わたしは、経験ありません。
15年間のサラリーマン生活でも経験したことがありません。
もし経験してたら廃人になっていたかもしれません。
そんな驚くべき数字が議論になっているということ、さらに驚くのは「労働組合」の連合が認めつつあるということ、さらに電通の高橋まつりさんが過労自殺してまだ日にちが経っていないということ。安倍はまつりさんの母親に面会して2度とこのようなことが起きないようにすると約束したばかり。
いやあ、驚きです。
仕事をしたくてしたくてたまらない人もいるようですが、人間性の多面的な発達を考えるべきでしょう。映画を見たり、読書をしたり、登山をしたり、ジムに通って体力をつけたり、外国語を学んだり、仕事だけがスキルアップではないでしょう。やっかいなことに、ハイスペックな人ほど「元気」、そう、偏狭な発達だった。
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
「残業規制100時間」で過労死合法化へ進む日本
河合 薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.)
東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。産業ストレスやポジティブ心理学など、健康生成論の視点から調査研究を進めている。働く人々のインタビューをフィールドワークとし、その数は600人に迫る。
全くもってワケがわからない。
意味不明。イミフだ。
これは「日本という病」?あるいは「経営者という病」というべきか。
しかも、感度が低い。なんなんでしょ。この感度の低さ。
元・電通社員、高橋まつりさんが自殺に追い込まれた際に、
「月当たり残業時間が100時間を超えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」
と某大学教授がコメントし、世の中の人はいっせいに批判した(当人は、高橋さんの事件が報じられた同じ日に公表された過労死白書に対するコメントだったとしている)。
「過労自殺した女性を『情けない』と吐き捨てた」
「こういう人たちが労災被害者を生み出している」
「死者にむち打つ発言だ」と。
そのとおり。こういう人たちが「労災被害者」を生み出しているのだ。
というのにどういうわけか、“今”「好きで長時間働いてなぜ悪い」「残業を規制するのはおかしい」という意見があちらこちらに飛びかっている。なるほど。あのときは炎上を恐れて言わなかったけど、「100時間超えたくらいで……そのとおりだよ~」と思った人たちが、かなりの数いたってことだ。
ええ、そうです。残業規制を巡る問題である。
そもそも「残業の上限を規定して罰則を設ける=働き方改革」ではない。
厚生労働省によれば、
「『働き方改革』は、一億総活躍社会の実現に向けた最大のチャレンジであり、日本の企業や暮らし方の文化を変えるもの」
とある。
長時間労働を日本の文化ととらえれば、一種の働き方改革になるのかもしれないけど、私には単なる法律上の問題としか思えない。
36協定を抜け道に残業を青天井にしてしまっている企業に、「言ってもわかんないんだったら、罰則をつけるぞ!」と言ってるだけ。
36協定はそもそも青天井ではない
だいたい、36協定はあたかも「青天井」のように言われているけど、キチンと上限はある。
「1日」「1日を超えて3カ月以内の期間」「1年」のそれぞれについて、延長することができる協定の期間により、延長可能な時間の限度が定められているのだ(労働基準法第三十六条第一項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準<労働省告示第百五十四号>)。
労働時間の延長の限度
しかしながら、この「基準」はいわゆる行政規則。法律や政令のような法的拘束力を有するものではないため、使用者の「任意の協力によって実現されるもの」(行政手続法32条)。つまり、強制できないという弱点がある。また、労使で特別条項を結んでしまえば、延長も可能。そのため、事実上青天井になってしまうというわけだ。
それがゆえに 、
「んもう~~!経営者、ちゃんとやってよ~!!」
と言ってるだけのこと。
「過労死」が後を絶たず、うつ病患者も増え続けているので、「言ってもわかなんなきゃ、お仕置きするぞ!」と。本来であれば先の表で定められた時間に関して罰則規定を追加すれば済むだけの話なのだ。
いったいどこから「100時間」なんて数字が出てきたのか?
なぜ、経営者は自分の成功体験だけに頼るのか?
なぜ、労働時間と健康、労働時間と生産性に関するエビデンスを全く注視しないのか?
