五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

明日火曜日は記念館に出る

2015-06-22 05:19:04 | 五高の歴史
6月も下旬になった6月を終われば2015年も後半になる。月日の経過は何時ものことながら早い早いと言うだけである。明日は火曜日でまた記念館に出て行こうと思っている。6月は梅雨の季節で今朝も今にも雨が降り出そうと言う感じである。白川の堤防も昭和28年の熊本大洪水以来改修工事が行われ川幅はこの時代から比べれば広くなっているようである。

俺自身の右肩の具合どうもよくない、右手を振り回すと首の回りまで痛い感じである。いやなことだ今日も東洋整体で治療してもらおうと思っているので8時半くらいから上の郷を出発して行くことにしたい。

五高の想い出から

五高に夏目漱石と同時代に須藤求馬という漢文の先生がいた。漱石やハーン等の有名教授に比べて五高ではマイナーではあるが当時の日本では有名な研究者であった。

遺族の方から須藤求馬に関する資料調査依頼があったのは10年も前になるかと思う。五高には四高教授からの割愛での赴任であり、在任は明治30年8月26日から明治34年3月16日までの期間である。

赴任については本人の都合等は考えないいやおうなしの採用であるが、辞職は明治34年2月19日付で校長から辞表は同日付で出したかとか、また2月25日付けで辞表は出したかと返事を督促し、続けて文部省人事課長宛に須藤求馬の休職の件は経費の都合上本月中に発令するようにと要望までが添えられている。

この時代は校長の権限は絶大であり本人の希望は一切無視されている