Imidas連載コラム2019/10/02
雨宮処凛 (作家、活動家)
「東京医科大学で女性受験生の減点が行われていた、そのニュースを見た時の衝撃や絶望は今でも鮮明におぼえています。その時は、まさか自分が巻き込まれているとは思っていませんでしたが、それでもそのニュースがあってから、数日は勉強が手に付きませんでした」
「そんな不安定な数日を過ごしている中、支援者の方々、一般の方々が東京医科大学の前で抗議してくれたことを知った時は、恥ずかしながら自習室で泣いてしまいました。私たち受験生の怒りや絶望を言語化してくれたことが、とても嬉しかったのだと思います」
2019年9月6日13時すぎ。東京地裁510法廷にて、その女性は落ち着いた声で述べた。
法廷の真ん中で意見陳述をしている女性は、Aさん。女子受験者への一律減点など不正入試が行われていた東京医科大学、昭和大学、順天堂大学を訴えた受験者である。
昨年、複数の医大を受験した彼女のもとには、すべての大学から不合格の通知が届いた。しかし、医大における不正入試の問題が続々と報道されたのち、彼女のもとには東京医科大学、昭和大学から本来であれば合格していたという連絡、また順天堂大学については、一次試験に合格していたという連絡がもたらされたのである。
女子受験者が一律減点されていたという東京医大不正入試問題が報道されたのは、18年8月2日。女性は出産、子育てなどで現場を離れることが多い、激務に耐えられないなどの理由から、長年、女子合格者を3割以下におさえる操作が行われていたというのだ。
その翌日の8月3日、この報道に「黙っていられない」と100人ほどが東京医大前に集まった。急遽開催された抗議アクションを呼びかけたのは、作家の北原みのりさんなど。参加した女性たちは「下駄を脱がせろ」「女性差別を許さない」などのプラカードを掲げ、多くの女性たちが涙ながらにスピーチした。
「なぜ、女というだけでこれほど理不尽な扱いを受けなければいけないのか」
この日、集まった女性たちが口にした言葉だ。私も「黙っていられない」という思いから医大前に駆けつけた一人だ。この日のアクションについては、本連載「東京医大の減点問題と、母」でも書いたので、ぜひ読んでほしい。
「でも、やっぱり女性は妊娠、出産とかするし、医者には向かないんじゃない?」という人もいるかもしれない。そんな人には世界の実情をお伝えしよう。OECD諸国平均で女性医師の割合は4割。比較して日本は2割。ただ単に、日本は他国のように女性医師が働き続ける環境を整えていないだけなのである。
それでも「女子一律減点は仕方ない」という人に問いたい。
あなたが「男だから」とか「〇〇県出身だから」とか「乙女座だから」などという、自分ではいかんともしがたい理由で「はい、一律減点ね」と言われたとしたら。しかもその大学に入るために何年間も、寝る間も惜しんで努力をしてきた果てに、である。「ああそうですか、仕方ないですね」と引きさがれるだろうか。「女子一律減点」とは、こういうことである。
東京医科大学の不正入試が8月初めに報じられると、昭和大学、順天堂大学など他の医大でも同様の不正が行われていたことが発覚した。そんな騒動後、Aさんは3大学から「実は合格してました」という連絡を受けたわけである。そうして彼女は東京医科大学、昭和大学、順天堂大学の提訴に踏み切った。
この日行われた意見陳述で、彼女は提訴へ至る経緯を述べた。
医療系大学を卒業後、数年間は医療機関で働いてきたこと。学生時代に経験した父の急死や、医療機関で働く中で医師になりたいという思いが強まり、医学部再受験を決意したこと。2年の計画で受験勉強をし、1年目は国公立のみを受験し、不合格。そうして2年目、東京医科大学、昭和大学、順天堂大学を含む5校を受験したこと。
その結果、すべて不合格(本当は受かっていた大学もあったのだが)。
諦めるか、もう一度受験するか。貯金も尽き始めた中、そんな二択の岐路に立たされ、Aさんはもう一度受験することを決め、勉強に打ち込んだ。
そうして3度目の挑戦に向けた受験勉強の最中に発覚したのが、東京医科大学の裏口入学問題。便宜を図った見返りとして、文部科学省の官僚の息子が不正に同大へ入学した問題である。その報道をきっかけとして、女子受験者や多浪生への一律減点が次々と明らかになり、また、他の医大でも同様のことが行われていることが発覚していった。
まさにそれらの大学に入ろうとして、2年以上もの間、受験勉強を続けていたAさんにとってこのニュースはどれほどの衝撃だったろう。
「今こんなに頑張っていても、私が女性であり再受験者であるから、きちんと評価をしてもらえず、医学部に合格することなんてできないんじゃないかと、そんなことを思いました」
Aさんは意見陳述でこう述べている。
そこに飛び込んできた、多くの女性たちが医大前に集まり、抗議したという情報。Aさんはさっそく支援者と連絡を取ったという。が、この段階では真の合否は分からない。自分の力不足で落ちたのでは? と言われてしまえばそれまでだ。
