五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

炊事部は籠城生活を支える

2012-07-29 06:05:51 | 五高の歴史

習学寮の自炊制度も栄枯盛衰は免れず明治四十三年頃から炊事制に対する避難の声が挙がるようになった。これを守らねばならないとする擁護派もいたが炊事制度の改革は炊事委員長のなり手がなくて明治四十五年五月には遂に炊事制度は崩れ落ちたのである。数年来論議の焦点になっていた自炊制度存続問題も遂に廃止され古城の昔に逆戻りして請負炊事が行われることとなった。その結果は賄い征伐等として生徒の不満が噴出した。

大正二年春秋に習学寮を襲ったチブス事件では寮を閉鎖し郊外寮を設けるなど慌ただしく、習学寮を取り壊し新寮が再建されるまでは炊事部はなくメチャメチャの姿になり、炊事史上の暗黒時代であった。

大正四年十月に新習学寮が再開されると第一次世界大戦による好景気の波による物価騰貴の結果として食費の急激な値上げは当時の生徒にとっては正に脅威であったに違いない。歴史は繰り返すと言われるように大正年間は不完全な炊事の請負炊事で過ぎてしまったが、請負制度が実に旧式で不利な制度であることが委員等に確認され昭和二年になると自炊制度の復活の声が挙がり委員の熱心な活動と周到な計画の甲斐があって昭和三年四月より明治の古に戻って自炊制度が実施された.

以後自炊として実施されているが、その間には昭和七年の同盟休校の際には八百余名の籠城生活を支えたのは炊事部の活動があったからである

昭和十年一月には精米機を設置して経済的負担を減らし米質の向上を図っている。昭和十一年十一月十六日には大食堂が新築されその後は幾千の竜南生徒が朝夕の献立に胸躍らせシャンデリアの光の下で晩餐会を実施し「武夫原」を乱舞したものであった。・・・参考続習学寮史・・・・・

 

今日は七月二十九日二千十二年も後半たけなわ、午前十一時より今年の五高記念館友の会総会を開催するということであるので出ていくことにしているが、友の会事務関係の仕事は事務室の方にお願いしたので俺自身は全く楽になったのはよかった。

五高の落穂拾いは大正時代のエピソードは大体終わったかと思うので続きは八月一日から昭和のエピソードでも拾ってみたい。