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香山リカ「常識を疑え!」5Gの普及が推し進める「日本人・総受け身化」の予感

2019年10月29日 | 社会・経済

   2019/10/28 香山リカ (精神科医・立教大学現代心理学部教授)

   先日、中国のIT企業ByteDance(バイトダンス)社(北京字節跳動科技)で働く、若い中国人女性のトークイベントに出かけた。日本で大学を出て商社で働いた経験もある彼女のSNSでの発信に、以前から注目していたからだ。

 そこで話された「中国のハイテク産業のいまとこれから」については近々、書籍化されるそうなのでまた改めて取り上げるとして、彼女の言葉で印象に残ったものをひとつだけ記しておこう。

「中国のいまを見ると、日本の1年後、1年半後がわかると思いますよ!」

 つまり、中国はハイテク技術やその普及においては、日本の1年先、1年半先を行っている、という意味だ。これはどういうことなのか。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 その話の前に、彼女が働く中国の企業ByteDance社について、簡単に説明しておこう。ByteDance社は、日本ではTikTok(ティックトック)という名で知られる短尺の動画投稿アプリを提供している会社だ。TikTokには世界版(日本版もこれに含まれる)と中国国内版があるが、世界版はアプリ頒布のアップルストアでダウンロード数1位を記録するなど、メジャーなサービスになりつつある。

 しかし何といってもすさまじいのは中国国内版で、毎日必ずアクセスするデイリーアクティブユーザーは2.5億人超え、その1日の利用時間の平均は40分だという。つまり、日本の人口の2倍以上の数の人びとが、来る日も来る日も40分ずつ、一般人や企業が投稿した短い動画を見ているのだ。

 では、その内容はどんなものなのか。中国版アプリをダウンロードしてのぞいてみると、まず目につくのが一般の人たちが投稿した“おもしろ動画”だ。赤ちゃんとネコがたわむれていたり、お年寄りがちょっとしたイタズラをしたり、言葉なしでもクスッと笑ってしまうような動画があふれている。ほかには簡単な料理の作り方やスニーカーの汚れを取る方法など、生活に役立つ豆知識も多い。かと思うと、中国共産党青年団が勇壮なマーチを演奏する動画や小学生のための漢詩の朗読といったまじめなコンテンツもある。

 TikTokの特徴は、AIが徹底的にユーザーの嗜好性を分析し、次々におすすめ動画を流してくることだ。こちらから見たい動画の種類を検索ウィンドウに打ち込むこともほとんどなく、「そうそう、こういうのがもっと見たかったの。どうしてわかるの?」というような動画が勝手に流れる。中には「これは違うな」というものもあるので、その場合はスキップする。するとますます自分の嗜好性が正確にデータ化されることになる。

 そうやって流れてくる動画を見ていると、たしかにあっという間に10分、20分と時間が経過する。たとえば漢詩の朗読動画を見ていて「この言葉の意味、もっと深く知りたいな」と思っても、次に屋台ですごいスピードでシュウマイを作るおばあさんの動画が始まれば、それに目が釘付けになる。それがどこの地域のどういう特徴を持つシュウマイなのか、そのおばあさんはどんな人生を歩んできたのかは、30秒ほどの動画ではまったくわからない。ただ「うわ、すごい。1分に20個はシュウマイ作ってるよ」と、目の前の“できごと”に驚くだけなのだ。

 画像として目に飛び込んでくる“いまのできごと”が、関心のすべてになる。そのうち「この人のこれまで」とか「このことの背景」に対する興味が、どんどん薄れてくるのを感じる。この感覚は、TikTokを毎日使う2.5億人以上の中国の人にも広がっているだろう。

 中国はいま、国をあげて5G(第5世代移動通信システム)の普及に取り組んでおり、かなり多くの人たちがスマホを5G対応機に替えているという。そうなると人びとはさらに気軽に、動画を見たり発信したりできるようになっていくのは間違いない。

 日本では、NTTドコモなどが2020年中の国内の5Gサービス開始を目指している。対応機種が売り出され、一般のユーザーが使い出すのはさらに後。そうなると、中国ですでに始まっている5G時代、動画中心時代が日本にやってくるのは、たしかにこれから1年後か1年半後、場合によってはもっと後になるだろう。

これが冒頭で紹介した中国人女性の言葉の意味である。

 そしてそれは、システムだけではなく人びとの意識も現在の中国と同じようになることを意味しているのかもしれない。つまり、日本でも「やり取りの基本は動画」になり、画面に映る「いま起きているできごと」に人びとの関心が集中し、一方でそこに至る経緯、背景などへの関心がどんどん希薄になる可能性がある、ということである。さらに、TikTokのようなAIによるリコメンド機能がいま以上に普及すれば、ユーザーは何かを自分で探すことさえしなくなり、自分の嗜好性を分析して送られてくるコンテンツをひたすら受け入れるだけになるのではないか、とも予測できる。

