五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

秋はふみ吾に天下の志           漱石

2010-01-18 06:29:29 | 五高の歴史

                                                            会報に掲載されている当時の構内

秋はふみ吾に天下の志           漱石

 この句は同窓会報第一号の目次の巻頭を飾っている句である。

 同窓会が五高開校から40年を経た昭和五年創設されたことは当時の溝渕校長の

挨拶で理解出来たと思うが、同窓会設立とともに同窓会報が発行されている。  

 第一号で興味を引く記事としては高田保馬の熊本時代の思い出として『千反畑の

家』がある。京大教授時代の研究室で書かれたもので、この千反畑の家にはかって

は夏目漱石の熊本での六番目の住居であった。この当時は独逸語教官ウエンクス

テルン教官が住んでいたが三畳の間に自分も下宿していたという。ところが無断で

下宿を留守にしたのでウエンクステルンから退去を強制されたという。外国人教師で

ありながら日本の若者への心配りが知れる。しかしここでは保馬はウエンクステルン

教官に対する恨みごとが綴られている。

 さらに栗野事件のことに続いている。特に栗野事件は高田保馬は穏健派の立場で

あったので、大川周明の急進派、この思い出では栗野事件について再確認すること

が出来た。『私共は・・転学事件以外は一歩も進まぬように、必ず食い止めるから、

此の事件だけで進みたいと強く説いた。・・・とうとう私は十人の委員の先頭に立っ

て、校長の官舎にあまりおとなしくない事を述べに行った。・・各級委員会で極力学校

に対する反抗運動に反対した。・・・後は私の思うとおりの決議が出来た。それで安

心して当時流感にかかっていた滝正雄を介抱して二日間学校を休んでいる間に急

進派の先鋒であった大川周明一派の教頭排斥にまで進んでしまったと。』(th)