えたのは「家庭の分断」だった。抗議行動に参加する子のことで自ら命を絶ちたいほどに悩み、苦しんでいる。「抗議をやめてほしい」という内容だった。

 家庭の分断は深刻な状況にある、と抗議者が教えてくれた。親が反対しても抗議行動に参加し続けたい中高生は多い。彼らは安全装備を買う資金がなく、重装備の警官隊を前に現場で危険にさらされる。また、移動や外食の小銭も十分に持たず、家に帰れない若者もいるという。テレグラムには、そんな彼らを資金面でオンラインから支援したいと申し出る「里親」らのグループもあるという。

 新しいテクノロジーと人びとの日常生活が密接に調和している。革新的な人間関係が次々と生まれている。私には香港が呼吸をし、新陳代謝をしているように感じられた。

地元をないがしろにして暴走する権力。連携する人びと

 銅羅湾そごう前で占拠行動の現場を包んでいたのは、休日の歩行者天国のような平和な空気だった。日付が変わり3日の深夜1時すぎになると、数人の若者が車線やトラムの線路をスタートラインに見立てて徒競走や幅跳びをして遊びはじめた。

 晴れていたが、雨傘を持つグループもいた。雨傘を持ち歩く理由は主に二つだ。一つは、警察隊がゴム弾などを発砲してくるときに身を守る盾として使うため。もう一つは、バリケードを作ったりする際に使う。街の監視カメラやメディアに撮られて身元が割れるのを避けるためだ。

 午前1時半ごろ、乗用車がバリケードに横付けして停車した。窓を開け車内から運転者の女性が抗議者らに向けて何かを叫んでいた。内容は「九龍方面に向かいたい人がいれば送っていく」というものだった。メッセージはすぐに共有され、何人かが車に向かった。

 抗議する若者の力になりたいという運転者を、私は別の日にも見た。普段は何をしているのかと聞くと、運転者は「自分は退職者。自主的にこういうことをしている」と言って笑った。実際に車に乗せてもらおうとする若者らに、誘拐などトラブルの心配はないのかと聞いた。彼らは首を横に振った。私が「日本では考えられないことだ」と驚くと、「正直に言うと私も驚いている。こんな連携が生まれるなんて想像していなかった」と返ってきた。

 目まぐるしい速度で続々と何かが起きている。当事者さえもがその変化を整理しきれずにいる。人びとは次々に誕生する新しいコミュニケーションを頭で理解できずとも、身を任せ、楽しんでいる。その根底には、とても大きな信念の共有があるのかもしれないと私は思った。

午前2時前。私は独特の雰囲気を持つ男性二人組に広東語で話し掛けられた。一人は真っ白なワイシャツを身につけ、もう一人はハンチング帽をかぶっていた。広東語ができないと私が言うと、男性らは流暢な英語に切り替た。世間話をしたあとで「所属メディア」を問われた。彼らは私以外にも記者を探し、話し掛けていた。潜入警察官のような言動だった。

 午前2時すぎ。突然、遠くから高いエンジン音が聞こえ、1台のバイクが見えた。衝突しそうなほど猛スピードでバリケードに迫るとあざやかなUターンをして、走り去っていった。運転手のヘルメットには小型カメラが付いていた。

 バイクに続き、隊列を組んだ20台ほどの警察車両がサイレンを鳴らして押し寄せ、100〜200人の武装警察官が一斉に飛び出してきた。警官隊は簡素なバリケードを素早く撤去し、警棒で盾を叩きながら爆音を出して抗議者らを威嚇(いかく)した。抗議者らは一目散に逃げ出し無数にある路地へと姿を消した。

 一瞬で空っぽになった占拠現場には私の他に数組の記者が取り残されてただけだった。抗議者は誰も残っていなかったが、警官隊は夜の闇に向かい何かを大声で叫びながら500メートルほど先の十字路まで一気に駆け抜けた。メディアのカメラに向けて、自らの威圧感を宣伝するための行動にもみえた。

 ゆるやかな始まりからおよそ4時間続いたオキュパイが終わった。

 香港で続く抗議行動は、地元ではなく北京を優先する香港政府と暴走する香港警察に対する民衆の蜂起のように見える。6月に「警察の暴力に関する独立調査委員会の設置」を求めていた抗議は「香港警察の解体」を求める声へと変わっている。

権力と民衆の攻防が猛スピードで展開するなか、若い世代を中心にコミュニケーションのあり方が進化している。抗議行動は、最先端のテクノロジーを生活に活かす工夫と地元を思う強い気持ちにも支えられている。中国とどう向き合うか、また、同じ時代を生きる隣人をいかに信じ、助け合えるか――。香港がそう問いかけているように私は感じた。


もうやめようか?

ミニトマト、赤くならない。
konoburogukaiteiruto nyuuryokugamamanaranai.
このぶろぐかいていると  にゅうりょくがままならない

hiragananinaranai.iromadetuiteiru.
ひらがなにならない

hokano wa-doya ekuserunihamonndainai.
ほかのワードや   エクセルにはもんだいない

jinoookisamadekawatta.[wo]tonyuuryokusitemo[o]toderu.
じのおおきさまでかわった [wo]と入力しても「お」とでる 

iromade kattenikawaru
色まで  勝手に変わる

hen! henda! hendayo! henndesu!

変・・・・・・・・・・・・・・!

オカワカメ(雲南百薬)

おや、なおった!

 

 

 

 



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