 しかし、そういった中国の現状を知った日本の人たちが、「それは問題だ。文字の文化は守らなければならないし、“いまここでのできごと”を語る上でも、経緯や文脈や背景、ひとことでいえば『歴史』を忘れることがあってはならない」といくら警鐘を鳴らしたところで、「では、日本では5Gを導入し、普及させるのはやめましょう」という選択がなされることはないだろう。中国に1年半遅れながら、日本でも爆発的な「動画化」、「脱文字化」、「受け身化」が起きることは、もう不可避だと言ってもよい。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 いや、すでにその動きは始まっているのかもしれない。日本ははっきりと変化しつつあるのだ。

 この夏はそのことを考えさせられた。

 直接のきっかけはふたつある。ひとつは社会的なことで、もうひとつは個人的なことだ。「社会的なこと」とは、3年に1度の国際芸術祭、あいちトリエンナーレの企画展のひとつである「表現の不自由展・その後」が、81日の開幕からわずか3日で脅迫を含めた抗議の殺到により展示中止に追い込まれたことだった。展示は108日に再開されたが、75日間の会期中、展示が行われたのはわずか10日間という異例の事態となった。

 この問題は多くのメディアで取り上げられてきたのでここでは詳述しないが、展示中止を余儀なくされるほどの脅迫、抗議が集中した作品のひとつは、韓国で「平和の少女像」と呼ばれる、チマチョゴリ姿で肩に小鳥をとめた少女がベンチに腰かけている彫像だ。もともとこの像は、韓国・ソウルで毎週、行われている、旧日本軍による従軍慰安婦問題の解決を訴える集会が1000回を迎えたのを記念して作られたものだが、その後、世界の都市で同じ姿の像を設置する動きが広まった。

日本政府は、韓国が朴槿恵政権時代にあった201512月に日韓合意に至り、従軍慰安婦の問題に関しては「最終的かつ不可逆的な解決」を確認したという立場だ。しかしこの合意についてはその後、「元慰安婦の声が反映されていない」など韓国国内から不満の声が上がり、両国間の関係に影を落としている。

 また、もし政治問題として「最終解決」がすんだとしても、旧日本軍が戦時性暴力を働いたという歴史的事実が消えてなくなるわけではない。将来的にこのような悲惨な事態の再発を防ぐためにも、「語り継いでいく」という営みは必要だろう。もちろん、それは日本にとっては耳の痛い話ではあるが、加害側が“見ない、聞かない”という態度でいっさいを“なかったこと”にするわけにはいかないのだ。

「表現の不自由展・その後」では、その「平和の少女像」の展示とともに、たとえば「元慰安婦の方々によるスピーチ」といった、より政治的なアクションが行われる予定はなかった。あくまで、ひとつの芸術作品として作られた少女の彫像が、過剰な政治的意味の中に置かれてさまざまに解釈されてしまうことじたいを鑑賞者に考えさせる、というのが展示の目的であったと思われる。

しかし、ふたを開ければその展示そのものがあまりにも過剰な反応を呼び起こし、「ガソリン携行缶持って館にお邪魔する」といった脅迫までが主催者サイドに押し寄せることになったのであった。そこで示されたのは、「いささかでも負の歴史にかかわるものはいっさい見たくない、知りたくない」という強い「歴史の拒否」の意思であるように思った。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 この「歴史の拒否」の流れの源流にはもうひとつ、いわゆる「徴用工問題」がある。これがふたつめのきっかけである、「個人的なこと」と関係している。

 20181030日、韓国の最高裁にあたる大法院が、現在の新日鉄住金に対して、元徴用工の原告4人にひとりあたり1億ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じる判決を下した。

 戦時中、当時、植民地支配をしていた朝鮮半島から強制連行してきた人たちを重労働に従事させた徴用工問題についても、先の従軍慰安婦問題同様、日本政府は1965年の日韓請求権協定で「解決済み」としている。しかし、国家間の協定とは別に元徴用工個人の請求権は残っているという考え方があり、この訴訟でもそれが問われたのだ。