なぜ、痛ましい事件のときには口をつぐんでいた人が、ここぞとばかりに「残業規制はおかしい」と反撃するのか?
前置きが長くなった。というわけで、今回は「残業規制はなぜ、必要なのか?」「なぜ、いいじゃん、好きなだけ働いて~」と言えてしまうのか? について、脳内の“突っ込み隊”と一緒に考えてみようと思う。
では、現段階で明らかになっている「時間外労働の上限をめぐる労使合意の原案」について。焦点となっているのは経団連が主張する「繁忙期月100時間案」を連合が認めるかどうかだが(3月13日夜、「上限100時間」で合意したとのニュースが流れた)、報道によれば、以下のような内容で調整が進められている。
・罰則つきの時間外労働の上限については、「月45時間、年間360時間を原則的上限とする」とする
・繁忙期など特別な事情があれば労使協定の下、年間の上限を「720時間(月平均60時間)」とし、その場合でも、「単月なら月100時間」「2カ月から6カ月間の平均80時間」までは認める
・36協定を結ぶ際には、健康確保措置や時間外労働の削減に向けた労使の自主的な努力規定を設けることを義務づける
・上限規制の在り方について、法改正から5年後に再検討することを、労働基準法の付則に明記する
・退勤から次の勤務開始までに一定の休息時間を設ける勤務間インターバル制度は、普及に向けて事業主に導入の努力義務を課すことを法律などにも明記し、労使双方を含む検討会を立ち上げる
・過労死対策については、メンタルヘルス対策などに関する新たな政府目標を検討する
・職場でのパワーハラスメント防止に向けた対策を労使を交えた場で検討する
フ~ッ……。経団連も経団連なら、連合も連合である……。
一方で、日本労働弁護団は2月28日緊急声明を発表(「時間外労働の上限規制に関する声明」)した。以下にその内容を要約する。
使用者団体が繁忙期に『月100時間』や『2カ月平均80時間』までの時間外労働を認めるよう要求し続けることは、多発する長時間労働による過労死・過労自死への反省を欠き、使用者としての責任を放棄するものであり、厳しく批判されなければならない。
労働者の命と健康を守り、生活と仕事の調和を図ることができるような労働時間の上限規制がなされるべきである。
裁判所も、月95時間分の時間外労働を義務付ける定額時間外手当の合意の効力が争われた事件(ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル事件)で、「労基法36条の規定を無意味にし、安全配慮義務に違反し、公序良俗に反するおそれさえある」としている。
また、月83時間分のみなし残業手当の効力が争われた別の事件(穂波事件)では「月83時間の残業は、36協定で定める労働時間上限の月45時間の2倍近い長時間であり、公序良俗に違反するといわざるを得ず」との判決もある。
日本医療労働組合連合会(医労連)も、
「夜勤交代制労働など業務は過重である。政府案はまさに過労死を容認するもので、断じて容認できない。月60時間が過労死ラインと主張する」
との談話を発表。
医労連は昨年の3月7日にも記者会見を開き、「(労働時間の)上限規制と、(日勤と夜勤の)インターバル規制を法制化してもらいたい」と訴えた。背景には本コラムでも以前取り上げたとおり(「灰色の“自己啓発残業”へ誘う「過剰適応」の罠)、医師や看護師の過重労働の問題がある。
残業規制の議論では一切考慮されていないが、同じ労働時間でも夜勤と日勤とでは身体にかかる負担は全く異なる。
例えば、くも膜下出血で死亡し、2008年に労災認定を受けた看護師の場合、発症前6カ月の平均時間外労働時間は「過労死ライン」と呼ばれる月80時間より短い約52時間だった。しかし、月5回ほどの夜勤の日は20時間近くの連続勤務。つまり、夜勤勤務の負担を考慮しての判決といえる。
私たちは「労働者」である前に、「人」という霊長類の動物である。1日24時間で成り立つ睡眠や心身のリズムを壊す夜勤は、身体の負担になって当たり前だ。
つい先日も、ハーバード大学などの共同研究グループが「看護師」の夜勤が心身に与える影響結果を発表した。この調査は、約7万5000人分というサンプル数の多さに加え、1988年から2010年まで22年間も縦断的に行われたもので、信頼性が極めて高い。
