現在の定時制高校には、さまざまな困難を抱える生徒たちが集まっています。不登校や貧困、家庭内暴力、外国ルーツの生徒たちに立ちはだかる言葉の壁など、子どもを取り巻く社会的な諸問題が凝縮されているのです。しかし教員たちは、これらの問題に正面から向き合い、生徒たちが将来への希望を抱けるように、そして社会人として必要なものを身に着けられるように、懸命に取り組んでいます。ノンフィクションライターの黒川祥子さんが取材しました。
文化祭で輝く!
10月28日、埼玉県立川越工業高校の文化祭「工業祭」は、近隣住民や関係者など大勢の人で賑わっていた。全日制建築科の生徒による木造の門が出迎え、全日制電気科の生徒が製作した電車がお客を乗せて走るなど、工業高校ならではの見せ場がお客を惹きつける。
色とりどりの水引ストラップ。
校内の一角、3つの教室が定時制のコーナーとなっていた。「手作り工芸品販売スペース」と張り紙がされた教室では、普通科1年生がPP(ポリプロピレン)製の結束バンドで編んだペン立てやバッグ、普通科2年生はサンドブラスト加工をしたコップや、水引きを「あわじ結び」にしたストラップ、普通科4年生は木製のスプーン、フォーク、箸置きなど自分たちで作った商品をそれぞれ販売。機械類型の4年生は、鉄で作った手回しコマを販売していた。どの商品もお客の評判は上々で、行った時にはほとんどが売れ、残りわずかとなっていた。
サンドブラストによる模様が美しいガラスのコップ。
このうち、新井晋太郎教諭が担任を務める、普通科2年生が取り組んだ「水引きのストラップ」は、かなり難易度が高い作業で、完璧に製作できたのはたった二人の男子生徒だという。一人は中学まで不登校だったというが、堂々と接客をこなしており、作品の感想を伝えると晴れがましそうな笑顔が返ってきた。
普通科1年の担任、長澤和美教諭は店の奥でPPバンドを編み、作品造りに熱中していた。「売るものがなくなりそうだから、あわてて補充していた」という。女子生徒2人が接客をしていたが、「私たちが作りました!」とばかり、晴れやかな笑顔が眩しかった。
色鮮やかなPPバンドで織り上げた小物入れやボール。
軽音楽部の演奏は大いに盛り上がり、電気類型2年生は「手作りUFOキャッチャー」に設計から挑戦。機械が完成したのが展示終了ギリギリで、お客に楽しんでもらうことはできなかったが、後日、埼玉県の産業教育フェアで大好評だったという。
生徒たちの弾ける笑顔を見ていると、この子たちが中学では居場所がなかったり、学校に通うことすらできなかったり、家庭で苦しい思いを強いられてきた子どもたちなのだということが結びつかない。ちょっとシャイで明るい高校生に見える。
実は全日制の生徒たちに混じって、定時制の生徒が文化祭に参加し、お客さんと関わること自体、画期的なことだという。2年前までは製作した作品を教室内に展示しているだけだった。教員たちが大変な手間と時間を厭わずに参加を支えたのは、生徒たち一人一人の笑顔のためなのだろう。定時制の生徒であっても文化祭をやりきることで、達成感を手にし、自分たちが輝く場を持つことができる。ほとんどの生徒にとって、それらは未体験なことなのだから。
芸術的な出来栄えのろうそく。
チョコチップパンしか食べない少女
普通科1年の担任、長澤和美教諭は今春、赴任して初めて担任した生徒たちの卒業を見送った。30年ぶりに赴任した定時制には、80年代の“ツッパリ”たちとは真逆の生徒たちの姿があった。ツッパって、大人や社会に反抗する力すら持てない現在の生徒たち。卒業させた生徒は「どの子も大変だった」が、家庭崩壊のすさまじさをまざまざと見せてくれたのが石川美樹(仮名)だった。
「安いから買っているんだろうが、そんなの栄養ないぞ。まだ食パン1枚の方が、はるかに栄養価が高いんだからな」
何度口を酸っぱくして言い聞かせても、美樹の食事は袋に入ったチョコチップパンだった。1袋6本入りだが、2~3本食べれば袋を閉じる。残りは明日の分だ。川越工業定時制には栄養満点の自慢の給食があるが、月5000円という給食費が払えないため、チョコチップパン数本が1日のうちで唯一の食事だった。
川越工業高校定時制自慢の給食の献立。
美樹は入学早々、顔に青あざを作って登校した。父は日本人、母は外国人。両親から暴力を受けていた。家庭に料理をつくってくれる人は存在せず、冷蔵庫に入っている食品に手をつけると殴られるため、アルバイトができる年齢になってからは、自分のバイト代で食べるものを買うという生活をずっと送ってきた。
「美樹、足を引きずっているけど、どうした?」
最初は頑な美樹だったが、声をかければ少しずつ家の事情を話すようになった。
「親に蹴られた」
