五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

記念館を訪問した人々の感想その三

2010-01-10 03:48:50 | 五高の歴史

五高記念館友の会では見学者のために平成十三年九月以来、見学者が展示室を眺めての感想、館内の様子等々、気がついて事を何でも書いて下さいと雑記帳を設置しています。これは平成十九・二〇年に来館した人達のメモの主なるものを書き出して見たものです。今朝は其の三を掲載します。皆さんどんなことを感じて眺めたか?五高記念館を訪れたらあなたも一言感想をお寄せ下さい。

○文科学生の学徒動員の答辞の最後のさらばに涙を覚えました。これからも平和な日本であり続けれる様に祈ります。              Y・R生

○英文の案内書を文通相手のフランス人に送りましたところ『大変わかりやすい説明でとてもためになりました』と言われました。       女性

 ○寺田寅彦の故郷土佐から来ました。非常に懐かしく感激して見学させていただきました。

○明治以降の日本の教育を知る貴重な資料でした。校舎も周囲環境もよく整備さています。今後も大切に守ってください。        東京 日本橋在住

○五高時代のこの制度はすばらしい、戦後の6・3制で失ったものは惜しい。もうあの時代には戻れない。              岡山

 ○子供が熊大に入りたいという気持ちが持っていたのが充分理解できました。ありがとう御座いました。今後の熊本大学の発展を祈ります。 女性

 ○ボート部に所属しています。集会の際部歌を唄うのですが、そのCDがあってびっくりし、過去から繋がっているものだなあと感じて感動しました。女性

○歴史を感じ、また五高の先輩方を改めて尊敬しました。熊大生として誇りを持って頑張ろうと思います。               HN生      

 ○今日はとても良い勉強になりました。昔の生徒は今の自分たちに比べられないくらい勉強したのだと思いました。

○卒業して三〇年余り、在学中は外からしか見れなかったが、こうして中に入り、色々な資料を拝見させていただき考無量です。卒業生として何も出来ませんが在校生の皆さんの活躍を祈っています。

 ○漱石の声が聞けてよかった漱石の声は私の父を思い出させました。

 ○亡き父や叔父たちがここで学んだのかと思い胸が一杯になりました。在東京 ○熊大の歴史を知って、又何度でも足を運ぼうと思いました、  男

○五高が無くなり半世紀、熊大としての資料も集めて五高―熊大資料館としたら?五高を語り継ぐ人も少なくなり熊大と五高はイコールとは思わないが、文化を受け継いでほしい。

○最近、旧制高校卒業生で健在であられる方々との交流も深まり、改めてその人格の素晴らしさに、魅力に引かれております。最近の人品貧しき日本人の言動を見るにつけ昭和25年3月閉校した、この「五高」を始めとしてナンバー・スクールを中心とする日本のエリート教育が廃止されて以来の、政治・教育の深刻なる後退を憂いているのは、私一人ではないでしょう。天皇陛下の為に死ぬーと言う戦前の軍国主義と人生、いかに清く正しくあるべきかーという人間を深く内省し思索する修身教育を同一視してはならないでしょう。(以下略 )  広島市在住