五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

カッター引き取りはどこの港まで行った

2009-04-30 06:23:22 | 五高の歴史
吉田久太郎一行の佐世保鎮守府へカッターの引取りには何日間の予定でいくらの予算で行ったのか?その辺の事情は資料が全く無くわからないが・・・・・また赴任早々の新任教官夏目漱石が端艇部の部長に任命されたということ、そして部長の漱石がその借金を黙って弁償してやったと言うことが取り上げられているが・・久太郎を中心とする生徒たちが豪遊をしたことだけが宣伝されていることで、もっと足元を見てみれば引取りの際の食料握飯2箱とあることなども気になるところである、引取りの時期は夏の暑い7月であるこの旅が、2~3日ならともかく10日も越える日程であったなら持参の握り飯はすぐ腐れてしまわないか、引き取り期間中の生活費(宿賃、旅費、雑費)が百円を超える借金を作ったと考えるべきはなかろうか?

ここでは100円を超えるという金額について当時の料亭の会合の様子等と比較検討するために次の文を掲げる・・・
明治31年文科卒業の高原操氏の米価十銭の頃という文であるが、この中に佐久間先生の送別会の会計報告という項目がある。明治30年10月18日付けで、場所は水前寺畔の某旗亭で開催され出席者39名で総経費15円04銭、料理が一人前22銭、酒が一升30銭、飯を食らい会場費、車賃から写真代、なおその上に餞別も出している。

これから見ても百円の借金は帰りの途中で立ち寄った港で慰労の1杯が杯を重ね江津湖に到着の頃は百円の借金を背負い込んでしまったと言うが、これでは全く辻褄が合わなくなってしまう。