漱石は明治32年熊本高等学校秋季雑詠を作っている事を連日報告してきた、これは龍南会雑誌の大正8年3月31日発行の第169号に「夏目漱石氏俳句の熊本時代の生活と片影」として桑野豊助氏(三文)が論説とし発表しているもので、俺自身は単に龍南会雑誌を読むついでにこの俳句の詠まれた場所を考慮してみたものであるその最終として柔道試合を報告する
柔道試合
轉がし芋鳥渡起き上がる健気さよ
靡(なびく)けども芒を倒し能わざる
芒(のぎ、「ぼう」とも)は、コメ、ムギなどイネ科の植物の小穂を構成する鱗片(穎) の先端にある棘状の突起のこと。ススキのことを芒とも書くが、これに似たイネ科の植物にオギ(荻)がある。ススキには芒があるが、オギには芒がない。 ..
転がされても芋鳥のように起きあがる柔道の練習か試合の様子そのままの姿であろうか
五高の柔剣道道場は大正14年に創設されているものである。昭和25年の五高閉校から熊本大学開校にともない特に昭和30年代は大学の講義室が足りなくなり、この柔剣道場には机を入れて教育学部等の大教室として使用された。その後大学としての設備整備の充実に伴い、体育館が創設されてからは昔の柔剣道場に復原されて熊本大学学生の柔剣道場として使用されていた
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今日は個人的な記念日であるのでブログも一応区切りとしてここまでとする。そのうちにまた新しい構想で五高の歴史を発掘してみたい。