五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

龍 南 会 と は

2012-03-31 04:47:54 | 五高の歴史

 五高の歴史のエピソードを拾ってきたが、2011年もいよいよ年度末である。官庁の会計の終了は会計整理期間と言って4月一杯は支出負担行為のための日程を確保して終了させることが出来る。会計屋はそれこそ書類上の辻褄を合わせることに大童する。現在はパソコンが事務の全てであるのでどのように行われているか人ごとながら気になるところである。

五高を表す言葉として、龍南とか龍南会雑誌とか言う言葉は聞かれた方も多いだろう、ここでは大正七年に書かれた上田沙丹氏の龍南物語の中に龍南会と言う解説がある。これを転載してもう一度龍南という言葉を確認したい。

以下その本文である

五高の校友会は龍南会という。学校の位置が龍田山の南に在るからそれに因んで龍南と称するのは前述の通り。会長は歴代の校長さんである。

 龍南会には総務部を始め演説部、雑誌部、剣道部、柔道部、弓術部、野球部、庭球部、端艇部、水泳部の十部に別れ、各部に先生を擁して部長となし、その下に二名宛ての委員がある。但し雑誌部には五名で端艇部は各部から一名を出す。毎年二月に委員の改選がある.復選挙制度の選挙であるが一ヶ月も前から学校そっちのけの大激戦が始まる。

 総務委員は一部から一名と二部三部から一名、合計二人で全生徒の代表者となって会務を処理し、内外関係に於いて生徒を代表する。職掌柄その人を得ると否とは生徒の休戚(きゅうせき)に関係する故、慎重なる人選が行われ、大体に於いて従来つかませ者は少ない。

 演説部は近来非常に活動している。今日では例会(月一回)や年一度の公開演説会の外に名士を招待したり。外国語演説会とか学術紹介演説会、或は九州遊説とかの新しい試みを為すため昔のように聴衆と弁士と相半ばするような貧弱な光景は呈せぬことであろう。今度の総選挙の前に小川博士の応援演説のため学校を他所にして饒舌り廻った京都大学の連中も大分天下の物議を醸したが、新聞で見るとみんな此の部の出身であった。殊に痛快なのは演説の寒稽古、所謂龍嶺怒会である。厳寒の最中、三週間裏の龍田山によぢ登り、大阿蘇颪(おろし)しに鼻汁たらして此処彼処の樹根に倚って盛んに怒鳴り散らす。

 雑誌部の機関雑誌は龍南会雑誌である。四五年前、江口渙さん達が筆を執って活躍して居られた頃に比べると秋風索漠の感に堪えない。表紙の谷千城さんの字は依然として舊の如き可いとしても、内容においては光の薄いのを思わせる。「龍南」欄は或意味に於ける同誌の特色で若々しい青春の叫びを聴いたものであったが今じゃ見る影もない有様である。自由の憧憬の生活を営んでいくらでも奔放なる思索に耽ることを許されたる人々の手によって作られたる雑誌は決して中学校の校友会雑誌の域に墜ちないように努力すべきであろう。

 剣道部と柔道部は武骨な五高の特色の一つで年々軌道の猛者が輩出する。特に剣道部は龍南の華で、毎冬京大主催の高等学校、専門学校剣道大会の恐畏である。

    低く乱るる大阿蘇の   烟に混じる初霞    覇権の鞘を抜き払い    起ては心の躍るかな

と遠征歌を高唱しつつ、杉の下駄に舊部の雪を蹴散らして行けば気の弱い都人士は吃驚して見返る相だ。

 庭球部は多年鎮西斯界の覇を唱え常勝の名を縦にしているのに反し、

 野球部の貧弱さ加減は同情をひく。それでも挑れた戦いならば飽くまでも馳せ参じる。京都大学の大会にも毎年参加する。そして必ず敗けて帰る。所で茲に人あり、「今年駄目だったら参加を見合わせちゃ如何ぢゃ」とでも云うものなら、御連中は必ず、肩聳やかして、「馬鹿云えよ!勝ちそうな時ばかり行って景気の悪い年には止せって?憚(はばかり)ながら五高の野球部はそんな卑怯な真似が出来なくってねえ」と答える。

 弓道部は地味な役である。その道の人でなっては忘れ勝ちである。生徒集会所の往きがてに敬意を表して弓術場を訪づれると、田舎の豊年祭りの芝居小屋の便所位の古い建物が栄養不良の児を思わせて涙を誘う。夏の頃には飛び込んで来た種子の太ったのだろう、雛芥子の花が咲いていることもあり、火のような花の色が更に物寂しい思いをさせる。

 端艇部は猛者揃いである。快活、獰猛、蛮骨、大食、と頑張れ頑張れ主義の本場で快い分が漂っている。腕押し、脛押しの大関や弊衣破帽の剛毅朴訥の神の産地である。各部とも時々二三日がけの遠航に出掛け、四月のレース前には艇庫のある江津湖畔に合宿して一里の道を駆足で学校え来る。

 最後に水泳部は避暑休暇に独り活動する。毎年七月から八月にかけて、涛荒き玄海洋の西の端、絵のように麗しい港、松浦佐川姫やその他の浪漫的な伝説の豊かな肥前唐津の浜に柏葉の旗をひるがえす。

 因に各部部長と委員とを以て改選後間もなく予算会が開かれて活動の糧の分割に口角泡を飛ばす。その他、緊急な事件の起こる毎に部長と委員の外に各級の代表者二名宛てを加えて所謂役員会を組織し重大なる議案を討論議決し、遥かに日比谷の有髯子を後に瞠着らしむ。

 

以上が上田沙丹氏の龍南会の解説であるが、これからでも五高閉校まで40年、龍南会活動は閉校まで大同小異で活動している。