 韓国・大法院の判決に日本政府は異議を申し立てたが、韓国政府は三権分立の原則に基づき「司法の判断には介入できない」との立場を主張し続けた。その後、日本政府は20195月から韓国に「第三国を含めた仲裁委員会を開催するように」と求めているが、韓国側は受け入れなかった。それを受けて経済産業省は同年71日に「大韓民国向け輸出管理の運用の見直しについて」という文章を発表し、「日韓間の信頼関係が著しく損なわれたと言わざるを得ない状況」とし、これまで輸出管理上の「ホワイト国」として韓国に適用してきた優遇措置を取りやめる、といった強硬手段に出ることにした。それが閣議決定されたのが、あいちトリエンナーレ開幕翌日の82日だったのだ。「少女像は韓国が日本を非難するためのものだ」と恫喝や脅迫の電話が押し寄せた背景には、これら一連の事態による日韓関係の悪化も大きく影響しているだろう。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 そのあと徴用工問題についてもSNSでは引き続き、激しく意見が交わされた。私は小説家の故・渡辺淳一氏が「幼い頃、北海道では強制連行されてきて重労働を強いられていた朝鮮人がひどい扱いを受けていた」といった内容をエッセイなどで繰り返し書いていたことに触れながら、渡辺氏と同世代の亡父も似たような話をしていたことを96日にツイッターで紹介した。全文を紹介しよう。

「釧路で育った私の亡き父もです。子どもながら、徴用工が虐待されるところを見て『なぜあんな目にあわされてるのか』とショックだったと。晩年までずっと『あの人たちが怒るのは無理もない。到底許すことなんてできないだろう』と言ってました。」(1

 ツイッターの140文字という字数制限もあり、細かいところまではもちろん述べることはできなかった。ただ、昭和のはじめ、北海道のいくつかの町で子ども時代をすごして最終的には釧路市に落ち着いた父親が、建設工事に携わっていた朝鮮人が食べるものも満足に与えられずやせ細っているのを見た、と何度か語っていたのは事実だ。「徴用工という人たちが」と言っていたが、昭和3年生まれの父親が少年だった当時から「戦時徴用」「徴用工」という言い方で朝鮮人労働者のことを理解していたのか、あとになってからその単語を知ったのかはわからない。

 私のそのツイートにはすぐに「それは本当なのか」「徴用工は高給取りだったはず」といったリプライがついたのだが、ツイートの2日後、98日から非難、攻撃のリプライの数はケタ違いに増えた。

「なにが起きたのか」とちょっと調べてみると、その日、前掲した私のツイートをウェブ版の「デイリースポーツ」が取り上げ、記事にしていることがわかった。私には取材依頼もなかった。

 それじたいは、「香山リカ氏 亡き父が徴用工の虐待現場を目撃」というタイトルで、私のツイートの内容をそのまま伝えるだけで、それ以上、何の情報もつけ加えられていない記事であった。記者の主観めいたものも加えられておらず、一見すると「なぜいまこれを記事にする価値があるのか」と不思議に思うようなものであった。

 しかし、この記事は多くの人が目にする「ヤフーニュース」に転載された。そしてその直後からコメント欄が荒れはじめ、「ウソはやめろ」「死人に口なし」「親子そろってウソつき」「今ごろ言い出すあと出しジャンケン」といった言葉が、私が見た時点で5000件以上、並んでいた。ツイッターへのリプライは、その一部であったのだ。

 ひとつひとつ言い返してもキリがないが、繰り返すように父の発言はウソではない。父はとても寡黙な人であったが、このことは何度か口にしていた。そして私は、実はこの話題を数年前にエッセイに書いたこともあり、決して「あと出しジャンケン」などではない。

 そのうち、ツイッターでは「香山父子のウソ」の“証拠”として、こういうことを言い出す人が現れた。

「ソレに加えて香山りか父がいた釧路だが、釧路の炭鉱に徴用工がいるはず無いんだなぁ 徴用が始まる19449月以前の、19448月には釧路周辺の炭鉱は、休山、休絋してるんだな」(2

 徴用工や「戦時徴用」が正式に始まる前にもほとんど徴用という形で日本に連れてこられた中国人、朝鮮人が働かされていたのは、炭鉱とは限らない。たとえば「散歩の変人」というブログでも、釧路近郊の門静(もんしず)というところで彼らが石切り作業に強制的に従事させられ、命を落とした人も少なくないことが資料をもとに述べられている(https://sabasaba13.exblog.jp/23969008/)。これはツイッターである人が教えてくれたものだ。

また、作家の中沢けいさんは、99日にツイッターの連続投稿で私を擁護してくれ、さらにいま起きている「記憶の消滅」という事態の深刻さを次のように憂えた。ひとつにまとめる形で紹介させてもらおう。

「たいへんありふれた話で、香山さんくらいの年代より上なら聞いたことがある人は大勢いるはずの話だ。それがなんで『作り話』だの『医者にみてもらえ』だのって騒動になるなんて。ネトウヨってそういうもんだと知ってはいても唖然とする。