しかし、そんなAさんのもとに18年11月、東京医科大学から「入学意向確認書」が届く。合格していたのだ。続いて12月には順天堂大学より、本来一次試験に合格していたこと、19年1月には昭和大学で一般入試II期において本来なら繰り上げ合格だったことを知らされる。結果として、5校受験したうちの3校で不正入試に巻き込まれていたのだ。
私がこの日の裁判を傍聴していて驚いたのは、その後の大学の対応だ。
あれほどメディアで騒がれ、多くの批判が集まった「事件」である。丁重な謝罪がなされ、また精神的苦痛や、しなくてもいい受験勉強に多くの時間を割いたことについての補償も手厚くされたのではないかとばかり思っていた。しかし、Aさんの語った事実に愕然とした。
まず東京医科大学。第三者委員会の報告書を公表し、不正入試が起きた経緯などの書類が届いたという。成績開示もされ、その結果、Aさんは合格基準を「結構、上回る得点」だったことも判明。補償に関しての聞き取りもあったが、提示されたのは実費のみ。
順天堂大学については、書面や対面などではなく電話で「実は一次試験に合格していた」ことが伝えられ、また補償として受験料の6万円のみ返還すると言われたという。一次試験が受かっているなら二次試験の機会が欲しいと伝えると、それはできない、今年も一次試験から受験してほしいと言われ、19年1月に6万円だけが振り込まれ、それっきり――って、なんか新手の詐欺みたいだ。
昭和大学も、やはり電話をかけてきたという。入学のための手続きの話をされ、辞退するなら受験料だけ返還すると言われたという。結局辞退すると、19年2月に6万円が振り込まれ、やはりそれっきり。
その昭和大学については第三者委員会の報告書も公表せず、どういう経緯でAさんが落とされたのか、説明すらないままだという。
これらの多くが、受験直前や受験が始まっている最中に対応を迫られたのだ。
東京医科大学から、実は合格していたと知らされた時のことを、Aさんは以下のように語った。
「入学意向確認書が届いた時、自分も不正に落とされていたのだという絶望感をさらに味わいました。2年目の受験が終わった時に絶望し、苦しみ、それでも受験を続けていたこの1年間はなんだったのかと」
「不正入試が明らかになり判明したのは、私の学力や医師になる資質が不十分だったからというのではなく、私が女性でかつ18、19歳の受験生ではなく、親族に医師がいなかったから、という理由で不合格にされたのだということです」
「手元に合格通知が届いた時も、喉から手が出るほど欲しかったものなのに、正直、あまり嬉しくありませんでした」
「各大学からの答弁書も届き始めていますが、私たちは悪いことをしていたという認識はないけれど、指摘されてしまったから仕方なく、という姿勢にはまったく誠意が感じられません」
そうして意見陳述の最後、彼女は提訴した理由を述べた。
「1年間という時間をムダにし、本来必要のないお金もかかり、医師になるのが1年遅れたにも関わらず、その補償が実費だけ、受験料の返還だけ、というあまりに不十分で不誠実な対応をされたから」
「2点目として、今後、不正入試を起こさないための再発防止対策が不十分であるということです。いまだに第三者委員会の報告書を出していない昭和大学、最終報告を出していない順天堂大学にはきちんと報告書を公表、再発防止対策を提示して頂きたいと思っています」
裁判の後、Aさんと初めて話した。名刺を渡すと私の名前を見て、抗議に行ったことを知ってくれていた。
「ありがとうございます」という彼女の言葉に、デモとかに行ったことで誰かにお礼を言われたのって初めてかもしれない、と思った。逆にいつも、「うるさい」とか「そんな暇あったら働け」とか、見知らぬ人に罵倒ばかりされている。最近はそこに「日本人じゃないだろ」というヘイトまで加わる。
だけどあの日、「他人事じゃない」と思った女性たちが医大前に駆けつけた。それが報じられ、Aさんにちゃんと届いたことが、心から、嬉しかった。そうか、ちゃんと嫌なことに嫌と声を上げていたら、当事者に伝わるんだ。そうしてそれが、裁判につながった。
意見陳述を、「とても緊張しました」と笑うAさんは今、3大学とは別の医大生だという。今はまだ出会ってなくても、私たちはつながってるし、支え合っている。
そうしてこの裁判から約1週間後、嬉しい報道を目にした。 Aさんの裁判でも「いつ出すのか」が問われていた「昭和大学の第三者委員会の調査報告書」がホームページで公表されたのだ。報告書は、「一部の繰り上げ合格者の男女比に『合理的理由を見いだすことができない』差があるとし、女性差別があった可能性を指摘した」(朝日新聞、19年9月14日朝刊)。
東京医大前のアクションから、一年。事態は確実に動いている。
栗が樹上ではじけています。(ピンボケ)
トタン屋根のペンキ塗り、一番厄介なところ今日終わりました。あとは傾斜の緩いところなので、足場の心配は…。でも細心の注意です。明日、70歳になっちゃいます。