分析の結果、1988年から2010年の22年間に、対象者のうち約1万4000人が亡くなり、うち約3000人は心臓や血管の病気、約5400人はがんだった。
交代制夜勤のある人は、全く夜勤の無い人よりも死亡率が11%高く、中でも夜勤を6~14年続けている女性は、心臓や血管の病気による死亡率が19%、15年以上続けている人は23%も高かったのである。
また、この調査では「肺がんによる死亡率が25%」高かったものの、がんと交代制夜勤との関連は確認されなかったと報告している(2007年にWHOの国際がん研究機関は「交代勤務は おそらく発がん性がある」と認定している)。
「そんなに簡単に人は死なないっつーの」
今回の“働き方改革”で、睡眠を確保するためのインターバル規制が、「事業者に努力義務を課すよう法律に明記する」方向で議論が進んでいることは実に残念。罰則付きの法制度にするくらい重要な案件なのに、なぜ財界の声は重んじるのに、医療の現場の声は軽視するのか。
しかも「100時間」の攻防に終始するとは。情けない限りだ。これは「私たち」の健康であり、「私たち」の医療費の増加にもつながる足下の問題だからこそ、科学的な分析結果に基づいて議論すべき。
国内外を含め多くの研究で長時間労働および深夜勤務と、脳血管疾患若しくは心臓疾患とは強く関連していることが明確に認められている(Liu Y, Tanaka H, The Fukuoka Heart Study Group (2002) ‵‵Overtime Work, Insufficient Sleep, and Risk of Non-fatal Acute Myocardial Infarction in Japanese Men" Occup Environ Med, 59, 447-451.)。
●睡眠不足は心身に直接的な影響を及ぼす。その境界線は「睡眠時間6時間未満」
「週労働60時間以上、睡眠6時間以上」群の心筋梗塞のリスクは1.4倍であるのに対し、
「週労働60時間未満、睡眠6時間未満」群では2.2倍
「週労働60時間以上、睡眠6時間未満」群では4.8倍
●1日の労働時間が11時間以上・睡眠時間6時間未満は超危険
「11時間超」労働群は「7~10時間」群に比べ、脳・心臓疾患を発症するリスクが2.7倍
心筋梗塞の男性患者195人と健康な男性331人を比較した調査では、「11時間超」群の方が心筋梗塞になるリスクが2.9倍。
月に20日の労働に100時間の残業と仮定したら、1日5時間の残業になる。
定時勤務が9時~17時と仮定した場合、5時間の残業だと退社は22時。通勤に片道1時間。電車の待ち合わせや着替えの時間を加味し、6時間睡眠を確保すると下記のようになる。
「自由時間」はたった1時間。そう、たった1時間だ。
人は疲れを取るために寝る。だが、寝て、食べれば疲れが取れるほど単純ではない。テレビをボーッとみたり、雑誌をパラパラめくったり、運動したり、話をしたり、心の休養も必要不可欠。おまけに「疲れは借金」と同じだ。
完全に回復しないでいると、借金のごとく利子がついて、肩凝り、頭痛、腰痛、気分の落ち込みといった症状に代表される蓄積疲労になる。蓄積疲労はうつなどのメンタル不全につながる極めてゆゆしき状態である。
それを防ぐには「休む権利」が必要であり、「休ませる法律」を整備する必要がある。
過労死基準を上回る「100時間」が争点になっているとは……、、いったいどこまで日本の経営者たちも連合も、残酷なんだ。
「エビデンスだのなんだのいうけど、所詮、確率の問題でしょ?そんなに簡単に人は死なないっつーの。だって、オレたちちゃ~んとやってきたも~~ん!」
こう考えているのだ。
やっかいなことに、ハイスペックな人ほど「元気」
過労死遺族たちの「過労死をなくそう」という活動がやっと実を結び、2014年に「過労死等防止対策推進法」が制定された。同法により義務づけられた「過労死白書」が昨年初めて発行され、奇しくもその日、高橋まつりさんの事件が報じられ、先の「過労死情けない」発言が炎上した。
そしていま「100時間を認めないと企業が立ちゆかない。現実的でない規制は足かせになる」とのたまうとは。本当にわけがわからない。過労死のリスクを容認する国っていったいナニ?