その家で暴力は日常だった。本来なら児童相談所(児相)に通告する案件だが、美樹は即座に頭を振った。
「中学の時、誰かが通報したんだよ。それで児相がうちに調査に来て、帰った後、こっぴどく殴られたんだ。だから先生、そんな中途半端なこと、絶対にやめてよね」
「わかった。ただ、おまえに何かあったら大変だから、危険な時は警察に連絡するんだぞ。児相にも言うんだ」
長澤教諭は万一のことを考えて養護教諭と相談し、美樹には言わずに児相に連絡を取ることにした。美樹の情報をとりあえず伝えて、何かあったら素早い対応をしてほしいと願い出た。
保護者面談の通知を出しても、美樹の保護者からは連絡がない。父の携帯にかけても出ず、メールにも反応しない。ところがメールを出した翌日、美樹が血相変えてやってきた。
「先生が余計なことしたから、また殴られたんだよ! 『おまえが高校なんかに行ってるから、オレが呼び出されるんだ! 高校なんかやめちまえ!』って」
父もきょうだいも中卒という家庭環境で、美樹は土下座をして定時制を受けさせてもらった。姉は中卒で、水商売で働いている。美樹は父親からいつもこう言われていた。
「おまえもさっさと高校やめて、水商売で働け!」
美樹の学校生活は落ち着きとは程遠く、何か気に入らないことがあるとわめき出す。常套句がこれだ。
「私なんかどうせ、学校やめてキャバクラに行けばいいんだから!」
自己肯定感が低く、感情のコントロールができず、ちょっとしたことでキレて衝動的な行動に出てしまう。これらは「愛着障害」に見られる特徴の一部だ。保護者との間に安心できる信頼の絆(愛着)が形成できている子どもは、たとえば自分で自分をなだめやすい。また、悪いことしかけたとしても、大事な人が悲しむと想像がつくために踏みとどまれたりする。しかし、美樹にはそれがなかった。
授業をしょっちゅう抜け出すわ、衝動的に壁を叩いて騒ぐわ、トイレにトイレットペーパーを詰め込み、水をどんどん流して水浸しにするなど、問題行動を繰り返す。その度に長澤教諭は親には伝えず、丁寧に美樹の話を聞いていった。
「こんなことしていてもしょうがないだろう。美樹、そろそろ施設に保護してもらおう」
美樹は頭を振る。
「やだ、親を捨てたくない」
赤点ばかりだったが、何とか2年に進級させた。長澤教諭には確固とした思いがあった。
「中退させたとしても、戻せる家庭がない。この子は高校をやめさせてはいけない」
自立に向けたサポート
夏休み中、美樹の両親がそれぞれ別の恋人を作って家を出た。母は祖国に戻ったという。電気、ガス、水道が料金滞納で止められ、美樹は友人宅を転々とする生活が始まった。ここで美樹は施設に行くことを承諾し、20歳まで入所可能な自立援助ホームで暮らすこととなった。これでもう、少なくとも住居と食事に困ることはない。ちょうどこの頃、美樹は老人ホームでアルバイトを始めた。
「このバイトがよかったんです。おじいさん、おばあさんに可愛がってもらえて、職員からも信頼されて、ここで美樹は、人間関係の築き方を初めて教わった」と長澤教諭は振り返る。
家庭を離れたことで美樹は落ち着き、前向きになり、3年には成績優秀者にもなった。
このころ、母が、1年ぶりに日本に戻り、美樹を手元に呼び戻そうとした。相談を受けた長澤教諭はきっぱり言った。母親が娘を利用しつくす魂胆なのは明らかだった。施設にいる間、美樹の名義で契約した携帯電話を母が海外で使い、30万円もの請求が美樹に届いたことがある。施設長が通信会社に掛け合ってくれたおかげで、支払う必要はなくなったが……。
「無視しろ。おまえのお母さんかもしれないが、最低でも自立できるようになるまでは、関わらないほうがいい。施設の場所は教えるなよ。他のきょうだいにも教えちゃだめだ」
長澤教諭が支え、美樹は正社員として就職を決めて卒業した。定時制に入学しなければどんな未来が待っていたのか、容易に想像がつく生徒だった。それとは全く違う未来を手に、美樹は巣立って行った。
体育のバドミントンで、生き生きと体を動かす女子生徒たち
長澤教諭は嘆息する。
「80年代の定時制は、子どもがやんちゃをして親に迷惑をかけていた。今は、親が子どもに迷惑をかける。親が子どもの世話をしない、子どものことを利用しようとすると言う意味で」
継父の暴力から逃れるために家出を繰り返していた小坂真人(仮名)も、そうだ。17歳で循環器系の病気になったのも、家ではろくな食事ができなかったからだ。精神を病んでいたという実母は、真人だけでなく継父との間にできた幼い弟や妹まで置いて、家を出て離婚した。
入学当初、教師を睨みつける反抗的な生徒だったが、長澤教諭が家庭訪問を繰り返し、丁寧に話を聞くうちに素直な笑顔が見られるようになった。おそらく初めて自分を認め、受け止めてくれる大人に出会ったのだ。
