五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五 狐 の 家        赤星水竹居

2010-01-26 03:56:41 | 五高の歴史
五 狐 の 家                      赤星水竹居
春まだ浅き或日の夕方のことであった。私達五高の寄宿生が夕食後運動場に出て
遊んであると、どこからか狐が一匹出て来た。折から射場で弓を引いていたEと云う
男が、直ちに持っていた弓に矢を番えて狐を射たが当らなかった。「狐だ狐だ、皆来
い」と叫びながら追っかけていると。今まで運動場の溝の中に逃げていた狐が、掻き
消す如く見えなくなった。これは不思議だ、今まで確かに見えていた狐の姿が、忽ち
見えなくなった。狐に化かされてたまるものかと、 馳せ集まった大勢総懸かりで探し
ている裡に、「ここだ、ここだ」と云って、一人が溝の中にある大土管の口を叩いてい
た。狐の奴この土管の中に逃げ込んだに違いない、燻しだしてやれ、と寄宿舎の賄
小屋から藁や薪などを持って来て、盛んに土管の口を燻し始めた。 すると果して一
匹の狐が土管の中から、のそのそと出て来た。そら出たと一人がベースボールのバ
ットを振り上げて、一撃の下に撲ち殺した。E等は狐の死骸を引っ担いで、凱旋を上
げて寄宿舎に引上げようとすると、土管の奥の方に犬の鳴き声の様なのが聞ゆる。
「今一匹居るぞ」と誰かが云う声の下にいきなり土管を土から掘り出して見ると、中
からまだ生れたばかりの狐の仔が五匹現れた。血気な連中も此の五匹の狐の仔を
見れば流石に惻隠の心を起こして撃ち殺す気にもなれず、一匹づつ狐の仔を抱い
て寄宿舎の一室に運び、舎内に帽子を廻して一銭二銭の寄付を募り牛乳を買って、
Eと外五六人が交代で狐の仔の養育に当ることにした。翌日この事が学校中の評判
になって、教員しつにも聞こえたと見え、 其の当時我々の英作文の先生であった小
泉八雲先生が、猫背の小さな体を転がる様にしてやつて来て、片目に近眼鏡をあて
て、狐の仔の上に顔をするつけて見入っていたが、後で 「小泉先生から」と云って、
小使が小さな西洋封筒を持って来た。E達は何かと思って受取って見ると、封筒の上
にTo Five little Orphans と書いて、中に一円札が二枚入れてあった。 皆は大喜び
で、早速打ち連れて小泉先生の処にお礼にいった。これが大評判になって、外の先
生たちも通学生も、皆狐の仔を見に来ては牛乳代を置いて行くので、E達は益々得
意気になって狐の仔を育てた。 狐の仔の方でも段々E達に狎れてE達の足音を聴く
と、親狐が乳を飲ませに来る様に、クウクウと鳴いて迎える様になった。其の内に二
学期も過ぎて、四月の春休みが来た。E達は豊富なる牛乳代と周到なる注意とを寄
宿舎の小使に与えて、狐の養育方を頼み安心して帰省をしたり、友達の家に遊びに
出掛けたりした。E達は自分の母や妹や友人の家などに、狐の仔に着せる小さな布
団や首玉などを揃えて貰って、春休みを終えて喜んで寄宿舎に帰って見ると、 無惨
や狐の仔は一匹も残らず死んでいた。聞けば小使は、E達が殺した牝狐の皮を剥い
で、寄宿舎の窓の外に干して置いたのに、 牝狐が毎晩其の窓の下に来て鳴くので、
彼の崇りを怖れ、折角頼まれた狐の仔に近寄らずに日干しにして仕舞い、牛乳代は
皆自分で飲んで仕舞った。 E達は地団だ踏んで小使を叱っても早やしようがなかっ
た。貰って来た小さな布団や首玉を五匹の狐の仔の死骸に着せて箱に納め、校庭
の隅に埋めた。そして小泉先生のFive Little Orphjans から五狐の家と名をつけて
小さな石塔を立てた。(昭八・三・二十本名陸治)