孫への虐待容疑で突然逮捕...無実を訴える祖母の悲痛
Yahoo!ニュース 3/27(水) 「現代ビジネス」
痛ましい虐待事件が相次ぐ一方で、2018年から、「揺さぶられっこ症候群(SBS)を根拠に逮捕・起訴された事例で、いくつかの無罪判決が下されていることをご存じだろうか。
赤ちゃんの頭部に出血などが見られた場合(SBS)、虐待の疑いが高いと判断され、事件として扱われるのが通例となってきたが、世界的に「SBSには医学的根拠が薄い」という声が高まっており、日本でも「それが本当に虐待によって生じたものかどうか」について、慎重な判断が求められるようになっている。
ジャーナリストの柳原三佳氏は、近年、SBSを根拠として起訴されたが冤罪の疑いのある事件を集中的に取材。その問題点と、無実を訴える家族の悲痛な叫びをまとめた『私は虐待していない ~検証 揺さぶられっ子症候群』を発表したが、いまなお冤罪の疑いのあるケースが数多くみられるという。
孫に対する虐待の罪に問われたひとりの女性(当時67歳)が、無罪を訴えながらも5年6カ月の実刑判決を受けたケースから、「揺さぶられっこ症候群」の問題を浮き彫りにする――。
突然「被疑者」になる
我が子や孫を「強く揺さぶって虐待」したとして、ある日、保護者が突然逮捕される……、そんな報道を目にすることがたびたびあります。こうした報道に触れるたび、『生まれて間もない我が子に手を上げるなんて、なんてひどい親なんだろう! 』と怒りを覚えている人も多いのではないでしょうか。
私も、そんな思いを抱いていた一人でした。
しかし、その考えは、当事者、つまり、赤ちゃんが「揺さぶられっこ症候群」と診断され、虐待を疑われた保護者たちへの取材をきっかけに大きく変わりました。
大切な我が子が、突然の事故や病気で脳に重い障害を負ってしまったら……。親としては身を切られるほど辛く、悲しく、先の見えない不安にさいなまれ、どん底に突き落とされた気持ちになることでしょう。そして、子どもを守ってやれなかった自分を責めることでしょう。にもかかわらず、ふと気づけば、親である自分自身が「被疑者」になっている、そんなことが実際に起こっているのです。
恐ろしいことですが、今の日本では、日々の子育てのなかで、ほんのわずか目を離した瞬間にけがをしてしまった、また、お昼寝中に突然容体が急変したのだといくら説明しても、まず信じてはもらえません。
医師、警察、児童相談所が、赤ちゃんの頭部に出血などの徴候を確認すると、その子のママやパパ、祖父母たちは、一方的に「虐待した」と決めつけられ、赤ちゃんと引き離されたり、罪に問われたりする――そういう現実があるのです。
揺さぶられっ子症候群、英語では「Shaken Baby Syndrome(シェイクン・ベイビー・シンドローム)」と呼ばれているこの症状は、頭文字をとって、世界的には「SBS」と呼ばれています。
赤ちゃんの頭部に、
(1)硬膜下血腫/頭蓋骨の内側にある硬膜内で出血し、血の固まりが脳を圧迫している状態
(2)眼底出血(網膜出血)/網膜の血管が破れて出血している状態
(3)脳浮腫/頭部外傷や腫瘍によって、脳の組織内に水分が異常にたまった状態
という3つの症状があれば、SBSの可能性が高いと診断されるようです。
病院に搬送された赤ちゃんの頭部に上記の症状がみられ、「揺さぶられっ子症候群」の疑いがあると診断した医師は、念のため児童相談所と警察に通報します。
それを受けた児童相談所は、まず、けがをしている子どもはもちろんのこと、場合によってはその兄弟姉妹にもさらなる虐待被害が及ばぬよう、「保護」という目的で子どもを親から隔離します(この処分を「親子分離」といいます)。
そして警察は、傷害事件(被害児が死亡した場合は殺人事件)の疑いも視野に入れて、赤ちゃんと関わっていた保護者や関係者に対して、事情聴取や家宅捜索による物品の押収などを始めるのです。
親子分離されてしまうと、自分の子どもと一緒に暮らすことはできず、看病することも許されません。ときには、その期間が一年以上に及ぶことも珍しくありません。それでも、子どもが児童相談所から無事に返されれば、まだましなほうです。
なかには、事故や病気の可能性が高いと主張しているにもかかわらず、強引に逮捕・勾留され、検察庁に起訴され、刑事裁判が始まり、有罪判決を受けて刑務所に送られた親たちもいます。
2017年10月、大阪地裁で孫に対する虐待の罪に問われたひとりの女性(当時67歳)が、一貫して無実を訴えながらも、5年6カ月の実刑判決を受けました。女性はすぐさま控訴し、この事件は、現在も大阪高裁で刑事裁判が続いています。