「4年間でガラッと変わり、素直ないい子になって卒業した」
真人は建築会社に正社員として就職、家を出た。病気のためには休養が必要だが、働かないと暮らしていけない。身体を張って生きている。
定時制で“生まれ変わる”
川越工業定時制には、中学で不登校だった子どもも数多くやってくる。小学校からひきこもっていたという、工藤裕生(仮名)もそうだった。裕生が定時制高校に入学しようと思ったのは、20代になり、ひきこもり当事者の会に参加したところ、「学校へは行った方がいい」とアドバイスを受けたからだ。
学校に行こうと思ったものの、合格できるのは定員割れとなっている夜間の定時制高校しかない。川越工業定時制も定員割れが続いており、試験を受ければほぼ合格できる。
埼玉県には昼間の定時制もあるが、人気が高く倍率も上がり、またやんちゃな生徒が多く集まる傾向がある。そういう学校では、周囲に怯える不登校経験者は穏やかに過ごせない。裕生に限らず、夜間の定時制を選んでやってくる不登校経験者は多い。中学教師が、生徒の適性に合った高校をすすめることもあるそうだ。
長澤教諭は、どうなるだろうかと、裕生を気にかけていた。小学校から20代前半までひきこもりを続けてきた生徒なのだ。学校という集団生活に果たして、なじめるのか。
「驚いたことに、彼は1日も休まずに学校に通ってきました。周りの生徒より年齢が上なので浮くこともあったけれど、コミュニケーションは取れていた。他の生徒たちも気を使って、彼の背中を押してくれました。一緒にやろうと誘えば、ちゃんとそれに乗る。ああ、こういうコミュニケーションが取れる子なんだと思いました」
裕生は、定時制で生まれ変わった。初めて学校生活に手応えを感じ、自分の居場所を見つけて卒業していった。
工業技術科の実習で使用する工具の数々。
将来に希望を持ってもらうには
定時制に赴任して2年目の新井教諭は、生徒を見ていてつくづく思う。
「自己肯定感が低い生徒や、自分の人生に希望を持っていない生徒もいます。そのような生徒と面談などで将来についての話をしても、なかなか前向きな話をすることが難しい」
新井教諭は、埼玉県が定時制高校の生徒の自立を支援する『自立支援事業』を2017年度から立ち上げたことを契機に、その予算を用いて様々な人たちに学校で、出前授業を行ってもらうことにした。
「彼らにとって人生の見本となりうる大人のロールモデルは少ないのです。僕は、人生を何よりも変えるのは、人との出会いだと思っています。生徒の身の回りにロールモデルとなる人がいなければ、そういう大人を学校に呼び、生徒と関わってもらえば良いのだと考えました。さまざまな大人に出会い、いろいろな生き方を知ることで、自分の将来も幅広く描きやすくなります。実際に、定時制高校を卒業してから大手葬儀会社の支社長までのぼりつめた人や、中卒から鳶職の会社を起業した経営者の方を呼んで講演をしてもらいました。大手自動車ディーラーの営業の方や整備士の方、金属加工会社に勤務する製造業の方なども呼びました。講演会後の生徒たちの感想文を読むと、多様な大人との出会いにより、働くこと、大人になることに対する感情が、少しずつ前向きに変わってきていることがわかります」
何とか卒業、就職させても、卒業生の8~9割が3年以内に退職するという厳しい現実がある。それを何としても変えていきたいと思っている。
「生徒と関わる時は常に、卒業してから困らないように、という視点でいます。定時制には、勉強ができない生徒、人と関わることが苦手な生徒、感情的になりやすい生徒など、さまざまな課題を抱えている子どもたちがいます。もちろん、ありのままの彼らを受け入れて優しく接することも大事ですが、それだけでは社会に出たときに挫折してしまうんです。そのままの生徒たちを受け入れてくれる会社はないわけですから。4年間かけて、社会で通用する人材に育てていくという視点を持って指導するようにしています」
新井教諭は現代社会の授業で、就職活動についても取り上げている。就職試験の流れから履歴書の書き方、正しい言葉の使い方などを手取り足取り教えて行くのだ。
本来なら家庭や学校で知らず知らずのうちに学べたはずのことが、身についていない生徒も多い。社会性やコミュニケーション能力が十分とは言えない生徒もいる。そんな彼らが正社員として雇用され、社会で生きて行けるようにするためにはどうすればいいのか。それが今、新井教諭はじめ教員たちの最大の課題だ。
人生に希望を見出せなかった子どもたちにとって、定時制高校は人生をやり直せる再チャレンジの場となっている。この4年間があるかないかで、その後の人生が大きく違う。定時制高校が今、困難を抱える子どもたちにとって有効な選択肢になっていることは間違いない。