何人の命を奪えば気が済むのか?
だいたいハイスペックな人たちが「自分」を基準に考えるから、わけがわからなくなるのだよ。ハイスペックな人が経営者になり、経営者には「自由に決められる権利」があるのでハイスペックな結論になる。
しかも、やっかいなのは、ハイスペックな人ほど「元気」なこと。
ホワイト・ホール・スタディー。
「トップは長生きする」という、興味深い結果が得たこの研究は、英ロンドン大学がストレスと死亡率の関係を解明する目的で1967年から継続して行っている疫学研究である。
このときの被験者は、ロンドンの官庁街で働く約2万8000人の公務員。官庁街がホワイト・ホールと呼ばれることから、ホワイト・ホール・スタディーと称された。
「なぜ、トップは長生きなのか?」
そのメカニズムを解明するために1985年に始まったのが、冠状動脈疾患疫学の医師でもあるロンドン大学のM.マーモット教授らの第2期ホワイト・ホール・スタディー。そこで明らかになった一つのカギが、「自分の人生・暮らしを自分でコントロールすることができるかどうか」。つまり、トップが長生きする謎は、彼らが持つ「裁量権にある」としたのである。
仕事の要求度が高くても裁量権があると、「要求度=モチベーション」となる。だが、裁量権のない状態では、要求度がそのままストレスとなり、心身の不調につながっていく。
裁量権には「休む自由」も含まれるので、休みを入れたり、集中したり、と自分の都合でギアチェンジできる。だが、その自由がない一般の社員にはムリ。だいたいトップや上司の都合で、コロコロ要求を変えられる一般の社員に、残業の自由度もなにもあったもんじゃない。
おまけに「週50時間以上働くと労働生産性が下がり、63時間以上働くとむしろ仕事の成果が減る」というエビデンスを得たディスカッションペーパーも存在する(The Productivity of Working Hours .John Pencavel)。
それでも100時間。100時間にこだわる。なぜ「100時間」にこだわるのか、そのエビデンスを示して欲しいくらいだ。
企業の生産性が低下したときの、アリバイ作りか?なんて疑念すら抱きたくなる。
ハイスペックなスーパー仕事人が、60代で心筋梗塞などで突然死すると、
「好きな仕事していたのだから……。本人は幸せだったでしょ」
と家族は悲しみに折り合いをつけようとすることがある。
私の知人もそうだった。まだ、62歳。子どもが就職し、お嬢さんが結婚し、これからというときに突然亡くなった。直前までバリバリ仕事をしていたのに、亡くなった。やはり心筋梗塞だった。
「長時間労働は命を削る悪しき働き方」「休息をとったほうが効率があがる」との常識が社会に浸透していたら、家庭人としての幸せが待っていたはずなのに。
私がサラリーマンの頃
私は自分の時間が欲しくてサッサと仕事を終えて超勤なんか本当に少なかった。私は超勤の多い部署に毎回、転勤させられ私のいる間は超勤は殆ど無いが勤務交替するとすぐ超勤が多くなった。
超勤は、お金が発生する為、超勤をしたい人がゴロゴロいたし
5時から男じゃないけど仕事中はタラリタラリと仕事して
5時になったら動き出す人も多かった。
先に帰るのも・・・と思い手伝うと嫌がられた。
申しわけないけど私は本当にそれだけの超勤が必要だったのかと思う。
それに辞めればいいではないかとも思う
生活が懸かると副業もしたりして100時間の超勤ではないがそれくらい働いている人間はざらにいる。何事も他者の責任にするのは容易いが自分で解決する力が無い限り生きていくのは難しいと思うのは私だけでしょうか。
基本給だけでは生活できない、苦しい。