赤ちゃんの脳に出血などの異常が見つかっているのは事実であるだけに、彼女が話すことを、単なる「言い訳」とか「自己保身」だと受け取る人もいるかもしれません。
しかし、「虐待した」と疑われるその直前まで、この赤ちゃんの身体に傷らしいものは何もなく、両親をはじめ保護者から大切に育てられていたことも事実です。
いったい、彼女に何が起こったのでしょうか……。インタビューを行いました。
(*高裁判決が下されるまでは、実名報道を控え、仮名で報じます)
「突然、孫が意識をなくしたのです」
2016年4月6日、私、高山昌子(仮名)は、お昼過ぎから近所に住む、娘(次女)の自宅に来ていました。娘には2歳3ヵ月の長女・ゆきのちゃん(仮名)と、生後2ヵ月半の次女・あかりちゃん(仮名)、つまり私にとっては孫にあたる女の子が2人おり、それまでもよく面倒をみたり、遊んだりしていました。
午後3時ごろ、娘が銀行や買い物のために出かけたいというので、「しばらくの間なら、私が面倒を見ているから大丈夫よと」言って、送り出しました。
面倒をみると言っても、あかりちゃんはまだ生後2ヵ月半の赤ちゃんです。動き回ることもなく、ミルクを飲んで、リビングの隣の部屋にあるベビーベッドで寝ているだけです。
私は、あかりちゃんが泣いたらすぐにわかるように、隣の部屋のドアを完全に閉めず、ドアにスリッパを挟んで少し開けておきました。そして、娘が帰ってくるまでお姉ちゃんのゆきのちゃんと遊んでいました。ゆきのちゃんはとにかく私によくなついていて、ママが出かけても後追いするようなことはありませんでした。
あかりちゃんは、娘が出かけた後、大人しくすやすやと眠っていました。
そして、夕方、午後5時前、娘が帰宅しました。
「おとなしく寝ていたわよ」
私はそう言ったことを覚えています。
それから15分ほど、娘は買い物してきたものを整理しながらリビングで私としゃべり、そろそろミルクの時間だと言って、私と一緒に隣の部屋に行きました。
すると、娘が突然、悲鳴のような声を上げました。
「えっ! お母さん、ちょっと見て! 顔色がおかしい。どうしよう!」
私も驚いて、顔をのぞき込みました。顔面が蒼白で、息遣いもいつもと違うような気がします。
娘はあわててあかりちゃんを抱き上げ、「目開けて、目開けて!」と声をかけました。そのとき、左目がパッと開きました。
「今、左目が開いたよ! 大丈夫、呼吸もしてるし、落ち着いて、とにかく病院へ連絡を」
娘はすぐに、近所に住む姉の車に乗って、あかりちゃんを出産した産婦人科病院へと搬送しました。
「体重をはかるから待っていて」
病院に到着すると、まずそう言われました。
しばらくすると、処置室から慌てた様子で呼び出しがあり、
「たぶん、心臓に異常があると思うので、これから国立循環器病センターへ搬送します」
と言われ、あかりちゃんは大きな病院へ転送されることになりました。
夜が明けて、医師から説明がありました。あかりちゃんの脳の中には、くも膜下出血や網膜出血が見られるとのことで、ほぼ脳死状態になっているという話をされました。
まさか、脳に異常があるなんて、誰も思っていませんでした。 2ヶ月半前、元気に生まれてきた子が、どうして突然このようなことになったのか……。まったく思い当たることがありません。私たち家族は、大きなショックを受けました。
ところが、病院からはいきなり、
「虐待の可能性もあるので、一応、児童相談所に通報します。警察から何か事情を聞かれることがあるかもしれない」
と告げられたのです。
「虐待?」
とにかく驚いたのは事実ですが、私たちは虐待などしていないので、調べてもらえばわかることです。ですから特に不安は感じませんでした。
あかりちゃんはその後も、意識が戻らないまま、入院を続けることになりました。
ところがそれから1ヵ月後、さらに追い打ちをかけるように、信じられないことが起こりました。警察が何の前触れもなく、突然自宅に入って来て、家宅捜索を始めたのです。孫が脳に障害を負ったのは、母親か祖母である私による虐待の疑いがあるというのです。
警察官は10人くらいいたと思います。家の中の状況を何枚も写真に収め、育児に関するいろいろなものを押収されました。
どうしてこんなことをされなければならないの……。
私たちは驚きと悔しさで泣いてしまいました。でも、娘も私も、虐待なんて絶対にしていないので、調べてもらえばわかることだと信じ、警察には「ちゃんと調べてください」と言って、できる限り協力しようと思いました。
緊急入院から3ヵ月後の7月23日、あかりちゃんは一度も意識を回復することなく、亡くなりました。しかし、「事件性も視野に入れる」ということで、遺体はすぐに警察によって運ばれ、司法解剖が行われることになりました。