 赤坂真理さんと話をする機会があった。80年代に記憶が消えているという話。80年代後半、昭和から平成へ移るバブルの頃、もう昔の話はしてくれるなという社会的な雰囲気が濃厚だったことを記憶している。悲惨な話や苦労話は聞きたくないという雰囲気。

85年に母が亡くなった。亡くなったあとの葬式などで、自然と古い話が出そうなものだけど、それが忌避されているのをひしひしと感じたから鮮明な記憶になっている。『もう時代が違うから』という理由で。そのあたりの断絶が現在の奇怪な風景を生み出しているのかしら。」(3)(4)(5

 しかしその後も、「ウソつき」といった非難は止まず、私は「これは父の独白だけにとどまる話ではない」と示すために、910日に次のようなツイートをした。

「朝鮮人徴用工は、炭鉱以外でも港湾、軍需工場、土木や発電関連などさまざまな現場で過酷な労働に従事してきました。

北海道各地(炭鉱以外)には強制連行された朝鮮人労働者の慰霊碑もあります。

私や私の父はウソつきだ!と言うなら、せめてこのどちらかを読んでからにしてもらえませんかね…」(6

 そこで書影を貼って紹介したのは、外村大(とのむら・まさる)東京大学教授の『朝鮮人強制連行』(岩波新書、2012)と山田昭次・立教大学名誉教授らの『朝鮮人戦時労働動員』(岩波書店、2005)である。いずれも現存する資料や生存者の証言に基づく、むしろ中立的な論集である。

 その2冊を紹介すると、次のような肯定的なリプライも寄せられた。

「本当そうですよね。香山リカさんの言う通りだと思います。自分の実家も朱鞠内が近いから徴用工の悲惨な話をよく聞いております。あと沼田町の通称明日萌駅こと恵比島駅からまっすぐ北上したダムに沈んだ昔の炭鉱跡も徴用工の悲惨な話を聞いております。」(7

 しかし、それらよりも私の目を強くひいたのは、次のリプライだった。

「書籍って証拠としては弱いんだよね(-.-)

ある意味Twitterと同じで、書きたいこと書けるし捏造も簡単だからね。

『当時の物証』が効果的なんだけどな…」(8

 もちろん、岩波書店の本だから正しい、東大教授などの肩書きがある人の本だから間違いない、と言うつもりはない。しかし、この3行の中にある「書籍は証拠として弱い」「ツイッターと同じで捏造も簡単」「物証のほうが効果的」という主張に、これまで自分が学生時代から、医師になった後もずっと学んできたこと、大学教員として教えてきたこと、書き手として書いてきたこと、すべてが無意味だと言われたような気がして、文字通り頭が真っ白になった。

 私が茫然として言葉を失っていると、別の人が問いかけてくれた。

「で、キミは読んだんか?」(9

 すると、その善意ある人の問いに対する答えが、さらに私への打撃のダメ押しとなったのであった。

「時間は有意義に使う主義」(10

 ほかに、書籍を紹介したことで激しく怒り出す人もいた。

「そこまで言うなら口だけじゃなく証拠を見せろ。自分で全容は不明と書いておきながら、あたかも真実のように公言するって事は自分で言った事に対する証拠を持っていて言っているんだろ?何もないのに『ありました』、そんな寝言をどこの誰が信用するんだ?『ひどい扱い』とやらの証拠を見せなさい。」(11

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 歴史や記憶の消却や忘却。書籍など文字への圧倒的な不信感。

 なにも5Gの普及を待たなくても、日本ではすでに「目に見えるできごとにしか興味がない。歴史なんてウソかもしれない。文章、本、文字なんて読みたくもないし信じられない」という変化が起きているのではないか。いや、起きているというより、一部ではもうすっかり定着してしまったのではないだろうか。

 そしてこういう状況の中で、さらに「動画化」、「脱文字化」が進み、主体的に何かを調べようとはせずに、AIが勧めるものだけをひたすら受け入れる「受け身化」が進んだら、どんなことが起きるのか。

 せめて5Gが普及するまでのあいだに、正しい歴史教育の必要性や文字による知識の重要性を訴えるなど、「今だからまだできること」をしておいた方がよいのか。それとももう遅いのか。

 しかし、冒頭で紹介した中国人女性の言葉が本当なら、日本にはまだ「1年半の猶予」があるらしい。だとしたら、それをどう使うか。そこに日本のすべての命運がかかっていると思う。


  恐ろしい時代になったものだ。
北海道では、戦前・戦中「タコ部屋」「タコ労働」が存在したことは事実である。「徴用工」などときれいな言葉ではなく、「タコ」だったのだ。今も遺骨の発掘、調査などが行われている。



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