五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高創立当初の修業年限

2008-12-07 18:07:41 | 五高の歴史
五高創立当初の修業年限
創立当初(明治20年)に規定された修業年限は予科三年、本科二年、計五年の年限であり翌年(明治21年)よりその下に更に補充科二年を加えて七年となり中学卒業は、予科三級に入学させる規定であった。而して帽子の徴章は今と同じく柏と檄覧の葉を交互に出し、中央円型に五高の字を表わし、本科は白線三条、予科は二条、補充科は一条であった。その後度々学制改革があって、補充科は廃せられ、終には予科・本科を合わせて現在の通り三年制度になった。(表は略)
 創立当初の明治20年には予科三級のみの募集であったから。順調に進んだ人は、それより五年後の明治25年7月、第1回の卒業生となって出ているが、翌21年度に補充科二級に入学した人は、七年目の明治28年に第4回卒業となったわけである。尚、これは少し後の話になるが補充科二級から入学した中で道草を取り途中念の入り過ぎた人には、八年以上も竜南生活を送ったということを、一種の誇りとした豪傑もあったそうな・・


龍南懐古捨遺 友枝高彦の中から、龍南200号掲載
「初期の五中といえば自分等は直ちに有進校を連想する。有進校は五中の予備校であって坪井の菓子屋の二階が教場となっていた。校主は余田司馬人先生で五中に入学しよう とするものは先ず有進校の門をくぐらなければならなかった。教師としては余田先生が英語を教えられ五中の上級者も教鞭を執っていた。予は二ヶ月計りここで準備して補充二級というに入学することが出来た。