私たちは本当に辛く、大きな悲しみの中にいました。
詰め寄るマスコミと警察
9月ころから警察の調べはさらに厳しくなっていきました。大阪府警の捜査一課が担当しており、最後に一人で子どもたちをみていた私が虐待の犯人だと疑われ、容疑者として絞られていたようです。
私は何度も東淀川警察署に呼ばれ、たびたび、
「ホンマのことを言いなさい!」
「あんたしかいなかったやろう」
と詰め寄られました。でも、私は虐待などいっさいしていないので、ただ、あの日に起こったことを全部話して、「なにもやっていません」と答えることしかできませんでした。
思い返せばこの頃、新聞社やテレビ局の人たちも私の前に次々と現れました。私の家に突然訪ねてきたり、公園で娘の長女と遊んでいるときに、いろいろな質問をされたこともありました。
「医療過誤の取材をしている」と言って近づいてきたテレビ局の人もいました。ところが、その人は医療過誤とは無関係の話題を出してくるのです。ふと彼のショルダーバッグを見ると、小さな穴が開いていて、ビデオカメラのレンズのようなものが見えます。私は隠し撮りをされていたのでした。
おそらく、マスコミの人たちは私が近いうちに逮捕されることを知っていたのでしょう。
それからしばらくして、私が突然逮捕された後、ニュースには私の写真や動画が、私の実名とともに大々的に報道されたようです。もちろん、私は見ることはできませんでしたが……。
「お母さんしかおらん!」突然の逮捕
12月6日の早朝、昌子さんの自宅に突然、警察がやってきました。署に同行してほしいというのです。
そのとき刑事はこう言ったと言います。
「フード付きの服あるか? マスクもあったらつけたほうがいい。実は、マスコミがあんたの家の周りにいっぱいおんねん。映るでぇ、映されたらイヤやろ」
昌子さんは今日も事情聴取なのかと思いながら、言われるがままマスクをつけ、フード付きのピンク色のパーカーで深々と顔を覆い、自宅マンションから出ていきました。するとその瞬間、報道陣のカメラがいっせいに昌子さんの姿を狙い始めたのです。
そして、複数の記者から、
「高山さん、いったい何をされたんですか?」
「あなたがやったんですか!」
といった怒声を浴びせられました。
本人も知らないうちに、大事が起きているようでしたが、昌子さん自身は、いったい何が起きているのか、知る由もありません。
警察車両で淀川警察署に到着すると間もなく、
「逮捕状持ってきました。高山昌子、はい、逮捕!」
そう言われ、昌子さんの細い腕に手錠がかけられました。
「待ってください! 私は何もやっていません!」
昌子さんは恐怖と怒りを感じながら、抵抗しました。
刑事は「母は絶対に虐待なんてしていません」と訴える昌子さんの娘たちにこう言ったそうです。
「お母さんしかおらん。医者に聞いたら虐待や言うてる。俺らも最初は二人をちゃんと調べたけど、娘さんは違うわ。虐待をやるような人ではない。お母さんしかおらへん。まあ、あとは検事が決めることやからな」
この日から、留置場での取り調べが始まりました。そして、勾留期限が過ぎると、そのまま大阪拘置所に移送され、勾留されることになったのです。
判決、懲役5年6カ月
高齢の昌子さんにとって、暖房もない部屋での生活は身体にこたえました。
「夜は9時に消灯、朝は7時半に起床。お風呂は3日に一度で、服を脱いで入浴し、着替え終わるまで15分、すべて監視されています。どうして何もしていない私が、こんな生活を強いられるのかと、本当につらかったですね。でも、1週間に1回、娘夫婦や孫たちが必ず面会に来てくれて……。『おばあちゃんがそんなことをするはずがない』と、みんなが信じて応援してくれたことが支えになりました」
しかし、年の瀬も押し迫った12月27日、昌子さんは勾留されたまま大阪地方検察庁によって、傷害致死の罪で起訴されました。
起訴状には「公訴事実」として、次のように書かれていました。
<被告人は、平成28年4月6日午後2時●分頃から同日午後4時50分頃までの間に、*******において、***(当時生後2ヵ月)に対し、その頭部に強い衝撃を与える何らかの暴行を加え、よって、同人に急性硬膜下血腫、くも膜下出血、眼底出血等の傷害を負わせ、同年7月23日、大阪府高槻市内の病院において、同人を前記傷害に起因する脳機能不全により死亡させたものである。>
そして、翌2017年10月2日、大阪地裁の飯島健太郎裁判長は、
「強く揺さぶらなければ起こりえない傷害で、それが可能だったのは高山被告だけだ」
と指摘して、懲役5年6月の実刑判決を言い渡したのです。
判決文には、次のように書かれていました。
「抵抗できない乳児に強い衝撃を与えた非常に危険な行為だ」
「偶発的な犯行の可能性も考えられるが、被害児は首も据わっておらず、強い非難に値する」
検察側の求刑は、懲役6年でした。
『孫はただベッドの上で寝ていただけ……』
一貫してそう主張する昌子さんは、すぐに控訴し、2019年3月現在、大阪高裁で審理が続いています。
弁護団は、「赤ちゃんに起きた症状は、暴力的な外からの力で起きたものではなく、静脈洞血栓症という病気が引き起こした可能性がある」として、脳の専門家である脳神経外科医らの協力を得て、無罪を立証するべく活動しています。
昌子さんは悔しさをにじませながらこう語ります。
「今の私にとって、孫たちは生きがいです。娘が生んだかわいい赤ちゃんに、どうして虐待なんて……。そもそも、どうやったらそんなに強く揺さぶることができるんですか? まったく意味が分かりません。高裁の裁判官には、正しい判断をしてもらいたいと思います」
「強い揺さぶりによる虐待」と判断した医師たち
私が本連載で、2017年から取り上げてきた「揺さぶられっこ症候群」事件の被告人・井川京子さん(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53525)と、この事件で逮捕された高山昌子さんの判決は、ほとんど同じ時期に、大阪地裁で下されています。
この二つの事件には、共通点があります。
まず、起訴された時点でいずれも「強く揺さぶった」という疑いがかけられていたことです。。
しかし、井川さんも高山さんも、「強く揺さぶるようなことは行っていない」と強く否定し、無罪を主張していました。にもかかわらず、大阪地裁の裁判官は、目撃者のいない家庭という密室の中で起きた出来事について、母である京子さん、祖母である昌子さんの言っていることは、すべて嘘だと断定したのです。
乳幼児の身体に目立つような外傷がなく、脳だけがダメージを受けている場合、警察、検察、裁判官は必ず医師の意見を求めます。被害にあった子どもと最後に一緒にいた保護者に疑いの目を向け、罪に問うには、医学的な見解がどうしても必要だからです。
京子さんの裁判に関わり、「揺さぶりによる虐待に違いない」という内容の意見を述べたのは、検察から意見を求められた虐待に詳しいと称する小児科医と法医学者でした。そして、昌子さんの刑事裁判において検察側の証人として登場したのも、同じくこの二人の医師でした。小児科医は法廷で、昌子さんが「孫に対して暴力的な揺さぶりを行った」と断定しています。
しかし、京子さんも昌子さんも、この二人の医師が裁判所で述べた意見について、強い違和感を覚えたといいます。
まず、彼らはただの一度も、被告人とされた彼女たちに話を聞きに来たこともなければ、入院している赤ちゃんを実際に診断したこともありませんでした。また、脳が損傷を負ったケースなのに、なぜ裁判所は、脳の専門家である脳神経外科の意見を聞かずに、彼らの意見だけで判断するのか? という疑問です。
実際、揺さぶられっ子症候群の取材をする中で、私は脳神経外科医たちから、捜査機関や裁判所の判断の仕方について、厳しい批判の声を多数聞いてきました。そして彼らは、小児科医らの意見だけで保護者が有罪とされる現状について、「脳の専門家として看過できない」と立ち上がり、複数の裁判で意見を述べ始めました。
その意見書や証言の効果が表れ始めたのでしょう、2018年~19年にかけて、大阪高裁では揺さぶられっこ症候群に関する事件の無罪判決が立て続けに下されています。
しかし、日本の刑事裁判ではあいかわらず、有罪になる確率が99%を超えています。いったん虐待の疑いで起訴されれば、保護者がいくら子育ての中で起きた事故だと主張しても、本連載で取り上げた高山昌子さんや井川京子さんのように、有罪とされてしまうのです。
捜査機関や裁判所は、「揺さぶられっこ症候群による虐待」とされるケースについて、「脳の専門家」に意見を求めて、慎重に判断すべきだと思います。なぜ、頑なに専門外の医師からの意見のみで結論を出そうとするのか?
高山昌子さん、そして井川京子さんの大阪高裁での裁判を注目していきたいと思います。
柳原 三佳
決して「冤罪」を出さないという強い決意が全くない。このような状況下において「死刑制度」はもってのほかというしかない。
今日も朝は真っ白、待ちどうしい春。
朝起きるとまだ左目が痛む。早めに受診したほうがよさそうだ。
「目にはもうゴミはないが、かなり傷ついている」ということで2種の目薬をもらってきた。
部屋の中は春なのだ。
「亜麻」の発芽。
今、また視界がきかないほどの吹雪に・・・